最近、いろんなことをやめてみている。
そうすると頭の中でいろんな声がする。


「何もしないってダメじゃん」

「何かお金になることしないと」

「そのうち見捨てられるよ」

「それじゃ呆れられるよ」

「怠け癖がつくよ」

「好きなことだけしてたら馬鹿になるよ」

「それでいいと思っているの?」


まー、何もしないことに対して
小姑のように小言を言われる。笑

最低限のことしかしないって、
そんなに悪なのか?

意外と「何もしない」をできる人って、
少ないんじゃないかと思う。

言い訳もしないし、
何の感情もベースになっていない人。

自分はまだまだで、
やっぱり焦りや不安が出る。

それをすべて拾いあげて
潜在意識を書き換えていく。

何に対しても不安や恐怖を抱かずに
生きることは可能だと思っている。

それは挑戦をやめるという意味でも
行動しないということでもない。

自分が何に対して不安や恐怖が湧くか?
なぜそれが湧いてくるのか?

そこを無視するから何度も何度も
同じ感情が湧く。

厄介なのが、無意識だから
本人で気付くのは難しいこと。

忙しいとは真逆の生活をして、
感情を丁寧に拾っていくと
指1本1本が動くことに感謝が湧く。
 

それは絶対に揺らぐことのない感謝。


報酬に対してや、
与えられて嬉しいから
湧くものではない。


ただ在ることへの感謝。


この状態で24時間を過ごす。

そこに焦りや不安の介入の余地なんかない。


在り方が先って、
そういうこと。


確かに、
この何もしてこなかった時間を
時給換算したら、
数十万になるんじゃないかと思う。笑


お金はお金でしかないってのも、
そういうこと。

今の社会の現状を見ていると、
やっぱり感謝が足りていないのかなぁと思う。

「感謝しましょう!」や、
単にありがとうを言うではなく、
感謝が湧く在り方になれていないということ。

「ありがとうって言おうね」
とは教えるけど、
感謝が湧くそのものの状態って
教えられないよね。

だから、
ありがとうとは言葉なのだと理解する。


感謝が湧く


それは24時間ずっとだって良い。

その状態を人は運と呼び、
徳と呼ぶのではないかと思う。

不安や怒り、悲しみ、
その他の感情もいいけれど、
自分は穏やかな状態が好き。

まあ、
オキシトシンやセロトニンも出てるしね。


幸せも脳の状態だと定義できてしまったり、
それをなんだか味気ないと感じたり。


目の前の現状に左右されない。

今まで理解していたメタ認知のさらに上。


あ。

全然、何もしてたなぁ。笑


何もしてないってのも、
単なるその人の思い込みで捉え方だな。


今年は新しくセッションを始める。

感謝が湧く在り方を創るセッション。


日本人がみんな感謝の在り方を取り戻したら、 
どんな事件やニュースがあろうが
この国は幸せになる。

幸せな人だけになる。

 
今年はこれをやろう。