金融リテラシーの必要性が盛んに叫ばれている。学校教育での現場などでもその例は垣間見られ、当然政府の方針としても金融リテラシー教育が推進されている。
金融リテラシー教育の目的は、自身の資産を運用し、責任を持って管理をするスキルを持ってもらう事にある。お金の運用については、個人が責任持つことは当然なのだが、本当に金融リテラシーをしっかりと身につけることはそこまで簡単なことではない。
実際リテラシーを身につけたとしても、時事刻々と移り変わる時事問題や経済現象を注視しながら、仕事に十分な時間割くことはそこまで簡単なことではない。
だからこそ、資産運用のプロがおり、そこに任せるという選択肢もあるのだが、そうであれば生半可な金融知識を身につける意義は薄いようにも感じられる。
私は金融のリテラシーを身につけようと思う事自体には肯定的だが、学校教育で十分な授業はおそらく難しい以上、それ個人努力に委ねられる。だが、果たしてプロに任せられる(あるいは将来は完全にAIが運用することになるであろう)資産の運用のリテラシーの獲得にそこまで力を入れることが賢明なのか?
金融リテラシー教育に割くべき時間をもっと別のことに割いた方が、あるいは良い選択かもしれないし、一律で全員がそのような教育を受ける必要があるのかも疑問の余地がある。
必要と思う人が学ぶ。それがおそらく正解なのだろう。金融というのは結局難しいところがあり、わかっていないところも多い。そこにみんなが回れ右して学ぶことは賢明ではないし、かえって危険だ。かつて日本でも金融リテラシーゼロな人々がこぞって投資をし、実際失敗している。金融教育の促進は再考されるべきトピックかもしれない。