一夜、一回限りの上映。
場所はTOHO系の数か所で行われました。
ドキュメンタリーの批評なんて
正直あんまりやる気はなかったのですが
何ともこの方に対しては

やり切れない思いがあるので
少し書きたいと思います。

作られた内容は

生前に本人がナレーターも担当して

作成されたものだそうで

亡くなる数日前に完成したものだそうです。
本人の半生的な内容となっていて
ソロキャリアがどんなに素晴らしかったか、
どんなに大変だったか、
を他のアーティストの

インタビューも交え進んでいきます。

 

確かに。

素晴らしいキャリアです。
当時「Faith」は爆発的に売れて
R&Bチャートでトップを獲り
アメリカンミュージックアワードで

白人が初めてR&B部門を獲りました。
そうなると今度は黒人からのやっかみです。

次に作成した2ndアルバムは
いろんなジャンルを歌うことで

自身を昇華していく方法を選びました。

しかしレコード会社は

「faith2」に

成りえる同じ路線を要求。
本人は更にツアーでの

精神的体力的苦痛により

レコードのプロモーションを拒否。
ここから

レコード会社との軋轢が生まれます。


当時私が聞いた話は
他のアーティストの彼に対する

バッシングや反論ばかり。

彼の心情までは伝わってこず

レコード会社が裁判で勝訴した時点では

「当然だろ」、と思いましたが

結局当時は本人の言葉は

あまり入ってくることはなかったので
この作品で

多少は理解できる話になっていました。

多少です。

 

彼のパートナーである

アンセルモの病気が発覚し
丁度クイーンのフレディが亡くなり

以前追悼記事で紹介した

トリビュートコンサートで
「somebody to love」を歌った頃

同じ病気で苦しんでいる

恋人がいたなんてことを初めて知りました。
彼に届け、その気持ちで

他のアーティストより

リハーサルに通いました。
すばらしいパフォーマンスの裏には
フレディへの思いもありましたが

彼への思いがあったのですね。

 

レコード会社との裁判に敗れ

彼は上訴し最高裁まで戦うことを選びます。
レコード会社の歩み寄りは断固として拒否。
そこへデヴィッドゲフィンが間に入り

全盛期のメッシが買えるほどの移籍金で

ヴァージンレコードへ移籍。

 

3rdアルバムは

世界的ヒットとは行かないまでも
イギリスでは1st、2ndを凌ぐ

ヒットを記録。
見事なカムバックを果たしました。

その後のビバリーヒルズの

公衆トイレでの逮捕劇など

ありましたが
1stの頃の

精神的に追い詰められたころに比べたら
彼自身どこ吹く風という態度をとるほど

余裕がありました。

それをネタにされたコントに

本人が脚色して出演したり
題材にしたMVも作成したり。

要はヤツは使えるヤツだな、という作り。

 

これをプロモーションと取るか、

ただの今までの経歴と取るかは

本人がいない以上はわからないですが
最後の作品から亡くなる前まで
10年以上経っていたことを考えても
再びのカムバック狙いだったのかなあ、と

思うばかりでした。

それでも、

彼の作曲力や歌唱力は唯一無二の存在でした。
新しい彼の作品が聞けないことが

残念でなりません。


最後に

アーティストたちが

声を揃えて讃えた曲を紹介して

締めさせていただきます。


この作品を20代で書くんだもんなあ。。



こんな感じの文字だけのMVだもんなあ。