にわかとマニア
~情報化社会と精神成長の関わり~
みなさん、にわか という言葉がわかりますか。それは古文単語のにわか から由来している単語で...まあ簡単にこの場合の意味を取ると その趣味に対しての知識量が少ない、などマニアに比べての趣味に対する様々な総量(目に見えないので表現が難しいですが)が少ないことを言う、マニアが上から見下ろすように使う言葉です。
(ただし、にわかの方々と説明で呼ぶのは非常に失礼なので、造語としてサブカルチュアルビギナー、SBとします。)
昨今のサブカルチャー業界ではマニアがSBをバッシングすることが非常に多いと思います。具体的に言うと、「私は古参で、お前たち新参連中が調子に乗ってるのは許せない」「お前のようなにわかが語るのは許されない」などといったものです。これらのマニアによる発言は一般の人々によって異端として扱われます。
では、このような思考はどのように生まれているのでしょうか。
まず、サブカルチャー...例えばアニメに焦点を起きましょう。これはアイドルなどでも当てはまりますが、わかりやすい例えとしてアニメを提示します。あるアニメ作品を見始めたAさんがいたとします。そしてそのアニメ作品に命を懸けるBさんがいます。Bさんは大袈裟に、人生のほぼ全てをそのアニメに捧げているとしましょう。BさんはAさんがそのアニメを語っているのが許せません。なぜか。それは彼が人生を懸けているほど手塩にかけているからに間違いありません。そう、Bさんは自分の人生をAさんによって犯されたように感じた、ということです。
今のは大袈裟な例をあげましたが、つまりは自己同一性...アイデンティティを否定されたことに憤慨を感じているのです。いったん脱線してアイデンティティについて考えてみましょう。
昔のことを思い出してみてください。子供のころはお父さんと一緒がいい!とか、ハンバーグを友達が頼んだから僕も!...などという経験は誰しもあるでしょう。しかし、いつからかアイデンティティを確立しようとします。その途中で挫折する人が多いのでそうではないと考える方も多いかと思いますが、習い事などもそうです。他人よりも秀でた能力を、自分の意思でないとしても身につけようとします。また、そんなことしてねえよと思う人もいるかもしれませんが、趣味をすることなどは特にアイデンティティの確立をしようとするもっともよい例でしょう。
他人よりも秀でようとするつもりでやってはいないと思いますが、アイデンティティの確立をしようとしていると言えます。
無趣味で習い事もせずなにもしてこなかった人もいるかもしれませんが、なにかしらアイデンティティを確立しようとしているはずです。そう、些細なことでも。
今回はアイデンティティの確立を目指す行為として趣味をピックアップします。先程の例のBさんはアニメに自分のアイデンティティを求めています。つまり、Bさんはそのアニメに人生をかけることによってアイデンティティを確立しているのです。
自分らしくいること...他人より秀でようとする行為ですからこそ、他人にそれを犯されるということはまるで自分を否定されたような気分に陥る。それこそがSBをマニアがバッシングする要因ではないでしょうか。
中学生、高校生は特にアイデンティティの確立に大切な時期です。その中高生が自分の趣味というアイデンティティの確立状態を犯されることによって過激発言が生み出されます。そう、自分のことに敏感な時期なのです。
では、年齢がいっている場合はどうなのか。それはアイデンティティを確立しきった状態で、自分の中で不動の立場を確立しています。それを犯されるのは中高生のアイデンティティの確立状態を刺激することよりももっと危険です。しつこいですが、先程の例のBさんと同じ状態で人生が否定されたようにも感じるでしょう。
みなさん、私がこんな話をしているのはなぜだと思いますか?私は心理学者でもありませんし、こんなこと解明したところでなにかになるわけではありません。
サブカルチャーに関わる多くの人間は、マニアによるSBのバッシングが非常に不快に感じることでしょう。また、自分のことを'にわか'としてバッシングしてくるマニアに対してさぞ腹が立つでしょう。私もそれは言い過ぎじゃないかと思うときがあります。
しかし、それはアイデンティティの確立状態によって起こる、いわば反抗期のようなものです。アイデンティティの確立を目指す少年少女はそれを否定されるように敏感になってしまうのです。だからこそ、マニアがSBをバッシングしているのはマニアが極悪人だからとか精神異常者だとか決めつけるのではなく精神成長としての一貫だとして見つめていくことが大切だと思います。
つまり、そのような発言をみて不愉快な思いをしてもそれを寛大に見ることのできる精神を保つことのできる人間形成が必要であることを示唆します。
もっと大きくまとめると、インターネットによる発言などに過激な反応をすることはなにもならないと言いたいのです。それは人間として自然な行為として、尊重(確かに尊重できるような発言ではありませんが)できるようになってほしい、ということです。
まるでマニアの肩を持っているじゃあないか...そうではありません。
SBの方々の発言に反応するマニアの方々の発言は人間的な精神成長の一貫なので、それを認められるようにしようというのが主張した点ですが、
第一にこのような問題が発生しているのは、精神成長の一貫とはいえさすがに度の過ぎた過激なアイデンティティの侵害反応も原因です。
マニアの方々は、もし自分の癪に障る行為があったとしてもそれを落ち着いて対処できる度量が必要です。まあ、そのための精神成長ともいえるのですが。ただただ過激な発言をするのは精神が子供として見られるますが、実際に精神が子供だからです。反抗期が避けられないように、完全に防ぐことはもちろん不可能ですが、問題になるレベルまでの行為に至らないように自制をするようにすることは必要です。
自制のされていない、行き過ぎた発言はその作品の評価を著しく低下させ、危険だとレッテルを貼り付けられます。さらには、他のマニアの方やノーマルなファンの方に迷惑がかかることも知っておく必要があります。
ただ、その自制がなされないのは現代教育が腐り切っているからに他なりません。
よく情報化社会に関する授業が行われますが、名誉毀損誹謗中傷は後を絶たないではないですか。まだまだ教育が充実していないことは、否定できません。
これからの社会は情報化社会として精神成長との関わりが大きくなってきています。アイデンティティの確立状態のように、少年少女はその未熟さによる誹謗中傷名誉毀損は、後を絶ちません。そのようなことを防ぐためにも、情報化社会は精神成長と深く結びついているというビジョンをもつこと。そして日本の情報化社会に対する教育があまりにも精神成長に関わりをもたせていないことに唾をつけて、この文書の締めとさせて頂きます。ここまで読んでくれてありがとうございました。
2014.4.17 桜の散った頃に
文責 @haruna_bestrode(Twitter垢)
☆みなさまの意見・質問をお待ちしております。お前、偉そうなこと言ってるけど、それはこうだと思うよ。などと言って頂けると非常に参考になりますので、遠慮なさらずご意見ください。☆
~情報化社会と精神成長の関わり~
みなさん、にわか という言葉がわかりますか。それは古文単語のにわか から由来している単語で...まあ簡単にこの場合の意味を取ると その趣味に対しての知識量が少ない、などマニアに比べての趣味に対する様々な総量(目に見えないので表現が難しいですが)が少ないことを言う、マニアが上から見下ろすように使う言葉です。
(ただし、にわかの方々と説明で呼ぶのは非常に失礼なので、造語としてサブカルチュアルビギナー、SBとします。)
昨今のサブカルチャー業界ではマニアがSBをバッシングすることが非常に多いと思います。具体的に言うと、「私は古参で、お前たち新参連中が調子に乗ってるのは許せない」「お前のようなにわかが語るのは許されない」などといったものです。これらのマニアによる発言は一般の人々によって異端として扱われます。
では、このような思考はどのように生まれているのでしょうか。
まず、サブカルチャー...例えばアニメに焦点を起きましょう。これはアイドルなどでも当てはまりますが、わかりやすい例えとしてアニメを提示します。あるアニメ作品を見始めたAさんがいたとします。そしてそのアニメ作品に命を懸けるBさんがいます。Bさんは大袈裟に、人生のほぼ全てをそのアニメに捧げているとしましょう。BさんはAさんがそのアニメを語っているのが許せません。なぜか。それは彼が人生を懸けているほど手塩にかけているからに間違いありません。そう、Bさんは自分の人生をAさんによって犯されたように感じた、ということです。
今のは大袈裟な例をあげましたが、つまりは自己同一性...アイデンティティを否定されたことに憤慨を感じているのです。いったん脱線してアイデンティティについて考えてみましょう。
昔のことを思い出してみてください。子供のころはお父さんと一緒がいい!とか、ハンバーグを友達が頼んだから僕も!...などという経験は誰しもあるでしょう。しかし、いつからかアイデンティティを確立しようとします。その途中で挫折する人が多いのでそうではないと考える方も多いかと思いますが、習い事などもそうです。他人よりも秀でた能力を、自分の意思でないとしても身につけようとします。また、そんなことしてねえよと思う人もいるかもしれませんが、趣味をすることなどは特にアイデンティティの確立をしようとするもっともよい例でしょう。
他人よりも秀でようとするつもりでやってはいないと思いますが、アイデンティティの確立をしようとしていると言えます。
無趣味で習い事もせずなにもしてこなかった人もいるかもしれませんが、なにかしらアイデンティティを確立しようとしているはずです。そう、些細なことでも。
今回はアイデンティティの確立を目指す行為として趣味をピックアップします。先程の例のBさんはアニメに自分のアイデンティティを求めています。つまり、Bさんはそのアニメに人生をかけることによってアイデンティティを確立しているのです。
自分らしくいること...他人より秀でようとする行為ですからこそ、他人にそれを犯されるということはまるで自分を否定されたような気分に陥る。それこそがSBをマニアがバッシングする要因ではないでしょうか。
中学生、高校生は特にアイデンティティの確立に大切な時期です。その中高生が自分の趣味というアイデンティティの確立状態を犯されることによって過激発言が生み出されます。そう、自分のことに敏感な時期なのです。
では、年齢がいっている場合はどうなのか。それはアイデンティティを確立しきった状態で、自分の中で不動の立場を確立しています。それを犯されるのは中高生のアイデンティティの確立状態を刺激することよりももっと危険です。しつこいですが、先程の例のBさんと同じ状態で人生が否定されたようにも感じるでしょう。
みなさん、私がこんな話をしているのはなぜだと思いますか?私は心理学者でもありませんし、こんなこと解明したところでなにかになるわけではありません。
サブカルチャーに関わる多くの人間は、マニアによるSBのバッシングが非常に不快に感じることでしょう。また、自分のことを'にわか'としてバッシングしてくるマニアに対してさぞ腹が立つでしょう。私もそれは言い過ぎじゃないかと思うときがあります。
しかし、それはアイデンティティの確立状態によって起こる、いわば反抗期のようなものです。アイデンティティの確立を目指す少年少女はそれを否定されるように敏感になってしまうのです。だからこそ、マニアがSBをバッシングしているのはマニアが極悪人だからとか精神異常者だとか決めつけるのではなく精神成長としての一貫だとして見つめていくことが大切だと思います。
つまり、そのような発言をみて不愉快な思いをしてもそれを寛大に見ることのできる精神を保つことのできる人間形成が必要であることを示唆します。
もっと大きくまとめると、インターネットによる発言などに過激な反応をすることはなにもならないと言いたいのです。それは人間として自然な行為として、尊重(確かに尊重できるような発言ではありませんが)できるようになってほしい、ということです。
まるでマニアの肩を持っているじゃあないか...そうではありません。
SBの方々の発言に反応するマニアの方々の発言は人間的な精神成長の一貫なので、それを認められるようにしようというのが主張した点ですが、
第一にこのような問題が発生しているのは、精神成長の一貫とはいえさすがに度の過ぎた過激なアイデンティティの侵害反応も原因です。
マニアの方々は、もし自分の癪に障る行為があったとしてもそれを落ち着いて対処できる度量が必要です。まあ、そのための精神成長ともいえるのですが。ただただ過激な発言をするのは精神が子供として見られるますが、実際に精神が子供だからです。反抗期が避けられないように、完全に防ぐことはもちろん不可能ですが、問題になるレベルまでの行為に至らないように自制をするようにすることは必要です。
自制のされていない、行き過ぎた発言はその作品の評価を著しく低下させ、危険だとレッテルを貼り付けられます。さらには、他のマニアの方やノーマルなファンの方に迷惑がかかることも知っておく必要があります。
ただ、その自制がなされないのは現代教育が腐り切っているからに他なりません。
よく情報化社会に関する授業が行われますが、名誉毀損誹謗中傷は後を絶たないではないですか。まだまだ教育が充実していないことは、否定できません。
これからの社会は情報化社会として精神成長との関わりが大きくなってきています。アイデンティティの確立状態のように、少年少女はその未熟さによる誹謗中傷名誉毀損は、後を絶ちません。そのようなことを防ぐためにも、情報化社会は精神成長と深く結びついているというビジョンをもつこと。そして日本の情報化社会に対する教育があまりにも精神成長に関わりをもたせていないことに唾をつけて、この文書の締めとさせて頂きます。ここまで読んでくれてありがとうございました。
2014.4.17 桜の散った頃に
文責 @haruna_bestrode(Twitter垢)
☆みなさまの意見・質問をお待ちしております。お前、偉そうなこと言ってるけど、それはこうだと思うよ。などと言って頂けると非常に参考になりますので、遠慮なさらずご意見ください。☆

