昨日、今学期最後のレポートを提出し、春学期の授業も無事修了しました。
そして、今学期で、博士課程修了に必要な60単位分の授業をすべてクリア。もう二度と授業に出席する必要も宿題に追われることもありません。
博士課程の先にはもう学校はないので、一生分の授業を終えたことになるわけですが、終わってみれば、なんだかあっけなかった感じです。うれしいよりもむしろ寂しいような、自分がまだまだなのに、もう授業を受けられなくなるのが不安なような、そういう気持ちの方が大きいです。
それでも今学期は、自分でも少しは成長を感じられた学期でした。こないだも、授業で発表したプレゼンが教授に認められ、学会に応募するよう勧められて、応募してみたり、ニューヨーク大学で、教授の手伝いでしていた実験の共著者として、やはり学会に応募させてもらったり、ようやく、実験や論文のデザインが、最低限できるようになってきたのかな、と感じています。
まだ学会の審査に通ったわけではありませんが、自分の研究を発表する場があるというのは、本当にうれしいことです。研究者としての喜びというのが、少しわかってきたかも。
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今まで、コロンビア大学で修士課程2年間、ニューヨーク市立大学で博士課程3年間、と、アメリカで高等教育を受けてきて、日本では研究とは無縁の生活をしていた元OLが、英語も話せなかったところから、なんとかここまで来れました。
大学院には研究者を育てるという目的があって、そのために必要なカリキュラムが組まれている。結果、研究者が育つ。当たり前のことだけれど、その当たり前のことが、ブレずに行われていて、私みたいな凡人でも、なんとか研究者の卵ぐらいまで来れる。
日本の大学のことは知らないけれど、アメリカの大学、研究環境はオープンで、面白い研究をしている人がいれば、研究機関の垣根を越えて交流する。学生だろうと、その分野の権威だろうと、直接話して、考えを深めていく。専門家同士がアイデアの交換をすることで、よりよいアイデアが生まれ、よりよい研究結果が生まれる。そうやって、全体が前に進んでいく。
世界のトップレベルがすぐそばで知のやり取りをしているから、学生の私も刺激を受けまくり、脳が開拓されていく感じがする。しかもそういうのが毎週のミーティングである。素晴らしい環境にいるんだな、とつくづく思います。
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こんなに書くつもりはなかったのだけれど、調子に乗ってきたので、もうひとつ最近気づいたこと。
研究職というのは、不思議な職業だな、ということ。研究が、直接利益を生み出すわけじゃないから、誰かにお金を恵んでもらわないと成立しない。会社で働くのと根本が違う。しかし経済活動がないからこそ、純粋に知的な活動になる。もちろん、研究の成果が社会に利益をもたらすものでなければ、誰も出資はしてくれないのだから、完全には利益を切り離せはしないだろうけど、通常、研究結果の経済効果はなかなか直接測れないから、やはり利益云々からだいぶ離れたところで、研究はなされる。不思議な特殊な職業。おもしろいなあ。
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さて、授業は終わったとはいえ、まだこれから、進級のための試験とプレゼンテーションがあって、それから博士論文を書いて、ようやく卒業なので、まだあと数年かかると思います。
ちなみに今は、息をつく暇もなく、学会発表に向けてのデータ分析を再開しました。前回紹介した舌の形を見るやつです。
今年の夏休みは、学会発表のほかにも、現在関わっているプロジェクトがいくつかあるし、新しく共同研究の話も持ち上がっていたりして、研究中心の生活になりそうです。