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適当が望ましい。

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こんばんは。

突然ですが、先日幼馴染とその母君とお茶をしました。

会ったのは2年ぶりかな?

その時、「この子全然女っ気なくて~ほんと困るわ~」とその母君。

つまりそこそこ遊んでいたはずの息子に最近は女っ気が無くて嘆いているということなのですが、冷静に考えれば、なぜこんなにも恋愛が必ず誰にとっても重要なもので、恋人がいない=かわいそう みたいな図式になっているのか不思議ではないですか。不思議ではないですよね、わかります。でも私はかねてから不思議でした。
恋人の有無を訊かれたりする度、「えー!いそうなのに!」「できるといいね」「いるのいいなー」なんて言葉を聞きますが、恋人がいない人は「えー誰でもいいからいないかなー」「欲しいのにできない」「いるだけいいじゃん」といったほとんどの場合自虐的回答をします。何故なら、そこで「いらないから」「つくらないからいない」といったことを本音で思っていても、言ってしまうと、強がっているように思われたり、不思議な雰囲気になってしまうからです。
つまり、みんなでこの風潮に乗っているから、この伝統は永遠に続くでしょうね。

本当は、逆に絶対なんてことがない世界で、全員が恋愛を人生の充実と捉えている方が不思議ではないですか?

そこで、恋人がいる=幸せ 恋愛の経験が豊富=羨望の的 と捉えることが一般的とされている理由を個人的に考えてみました。
まず、
1.人は本能的な理由(性欲とか寂しさ)によりパートナーを求めるためそれが当然だから。(本能)
2.てっとり早く、最低でも一人からは愛される人間であることが示されるから。(価値の示唆)
3.自分が恋をした幸せな経験をもとに他者にもそれを当てはめているから。(経験)
4.恋愛している人の自意識が、恋愛していない人よりは向上するから。つまりおしゃれになったりするから。(自意識の向上)
5.それが生まれた時から当然として認識されているから。(慣習)

ほかにもいろいろ理由はあると思いますが、ざっとこんな感じだと思いました。

かくいう私もその認識の中で育ったので、こういったことを書いていると、読んだ人からは「あれ?この人ただのモテないやっかみの人?」と思われることを危惧しています笑
だめですね笑

もっとシンプルに考えれば、メジャーとマイナーの関係と同じだと思います。メジャー多数派はそのセオリーが正しいことになるし、マイナー少数派はなんとなく多数派に淘汰されていく感じ。10人中9人肉好きで一人ベジタリアンでもずっと一人でその意見を主張していくのは面倒くさくなるとかそういったことに似ていると思います。

同性愛とかもそういった出発だったのかなと思います。全然おかしくないのに、圧倒的常識から外れていると理解されにくかったり、勝手に自分も型に嵌っている前提で話を進められたり。でもそれってすごいストレスですよね。
ただその根本にある恋愛とかは、さらに圧倒的常識がありますよね。

つまり、疑問を持たずに、何故そうなのか尋ねられたときに答えられない常識は身の回りにかなりあって、知らずうちに自分の常識を他者に当てはめているのでは。



とかいいつつ、上記のセオリーをぶったぎりますが、何故ブス風の人ほどコイバナしたがってくるんですかね…(本題)





(え?)