「赤毛のアン」を読んで:私が私を愛するためにはマシュウになればいい
”ああ、好きなだけ話をしていいよ。わしはかまわないからな。”これはマシュウがアンに初めて会った日の言葉です。マシュウはこの日、孤児院から子供を引き取るため駅に迎えに行き、アンと出会います。これから一緒に暮らすマシュウと会い、興奮のあまりつい長いおしゃべりをしてしまったアンが、”あたし、あんまり、おしゃべりしすぎて? いつもみんなから、そう言われているのだけれど、あたし、おしゃべりしないほうがいいかしら?”とマシュウにたずねた時、マシュウは”ああ、好きなだけ話をしていいよ。わしはかまわないからな。”と言うのです。アンは生後3か月で両親と死別し、貧しい家庭に引き取られ、子守や家の仕事などを強制的にさせられ、その家の主が亡くなると孤児院に送られる...。マシュウの家に引き取られる11歳まで、アンはそんな恵まれない環境で過ごしてきました。自分は誰からも必要とされない、愛されない、そんな自分だから話も聞いてもらえない、と思い込んできたアンは、この日初めて自分の話を聞いてもらえる理解者、マシュウに出会うことができました。マシュウはアンに出会ったその日から、アンのありのままを受け入れ、常にアンの味方です。子供が育っていくうえで、無条件で受け入れてくれる大人の存在はとても大切。お行儀よくしていたから、美人だから、勉強ができるから、などといったことは関係なく、無条件で自分を認めて100%受け入れてくれる存在があって初めて、子供は自己肯定感を高めることができます。私はそんな自分を認めてくれる人に出会えたアンがうらやましかった。「いつかマシュウのような存在に出会いたい。ありのままの私を誰かに受け入れてほしい。」と思ってきました。常に自分の外側に求めていたんですよね。「自分を認めて!受け入れて!」と常に外側に求め、自分の好きなことよりも、他人が求めるものを優先し、自分が自分のことをわからなくなっていました。しかしある時、「自分自身がありのままの私を受け入れていない。自分が自分を愛していない。だったら私が私のマシュウになって、自分のダメなところ、嫌なところ、丸ごと受け入れて愛していこう。」そう思いました。マシュウのように、関心を持って話を最後まで聞く。自分に向かって”ああ、好きなだけ話をしていいよ。わしはかまわないからな。”と言ってあげる。私が私を愛するにはマシュウになればいい、そう思いました。