小学3年生だった戦時中を思い出しました。
私の家は名古屋の大須観音の近くでしたので、終戦の年に焼夷弾で跡形もなく焼かれました。
私達は縁故疎開で避難してましたので空襲は免れました。
今度は核爆弾か致死性のガスで、よほど深く掘ったシェルターでないと逃れる方法は無く、核爆弾なら鉛の板で防御しなければならず、200℃位で融ける鉛では地上では役に立たず、致死性のガスなら酸素ボンベのでかい物を持ち込んでも何日も生活は無理でしょうし、一番簡単な方法は過疎地に避難することです。
過疎地なら効果がないから核爆弾を落とさないでしょうし、過疎地に都会からワンさと人が移動すれば、過疎地の解消になりますので一石二鳥だと思いますが、何か70年以上昔に縁故疎開で田舎の皆さんにお世話になったことを思い出します。
歴史は繰り返すと申しますが、こんな事は繰り返してはたまらないですね。
2月までのブログを消去しますので悪しからず
次回は6日の予定です。 81トックの呆けてたまるか