人それぞれといいますか、その人のフェーズによるとは思いますが、現在、僕のお金の価値は、モノを買う為では無く、静寂を買うためだと考えてるのに気づきました。
消費の為に存在していないと感じています。
本来買わないといけないモノなどはほんの少しのお金で買えます。
人の稼ぐ行き着く先は派手さでは無く静寂だと(^^)
最終的には群れに合わせる為では無く、群れから離れる為に稼ぐ様になります。
社会の群れに居ればいるほどこころがすり減るのが分かって来ます。
にぎやかさの多くはお互いのエネルギーの奪い合う場所でしか無い。
ペルソナばかりのやりとりなど、
もし選べるのなら誰も選んだりしないはずです。
腹の底と口が一致しない会話。
形だけの笑顔。
計算ずくの距離。
裏表のある関係。
それらは人間関係ではありません。
魂が摩擦するだけの取引です。
本当の冨の正体は自由です。
しなくて良い を選ぶ自由。
行かなくて良い を選ぶ自由。
関わらなくて良い を選ぶ自由。
波長の合う人だけを選び、それ以外を手放し、限られた時間を魂が喜ぶことに注ぐ。
未来を共有出来ない相手とは同じ速度で歩けない。
中年に差し掛かって良い状態はひとに囲まれてる状態ではありません。
雑音から距離を置き、静かに暮らし、次の扉を開ける。
お茶を飲み、本を読み、身体を整え、旅に出る。
これらは贅沢では無く、魂の衛生管理。
そして最後には気づく、孤独と思っていた場所は孤独では無く、成熟した自由な場所そのもの。
ではでは
遠火の強火で焼いた鰤カマ美味しかった♪









