berlin-zoo -2ページ目

berlin-zoo

berlin-zoo

前回のブログをアップしたのと同日に小袋成彬がnoteに文を投稿していた:
新時代
それとインタビュー:
「我々が価値観をアップデートさせていきましょう」
これらを読んであまり新しくないのではないかという印象を持った。老人が多いという人口動態を世代論に結び付けるのが現状に対応しているのだろうが、明治維新のイメージも司馬遼太郎などが広めた老人が好むフィクションである(例えば坂本竜馬は英国の軍需商社の使い走りだった)。

音楽と政治を切断するというのは70年代にシティ・ポップが勃興して以来の日本のポピュラー音楽の既定路線である。
日本のポピュラー音楽の歴史については次の本がよい:
マイケル・ボーダッシュ Michael Bourdaghs
さよならアメリカ、さよならニッポン ~戦後、日本人はどのようにして独自のポピュラー音楽を成立させたか~ Sayonara Amerika, Sayonara Nippon: A Geopolitical Prehistory of J-Pop
日本のポピュラー音楽が対米政治・対米意識と共に変化していく推移が記されている。特に美空ひばりの章が面白い。
この本では70年代以降の扱いが表面的で深掘りされていないが、むしろJ-POPの前史としてはそのあたりが重要で、その頃の変動の影響が現在まで続いていると思われる。
70年代初頭の沖縄返還が日本のポピュラー音楽に与えたインパクトが大きい。細野晴臣のトロピカル路線はその直接的な所産である。
他に横田基地の畔に住んで50~60年代初頭の理想化された米国のイメージに浸る大瀧詠一、学生運動で挫折して政治に絶望し反政治として音楽に向かった山下達郎とか。

最近Twitterで見かけたのだと星野源が書いた文章からもシティ・ポップの先駆者たちがとったアティチュードの変奏をしているという印象をうけた。星野源の場合はサウンド的にも初期シティ・ポップへの回帰を志向しているようだが。
松本隆、松任谷由実がシティ・ポップに乗せて紡いだ詞の抽象的で理想化された都市・リゾート地生活のイメージは80年代前半の消費社会にマッチした。サウンド的には80年代中盤までは英米のポピュラー音楽の流行と同期していたが、80年代後半に米国のヒット・チャートをヒップホップが席捲し始めてから日本のポピュラー音楽は鎖国気味になってJ-POPになった。 

それ以降トラップされループされてる感がつよい