微酔GEMEINSCHAFT

微酔GEMEINSCHAFT

人生はラブレター 長い長い一編の詩

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 どうも。さきちょです。先日の東京は積もるくらいの雪が降りましたが、元気に過ごされていますか。私は風邪をひいてしまいました。というより、正確には先月下旬に崩した体調が完全に回復することのないまま、熱や頭痛がないのをいいことに病院へ行かず仕事を続けていたら、先週末最高潮に悪化してしまったという次第です。なるべく強い薬には頼りたくないと思っていたのですが、あまりの咳・喉痛・鼻づまりにさすがにこれはだめだと家の近くの耳鼻咽喉科へ行きました。幸いインフルエンザは陰性だったものの、チャキチャキした女医さんに「咳の仕方が肺までやられちゃってるかんじだから、もし薬が効かなかったら内科でも診てもらってね」とにこやかに告げられ、ジスロマック・ロキソプロフェン(ロキソニンのジェネリック薬品)・メチスタ・キプレス・セレスタミンと強い薬の処方オンパレードとなってしまいました。夜は自分の咳で眠れないし、肺が苦しくて声もほとんど出せません。身体の調子はまったく悪くないのに呼吸器系だけこんなにやられてしまうなんて、変な症状です。電話応対など仕事に支障が出てしまうし、いつまでも体調不良でいるのが自己管理のなってなさを象徴しているようで本当に恥ずかしい。何事も早めはやめが肝心ということが身に沁みてわかりました。今度はすぐ病院に行くようにします。反省・・・。シュン。

 22日は年賀状のお年玉の当選番号の発表日でしたね。私は4等の切手が1枚当たりました。去年は1枚も当たっていなかったので、運は上向いてきたと捉えたいです。(笑)毎年この当選番号チェックと年賀状整理でやっとお正月気分が抜ける気がするのですが、地元の商店街は年明け早々にバレンタインデーの商品が並び始めていました。ハロウィン・クリスマス・お正月・バレンタインは、実際の日にちは結構離れているのに、店先にはそれぞれの関連商品が並んでいる時期があるから、秋の始まりから冬の終わりまで毎日絶え間なくイベントごとで、いつが本当の当日なのかわからなくなってしまいそうです。これからの2~3週間は都心の繁華街なんかはさらにすごい賑わいになりそうですね。バレンタインは誰かに渡すか渡さないかに関わらず、その賑わいを感じるのはなかなかいいものです。東急ハンズなんかのフェア特設会場には毎年面白い商品が置いていたり、いつも行くカフェやケーキ屋さんにバレンタイン仕様の特別なケーキが出ていたり。「かわい~♪」なんて言いながらあげる当てもないのについつい買っちゃったりして。正統派な過ごし方とは言いがたいかもしれませんが、せっかくのイベント。ラブラブハッピーな気分のおすそわけにあずかっちゃおうという所存です。
 バレンタインデー。みなさんにはどんな思い出があるでしょうか。私には、この2月14日に忘れられない苦い思い出がひとつあります。それは小学1年生のこと、当時私にはいつも一緒に下校しているSくんという同じクラスの男の子がいました。と言っても、今どきの子どもたちのようにおませさんではありませんでしたので、好きとか嫌いとかそういう感情はまったくなく、帰り道が一緒だからというただそれだけの理由でした。ひょろっと背が高くて顔が小さくてつぶらな目のかわいいSくんと、何を話すでもなく毎日一緒に帰っていました。私はその頃男の子が怖くてあまり話したりするほうではなかったので、一緒に帰るということはわりと気が合う性格同士だったのかもしれません。そして私たちのクラスにはYさんという夏から転校してきた女の子がいました。顔はあまり印象に残っていないのですが、ひとりっ子らしくいつもおしゃれな格好をしていて、パーマをかけていて、兄のおさがりが多かった私には眩しく見えたのを覚えています。そしてちょうど今頃の時期、その子がクラスの女の子を家に招いて自分のお誕生日会をやるということを知りました。彼女から誘われたのではなく、クラスの女の子から聞いたのです。ショックなことに、普段私が仲良くしている女の子たちはみんな招待されていたのに、私だけが知らなかったのです。私は彼女になにか嫌われるような悪いことをしたかなぁとすっかり落ち込んだ気分になってしまいました。女の子たちはプレゼントを何にしようかとか当日は○○をするんだってとか楽しそうに話していて、私は誘われていないことを言えませんでした。そしてそれを知った何日かあとの帰り道、誰にも言うつもりはなかったのですが、いつものようにSくんと二人で歩いているうちにそのしょんぼりした気持ちが戻ってきてしまい、「今度Yさんのお誕生日会があるんだけど、私だけ誘われなかったんだ。。」とつい話してしまいました。するとSくんは、いつも一緒に帰っていることで同胞意識みたいなものが芽生えていたのでしょうか、「なんだそれ!俺が言ってやる!」といつになく怒り出したのです。私はお誕生日会自体知らないことにしたかったし、誘われていないことを気にして誰かに言ったなんてYさんに知られるのは嫌だったので、そんなことされたら困ると思い、「いいよ!やめてよ!」と必死で止めました。でも次の日、Sくんは私を振り切りYさんのところへ行って本当に「お前なんでさきちょだけ誘わないの?かわいそうじゃんかよ!」と言ってくれたのです。言わないでと止めたものの、Sくんがそうやって言ってくれて、なんだか救われたような気持ちになりました。結局お誕生日会には誘ってもらえませんでしたし、Yさんからはなぜか意地悪なことを言われたりとずっと嫌われたままでしたが、そんなことは気にならなくなったし、なによりSくんの気持ちがうれしかったのです。それからも毎日、やっぱり何を話すでもなくトボトボと二人で下校しました。そして2月13日、その年のバレンタインデーは休みの日だったので、いつも別れるフェンスのところで私は「明日ここでチョコあげるね」と言いました。Sくんも「うん」と言いました。
 ・・・なのに。それなのに。信じられないことに、私はその場所に行かなかったのです。チョコだって、前日からちゃんと準備もしていたのに。りぼんを買っても「ときめきトゥナイト」も「マリンブルーの風に抱かれて」も恥ずかしくて読めず「てこてこはこべ」や「ちびまる子ちゃん」や「こいつら100%伝説」ばかり読んでいたようなスーパー・シャイ・ガールだった私は、それまでただの友達と思っていたSくんをチョコをあげるという行為によって男の子として意識してしまった途端、ただただ恥ずかしくてどうしていいかわからなくなってしまったのでした。月曜日からもいつもと変わらず一緒に下校しましたけれど、あのフェンスのところに来てくれたのかは聞けませんでした。Sくんもそのことは何も言いませんでした。
 あれから20年以上経った今ならわかります。自分がなにかに落ち込んでいるとき「俺がなんとかしてやる!」と言って実際行動してくれる男の人が、どんなに貴重な存在であるかということを。でもそんなこと当時の私は知る由もありませんでした。あのフェンスのところにぽつんと立って私を待ってくれていたかもしれないあのひょろっと背の高いSくんがどんな気持ちでいただろうかとを思うと、今でも「なんで!!なんで行かなかったの!!」と自分の頭を壁に打ち付けたい気持ちになります。照れや気恥ずかしさなんて振り切って、まっすぐ感謝の気持ちを伝えればよかった。あんなふうに味方になってくれた大切な人に、私はひどい仕打ちをしてしまったのです。もしもタイムマシンがあるなら、あのフェンスのところへ行って、20年分のチョコを渡して、「あのとき、ああ言ってくれて、本当にうれしかったんだよ。君は男前だ」と言って小学1年生のSくんを抱きしめたい。この季節に食べるチョコがどれもちょっぴりほろ苦いのは、たぶん後悔の味がするせいです。


寂しいのは 孤独だからじゃない

誰かがいた感覚を覚えているからだ

冷えた手を温める存在の感触を思い出すからだ


でも やがて すべて忘れる

僕はもう この手がどんなにかじかんでいるかさえ 忘れてしまっていた

君のその冷たさに驚く顔を見るまで


人は何もかもを忘れ 何もかもに慣れていく

幸せにも不幸にも


すべては過ぎ去り 移り変わっていく

幸せも不幸も


そのたびに泣いたり浮かれたりするのは

まったく馬鹿げていると思わないか?


だけど

だけどあと少し

その手を重ねていて欲しいと思う


今はあと少し

その照れた笑顔を見ていたいと思う



いつか移り変わっていく

そのギリギリまで




 どうも。さきちょです。新年あけましておめでとうございます。去年最初の日記を読み返して、ここ数年ほぼ変化のない年末年始を迎えていることを再確認してしまいました。小さい頃は母方の祖父母と一家6人で毎年どこかの温泉で年を越すのがお決まりだったのですが、高齢の祖父母の体調があまり思わしくないため、最近は出かけるのをひかえています。年を越すときの旅館の雰囲気などがいまだに私の中に残っているので、自分の部屋にしろ実家にしろ家でお正月を迎えるとどうも年末年始感に欠けるような気がしてしまいます。友達には親戚一同大集合する人たちも多いようですし、勤務先の男性(3児のパパ)は、毎年お子さんをおじいちゃんおばあちゃんの家に預けて元日早朝から奥さんと2人でスポーツ用品店の福袋を買う列に並ぶのがお決まりになっているとのことでした。家々によっていろんな過ごし方があるものですね。小さい頃の印象ってすごく残るものだから、そのお子さんたちはお正月と言えばお父さんとお母さんがサッカー用品やゴルフ用品の福袋を抱えて帰ってくるというイメージになっているんだな、と思ったらなんだか微笑ましく感じます。
 かく言う私は、仕事が始まるギリギリまで実家にいると本当にだらけてエンジンがかからなくなってしまうような気がしたので、今年は少し早めに自分の部屋に戻ってきて、年末に借りたDVDを見ながら大掃除の続きをしたりしています。私は一人暮らしをしてはじめて住んだ部屋にいまだに住んでいて、もう2回ほど更新をしているのですが、長く住むと室内がきれいなのか汚れているのかその標準がわからなくなってしまいます。自分の家のにおいは自分ではわからないので気になっても確認しようがない感覚と似ているでしょうか。わりとマメに掃除はする方なのですが、大掃除なるとどこまでやっていいのか、どこまでやれば“大掃除を済ませた”と言える状態になるのか、折り合いをつけるのが本当に難しい。すべてやりきった!という実感や達成感のないまま進める掃除はなかなかの精神力を必要とします。“さっきから一生懸命こすっているけれど、ほとんど落ちてなくない?”“もしかしてよく汚れが落ちる全然別の方法があったりして”“それともこれは物件の年季として受け入れるべき類の汚れなのか?”“いろいろやってるけど結果として汚れを薄く広げてるだけな気がしてきた。。”自問自答と試行錯誤とネット検索を繰り返しながら、気がつくと夜が明けていたりします。自分ひとりだとどうしても同じ場所ばかり掃除してしまって目が行き届いていない場所があったりするだろうな、なんて思ってしまうと、決して広くはない部屋ですがどこまで言っても達成感、「終わった!」という感覚が持てません。そんな不毛な気持ちで床や壁の汚れを歯ブラシで磨いているうちに、大掃除は誰かに採点されたりすることのない/合否や白黒のはっきりしない事柄に対して「やれるだけやった、ベストはつくしたさ」と割り切る力をつける精神的な自己鍛錬のイベントなのかもしれないと思えてきました。私の前にこの部屋に住んでいた人がつけた接着テープの跡なんかが取れなかったりすると、なおさらこの割り切り力が必要です。“なんでこんなところに接着テープでタオルかけなんかつけちゃうの!?貼り方も雑でななめってるし!跡も取れないし!こんなの私がつけたと思われるの、耐えられない!タエラレナイ!”・・・文句を言いたくても、彼はもうsomewhere in the world.自分がつけたタオルかけがこんなにも一人のうら若き乙女を悩ませていることなんて知らないで、世界のどこかで料理上手な奥さんがつくったお雑煮に舌鼓を打っていることでしょう。しかたありません。ぐっとこらえて、歯ブラシ右手に床磨きです。いやぁ、大掃除って、奥が深いですね。

 1月1日だったり4月1日だったり自分の誕生日だったり、365日単位で区切りをつけて振り返る機会というのは1年のうちに意外と何回も訪れるもので、そのたびに振り返ったり総括していると、なんだか年中振り返ってばかりいるような気持ちがしてしまいます。特に、2011年がどんな年だったかを言うことは、個人的な事柄にしろ社会的な問題にしろとても難しい。私も日本もまだ大きなうねりの只中にいて、あらゆる意味で「収束」には程遠い状態であると感じています。むしろ今は発生した問題が陰に陽に大きく広がっている途中のような感覚のほうが強いのが正直なところです。だからまだもう少し、この1年を振り返ることよりも前を見つめる・見定めることにフォーカスしたい。そして、この流れで言うと矛盾するようにも聴こえてしまいそうですが、私は今年1年を「温故知新」というテーマを持って生きることにしました。万有引力を発見したアイザック・ニュートンは、自分自身の偉業について尋ねられた際、「もし私が他の人よりも遠くを見ているとしたら、それは巨人の肩の上に立っているからだ」と、先人たちへの敬意と謙遜の意を示したそうですが、こうした大きなうねり・激動の中にあって、めまぐるしく目先に現れる物事に一喜一憂してしまわずにいるためには、何か心の指針/軸足となるものが必要で、それはこうしてインターネットで世界中の今現在に視野を広げることもひとつかもしれませんが、自分が今居る場所にかつていた人々(私の部屋の前住人は別として)つまり先人の残してくれた経験と知恵を謙虚に学ぶことに勝るものはない気がしています。最近は自分の住んでいる世田谷区の歴史なんかも読んでみたりしているのですが、地名ひとつとっても、その由来に学ぶべきところはあります。これからも地震大国であり続けることを誇示するかのように、列島は元旦早々その身を震わせましたが、そんな場所で脈々と命をつないできた有名無名の人々の声に耳をかさずに、何をか聞かんやです。そうした視点から立ち返って現在を見つめると、自分にとってはじめてで真新しいことに感じることの多くは、表面的な形こそ変われどもう何度も繰り返されてきたことだと知ることができ、それはこの先の見えない不安定な世の中に対峙する勇気を与えてくれます。ニュートン級に歴史に名前を残したいかどうかは人それぞれにしても、現在この国に蔓延している不毛な価値観の多くは絶対永遠なものでもなんでもないと知ることで、息をするのが楽になる人はたくさんいるのではないでしょうか。私の職場でも、それぞれ7月・10月に転職してきてからこの年末までのわずかな間に精神的にまいってしまい休職・移動された方(どちらも男性)がいます。私自身もHard to surviveを身に沁みて感じている日々ですが、彼らが手放すのが自分の命や人生ではなく、自分を苦しめている価値観であってほしいと願わずにはいられません。盲目的な“滅私”は何より有害な美徳です。生きてさえいれば、見方さえ変えれば、世界はいくらでもその姿を変えるけれど、苦しんでいる最中にそのことを文字面ではなく実感として感じることは本当に難しい。押し付けられる、あるいは自分自身を縛ってしまう価値観に息苦しさを感じながら、どんな生き方が自分にしっくりくるかわからないでいるのは、その選択肢の存在に気付けないからではないでしょうか。そんなときはあまり思いつめず、散歩がてらの気楽な気持ちで、一度図書館に行ってみてほしいのです。流行や出版社や書店の都合/利益に左右されない無数の宝石たちが、無限の価値観/選択肢を用意しながら、あなたとの対話を待っているのだから。そしてその古ぼけた背表紙をたどる指と指がふと触れ合ったら、私と恋に落ちましょう。チャオ♪
 


 どうも。さきちょです。なんとか逃れ逃れてきた風邪に本格的につかまってしまいました。今年いっぱいは逃げ切ろうと思っていたのにな。私が“あぁ風邪につかまった”と思う瞬間は、まずゾワンゾワンと悪寒がして、耳とほっぺたが熱くなってきます。俗に言う熱から来る風邪というものでしょうか。2歳の頃に肺炎で入院したことがあり、それ以来気管支が弱いので、さらに悪化すると自分の咳で眠れないほど咳がとまらなくなってしまうのですが、ここ数年はそこまでのものはかかっていません。今回も悪化しないうちに早く治したいな。。こういうときはついついすぐに効きめがあらわれる横文字の強い薬に手を伸ばしたくなりますが、「女の子は子どもを産むまでなるべく薬を飲まないようにしなきゃダメよ」という小さい頃からの母の言葉が心のストッパーになっているようで、葛根湯などの漢方薬やすりおろした生姜でなんとか凌(しの)いでいます。心身一如という言葉もあるように、身体が不調だとついついネガティブ・シンキングに陥ってしまうので、はやく元気になっていつもの私を取り戻したいです。(ちょっと声が小さくておとなしいだけで、根は素直で明るい子なんですよ、私。笑)
 毎年クリスマスに手作りのカレンダーを送ってもらっている写真が趣味の友達に今年もお願いできるかメールで聞いてみたところ、「もちろん!」という返事が返ってきました。なにかお願いことをして「もちろん」なんて言われちゃったら、頼もしさにクラッときちゃいますね。2012年を彩ってくれる彼女の写真12枚が今からとても楽しみです。夕ご飯の買い物帰りに年賀状も買ってきたので、今夜から少しずつ書き始めようと思います。みなさんはどんなお知り合いに年賀状を送られますか?社会人になってから仕事以外で知り合った方に年賀状を送るようなお付き合いをするようになることは、一般的に多いものなのでしょうか。私の父は凧揚げや山登りが趣味で、それを通じて知り合った方などにも年賀状を送っていた関係からか、年末はいつも実家の床やテーブル一面が年賀状だらけだったのを覚えています。300枚くらいは送っていたでしょうか。何か趣味があるということは、そのものの楽しさだけでなく、同じ「好き」を共有できる人たちとつながることができるところがすばらしいですね。私は小さい頃から父のそうした趣味で出かける場所によくくっついて行っていたので、楽しそうにしている父を見てはそう思いました。

 私が友達に招待してもらってはじめて利用したSNSはmixiでしたが、入った当時はインターネット上だけで知り合うということにかなり抵抗感があり、なんのつながりもない人から突然フレンドリーな文体のメッセージが送られてきても、返せずじまいになることがほとんどでした。同じ「好き」や「こだわり」を持った人たちが集まるコミュニティという仕組みがあること知ってからは、自分の趣味嗜好が当てはまるそれを見つけては入ってみたりしたものの、やはり積極的にアクションすることはなく、入ったきりになることが常でした。それが今から3~4年ほど前、ほんの気まぐれにスイカが好きな人の集まるコミュニティに自分の食べたスイカのことを書いたことがきっかけに、Kさんという北海道でスイカ農業を営まれている方にレスポンスをいただいたのです。私は小さい頃からスイカが大好きで、特にその年の夏は一人暮らしなのをいいことに、毎日主食のようにスイカばかり食べていました。けれど、熊本産・北海道産・長野産などという表示は見るものの、それが作られている様子を具体的に想像したことはありませんでしたし、まして実際に作っていらっしゃる方とお知り合いになれるなんて思いもしなかったことです。「収穫の様子などを書いていくので見てみてください。」というお誘いから拝見するようになったKさんの日記には、2月の種まき・4月の苗植え・5月のスイカのツル剪定・6月の初出荷の様子などなど、そして収穫前に鹿や熊に食べられてしまった際の写真などがKさんのそのときそのときの思いとともに載せられていて、ひと夏に並ぶあの鮮やかな緑と黒の大きなボールがいかに人の細やかな気配りと苦労の結晶なのか、農業を営まれる方がいかに情熱と誇りを持ってお仕事をされているのかを知りました。本やテレビといった第三者による何かしらの演出が施される媒体を通してではなく、実際の作り手である農家の方が直接更新されるリアルタイムの日記を通してそうした自分の知らない世界の実情を知るということは、こうしたインターネット上のサービスがなければなかなかできないことでした。またKさんは、ただのスイカ好きの私のことを大都会東京でひとりがんばる姪っ子を遠くから見守る叔父さんのように健康や仕事のことなどを気遣ってくださり、毎年夏にはその苦労の結晶であるスイカを「これで夏を乗り切って」と送ってくださるようになりました。こんなふうに「スイカが好き」というただ一つの共通点から、行ったこともない遠く離れた土地の、自分がまったく知らない農業という業界に身を置かれている方と、親戚のようなお付き合いができるようになる出会いがあるなんて。普段は気軽に言葉を交わさせていただいていますが、このまえ何気なくGoogleマップでKさんのご住所を検索し、私の住んでいるところとこんなに離れているのか!と改めて驚いてしまいました。
 そして今年の秋の初めごろ、いつも髪を切ってもらっている(「年に二度でも常連さん」という記事にも書いた)美容師のTさんと飼っているうさぎの話をしていて「うさぎって果物もよく食べるんですよ、スイカも大好きで・・・」という流れからこの話をしたら、「そんなこともあるんですねぇ」としみじみ感心してくれ、「実は私の実家も青森で林檎農家をしていて毎年たくさん送ってくるから、よかったら食べませんか」と言ってくださったのです。つい先日、本当に携帯に林檎が届きましたと連絡があり、立派な赤いふじ林檎を5つもいただいてしまいました。TさんもKさんも私の心の中ではとても大切な人で、心の中でバラバラに存在していたその二人がこんなふうにつながって、ただ林檎をいただいたということ以上に素晴らしいものをもらったような、本当に幸せな気持ちになりました。

 この日記のタイトルに使っているGEMEINSCHAFT(ゲマインシャフト)というのは、私が学生時代に専攻していた社会学の用語で、フェルディナント・テンニースというドイツの社会学者が提唱した「地域や血縁から自然発生的に形成された集団・つながり」という意味の概念です。会社や大都市のように「利害関係に基づいて人為的に作られた集団・社会」という意味のGESELLSCHAFT(ゲゼルシャフト)と対を成すこの言葉を私が気に入っているのは、何らかの利益のために人が集まったというわけではなく、自然発生的に、いわゆる“縁あって”親しくなったような関係をとても大切に思っているからです。この日記もここからそんな関係が築けたらいいな、そんな関係の人たちとのことを記していきたいな、という想いをこめてこの言葉を使いました。
 インターネットの特徴=匿名性・閉鎖性というのが今までの一般的な感覚だったかもしれませんが、私は「隠している姿までも明らかである」点において既存のメディアと比べてもすごくオープンな場だと感じるようになってきています。SNSに限ったことではないですが、これからもとことん匿名性を利用して発信するスタンスをとる人もいるでしょうし、すべてを公開したうえで発信する人もいたり、それを自分のバランスで使い分ける人も多いはずです。そこに「インターネットの使い方はこうあるべき!」という模範解答を求める必要はなく、受け取り手はたくさんの発信者ひとりひとりのそのさじ加減やスタンスを感じながら、その言葉や情報のひとつひとつの信憑性や妥当性を各自で判断していくのが理想的なかたちなんじゃないかなと思っています。私自身も含めて多くの日本人は「正解はひとつである」ということを何かを学ぶ・考える際の前提として無意識下に染み込むくらい叩き込まれてきたように思います。でも今年身をもって感じたのは、多様であること・雑多であることによってこそ保たれる健全性があるという事実です。とするなら、私自身はインターネットを自分の中でどう位置づけるのか、どういうスタンスで向き合うのか。それを考えると、やっぱり私は直接対面で接するときとできるだけ変わりなく、相手に対する敬意と誠実さを持って発信したり受信したりしたいなぁと思うのです。それがインターネット上であろうとなかろうと、私にとっていちばん価値のあるものは、そうしたお金には換えられないゲマインシャフト的なつながりだからです。世の中にはKさんのように私の知らない世界に身を置き、知らない状況の中で、知らない価値観を常識として生きている人が無数にいて、その姿や言葉から私が学ぶことは無限にあるはずです。出会い出会いと血眼になる気持ちはないですが、ふとしたことから敬意を込めたあたたかい言葉を交し合える関係を築くことに、いつでも心を開いていたい。
 そのときこわいのは、せっかくそんな相手と出会えても、私自身の態度が匿名性によりかかって不躾(ぶしつけ)であったり安易・粗雑であったりすれば、相手がその内に秘めている素晴らしさを知ることは叶わなくなってしまうということです。実際にそんなやりとりを目にすると、自分のことでなくともとても悲しい気持ちになります。インターネットが自分とはまるで違う生活環境やバックグラウンドを背負って存在している人たちと気軽に言葉を交し合う機会を与えてくれるものだからこそ、まっすぐ目を見て握手の手を差し出すような誠実な気持ちで相手と向き合うことを、私は忘れずにいたいなぁと。・・・なんだか堅い話になってしまいました。気がつくとすぐこうなってしまいます。今夜はすこし“微酔”のこころが足りなかったカナ。(笑)


微酔GEMEINSCHAFT
初めて届いたスイカに我が家のうさぎも興味津々。

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においがするのでしょうか。大興奮です。

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しあわせな重さ♪(これは自分で買ったものです。Kさんの西瓜は縞模様まで綺麗)

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Tさんからいただいた林檎でジャムを作りました。

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たくさん作ったので載せ放題です(笑)


 どうも。さきちょです。先日は皆既月食がありましたね。みなさんはご覧になられたでしょうか。当日はすっかり忘れていたのですが、いつもの癖で家へ帰る道すがら月を探すと、けっこうな欠けっぷりで、あぁ今日だったかと足をとめて見入ってしまいました。私の家の近くは道が細めで車通りも多いので、そのまま見上げているのも危険なため、少し広くなっているバスの停留所に移動して上を見続けていると、「あら、真上じゃないの」とバスを待っていたおばあさんが声をかけてきて、「空気が澄んでるからよく見えますね」「真っ暗にはならないのね」「首が疲れちゃうわ」なんて他愛の無いことをお互い上を向いたままぽつぽつ話したりしました。気がつくと私とおばあさんのほかにもバスを待つ人や通りがかった人が足を止めて上を眺めていて、けっこうな人数になっていました。みんなひとりで見上げるのはちょっと心細かったのかな?(笑)しばらくして来たバスにおばあさんは乗り込んでいかれて、動き出すバスの中の彼女と外の私で目があったので笑顔で軽く会釈しあって別れました。普段はもっぱら部屋にひとり、どこか行くにも単独行動が多い私ですが、街へ出ると老若男女を問わず見知らぬ人となにげない会話を交わすことが少なからずあります。電車の中だったり、カフェで隣り合った人だったりという本当にその場限りの、一期一会の会話ですが、案外そういうもののほうが何年も鮮やかに覚えていたりして。言葉を交わさなくても、目が合ったとき微笑むだけで空気が穏やかになったり、それだけで心が元気になったりすることもあります。回数にしてみると、そうした無言の会話のほうが多いかもしれません。

 皆既月食の日は、家の近くの大戸屋(チェーンの和食屋さん)で仕事関連の参考書を読んでいたのですが、私の座った店内中央の大きなテーブル席は角が鋭角になっていたので、近くに座った人と肩を寄せるように向き合っていました。私の隣に座った30代半ばくらいの女性が連れている3~4歳の男の子がとてもおしゃべりな子で、「ハンバーグもっと小さく切ってちょうだいよ」「オレンジシュースなかった?いいよカルピスで」と妙におませな口調でひっきりなしにお母さんに話しかけるものですから、私はかわいらしくて思わず笑ってしまったのですが、そのとき私の向かいに座ってひとりで食事をしている30歳半ばくらいのお兄さんとちょうど目が合ってしまい、お兄さんもその子を微笑ましく思っていたようで、ふたりで笑ってしまいました。それをそのお母さんも気づいて「ほら、笑われちゃったよ」と笑いながら言い、男の子もちょっと照れくさそうな顔をしてもじもじしていました。そのときなんだかその鋭角の席に座った4人で食卓を囲んでいるようななごやかであったかい空気が流れた気がしました。私はそういう瞬間が大好きです。混みあった電車の中や飲食店で見かける小さいお子さんを連れた若いお母さんは、自分の子供が他の人の迷惑になっていないか神経をすり減らしているように感じられるときがあります。彼女たちは周りの人から責められているように感じてしまうから、自分の子どもに声を荒げてしまうように見えるのです。そんなとき、声に出して話しかけなくても“かわいらしいですね”“大丈夫ですよ”という気持ちをこめて微笑むと、お母さんも気持ちがゆるんだように笑ってくれ、ヒステリックに叱らずにいてくれる場合が多いので、そういう雰囲気のお母さんに出くわしたときはなるべく微笑みかけるようにしています。もっとも、子どもたちがかわいらしくて、意識するまでもなく微笑んでしまう場合がほとんどですが。。

 古くは中学校の校長先生に、ここ最近では隣の課の課長さんにと、私はしばしば笑顔をほめていただくことがあるのですが、ここで秘密をばらしてしまうと、私の笑顔は、実は「せめての笑顔」なのです。頭の回転が人より遅いのか、現実の対面のコミュニケーションでは何か言われたときに咄嗟にうまく返事を返すことができなかったり、なんと言っていいのかわからなくて言葉に詰まってしまう場面が多々あります。これは今に始まったことではなく、覚えているかぎり幼稚園に通っていたときにはもう既にそうでしたので、年のせいではないはずです(笑)。言われたことについて内面ではまじめに受け止めて考えてはいるものの、わかりやすい反応がないので相手は私がその話題に興味がない/聞いていないと思ってしまい、よくよく考えてしばらくたったあと「あれなんだけどね・・・」と私なりに考えたことを言うと、「反応が薄かったからあまり興味がないのかなと思ったのに、そんなに考えてくれてたんだね」と笑われてしまったりします。おしゃべり好きの女性が集まったときの会話は特にテンポが速いので、ほぼ口をはさむことができません。次から次へと彼女たちの口から繰り出される面白い話題を、心に受け止めていろいろ考えはするものの、それを聞いてもらえるような気長な(忍耐力のある?)人はなかなかいません。私は声も低いですし、話し方もゆっくりですので、きっと相手は眠くなってしまうと思います。ですので、こうして宛名の無い手紙にしたり、飼っているうさぎをなでながら聞いてもらったりしてやり過ごしているわけです。・・・なんだか脱線してしまいましたね。そうそう、「せめての笑顔」についての話でした。そうやって咄嗟にうまく反応できない私が、相手にYesやOKや大丈夫だよといった気持ちや、困ったなぁ/照れるなぁといった感情をなんとか伝える方法として、いつの間にかとるようになったのが「気持ちをこめて微笑む」ことでした。だから私の笑顔は「うまく言えないけれど、あなたやあなたの言っていることに好意的な感情を持っているんだよ」ということをなんとか伝えようという気持ちの表れなのです。“なんにも言えないならせめて微笑もう”という意味での「せめての笑顔」。こんなに口下手でなければ、もっと物怖じせずよくしゃべる社交的な性格だったら、私はこんなに微笑むことはない人間だったかもしれませんし、こんなふうにひとりで考え事ばかりして、つらつらと文字を書き連ねるようなことはなかったかもしれません。どちらがよかったのかはわかりませんが、こんな性格に生まれついてしまった以上、今は“こんな人間がひとりくらいいてもいいんじゃないかな?”くらいの気持ちでいます。それでも職場の話好きな中年男性なんかにたまに言われる「さきちょさんっておとなしいよね。根暗なの?」なんていう言葉には傷つかないわけではありませんが・・・。そんなときも他の女性のようにバババッとうまく言葉を返せないので、やっぱり「せめての笑顔」になってしまいます(笑)。それに、おしゃべりが得意な人にはわからない感覚かもしれませんが、気持ちをこめて微笑みあうと、見知らぬ他人どうしでも、言葉を交わし合う以上に気持ちがつながったような、本当にあったかい心地がするんですよ。私はこの感覚を口下手の特権だと思って、大事にしています。

 そして、私が笑顔について心がけていることはもうひとつあります。それは「自分から」微笑もうということです。初対面の人と話すときはもちろん、顔見知りの人でも友達でも家族でも、挨拶を交わすときや会話を始める際は、いつもプラスマイナスゼロのフラットな状態ですよね。それが険悪な雰囲気や気まずい雰囲気になってしまうか、なごやかでリラックスした雰囲気で会話が進むかは、話の内容よりも話しはじめの表情に因(よ)るところが大きいと思うのです。とくに私は聞き役に回ることが多いので、話す側の相手がリラックスした気持ちで話せる雰囲気をつくるのは私の役割だなぁと感じていて、「ちゃんと聞いてるよ」「ちゃんと伝わってるよ」「怒ってないよ」「批判的な気持ちで聞いているわけじゃないよ」といった気持ちをこめて微笑むことを心がけています。そうすると相手も段々と心をゆるしてくれ、リラックスした気持ちで自分の考えや想いを話してくれて、楽しい会話になります。誰でも相手がブスッとした顔をしていたら、面白いはずの話題もうまく話せなくなってしまいますよね。そうなってしまうよりは、最初は意識的にでも私から微笑めば、相手も笑顔になってくれることが多くて。逆に私も、自分がいくら微笑んでも相手があまり笑ってくれないと、かなしくなって笑顔になれなくなってしまったりもします・・・。「相手の表情は自分の鏡」という言葉もあるくらいですもんね。もしあなたに意中の人がいて、その人に笑ってほしい、彼/彼女の笑顔が見たいと願うなら、まずはあなたから勇気を出して微笑んでみてください。私もすごく物怖じする性格ですので、緊張する気持ちはとてもわかります。でもだいじょうぶ。目が合ったときに、軽く会釈して微笑むだけでいいのです。心をこめて微笑めば、きっとその人も笑ってくれるはずです。微笑み合うだけでこんなにあったかい気持ちになるんだって、びっくりするはずです。そこから心の中で、何かがはじまるはずです。クリスマスまであとわずか。さぁ!まずはいつも行くコンビニの店員さんで練習練習!(笑)


なんてきれいに光るんだろう
君が残した鍵を見つめて
まるで捨て犬みたいに
小さくうずくまったんだ

惹かれあって
ふざけあって
求めあって
言い争って

僕たちはいつも嵐の中にいたんだ
僕は君を自分の帰る場所のように感じていた
傷つけられても、傷つけても
それは君が僕を
僕が君を愛するからだと思っていたんだ


でも君は、嵐の中に見失ってしまったんだね
僕や、僕を愛している君のことを


もしこの世界に完璧なものがあるというのなら
それは僕たちだったんだ
あの日の僕たちは完璧だった
互いがやがて、今より自分を守る術を知っても




なんて寒くて広いんだろう
ベッドに犬を乗せてやる
君みたいにいい匂いはしないけど
ここを家だと思ってくれるから


今でも時々考える
君が送ったかすかな信号を 
僕は見落としはしなかっただろうかと
ふと伏せた瞳は、動きかけた唇は
何を意味していたんだろうと


でもそれが何なんだろう
僕は君を愛して
そして見失っただけ


もしこの世界に完璧なものがあるというのなら
それは僕たちだったんだ
あの日の僕たちは完璧だった
互いがやがて、もっと上手に人を愛せたとしても
















 どうも。さきちょです。ここ数週間の寒暖差の影響か、いつもは静かな私の職場もあちらこちらで咳やくしゃみが響いています。幸いにも私自身は今のところ大きく体調を崩していませんが、自分の風邪の引きやすさ/一度引いた風邪の治りにくさはよく自覚していますので、厚手の靴下を履いて寝たり、湯たんぽしたり、うがい手洗いはなるべくこまめにを心がけたりしています。日々気温に合わせて着ていくものに気を配りながらも、クーラーも暖房も必要のない心地良い(ちょうど今日のような)秋晴れの日には、“こんな季節がずっと続けばいいな”と思うのはきっと私だけではないはず。油断すると商売熱心さんたちの『クリスマス』『お正月』なんていうせっかちな呼び声が耳に届いてしまいますが、そこは上手に聞こえない振りをして、カンロのちび千歳飴でも舐めながら近くの公園をお散歩したり、もうちょっと“今この時”をのんびり味わっちゃおうという気でいる今日この頃です。「これといった行事がないからって、あなたの素晴らしさを感じていないわけじゃないのよ」と、11月に言ってあげたいくらい。恋人と手をつないでお散歩するのに、心地よい秋風があれば赤や緑の装飾なんて必要ないと思いません?世の中のこの超前倒し体質(ハロウィン当日にはもうクリスマスグッズが店頭に並んでいたり)はちょっと行き過ぎの観が否めないなぁと感じなくもないのですが、これは東京に限ったことなのでしょうか。そうであってほしいな。せめて他の国々や東京以外の日本の街はもっとゆっくり時間が流れていると思えなきゃ、世界全体がこんな速度で動いているなんて、考えただけで息が詰まってしまってしまいます。生まれも育ちもこの大都市東京の私。もちろん一言で東京と言っても決してどこも同じではなく、下町があったり山の手があったり都下があったりと、たくさんの表情や地域性を併せ持っていることとは思うのですが、それでもやっぱり東京は東京です。もしかしたらもっと私の性格に合っている場所があるのかもと思うことがなくもありません。もっと“広い世界を見るのだ”したいというか。そしていろんな世界を知ったうえで「それでもやっぱり私は東京が好き、この街を愛してる」と言いたいんだと思います。要するに、東京が私の青い鳥だと実感したいのです。愛の確認。必要ですよね?(笑)
 世間の忙しなさを憂う一方で、私自身のこの生まれついてののんびり屋加減も、多少なりとも改める必要性があることを今パソコンに向かいながらひしひしと感じています。このブログも、カレンダーをめくるペースで更新していてはせっかくのささやかな“日々のできごと”が鮮度を失ってしまいますもんね。手紙は宛てる相手がいることで、起こった出来事をただ連ねる日記以上に自分の心を丁寧にたどる必要があり、それはとても味わい深く楽しいことである反面、何事も自己完結させてしまう傾向のある私にとっては、いざ自分以外の他者に心の在りようをそのままに伝えるとなるとなかなか苦心と時間を要する作業であったりします。その苦心も含めて楽しんでいることは間違いないのですが、そのインプットとアウトプットの循環をもう少しリズム良くして、いっぱい吸っていっぱい吐く朝一番の深呼吸のように、間延びしない心地良いペースをつかみたいなと。せっかくこんな風に宛て名のない手紙を投函させてくれるポストがあるんだもの。出会ったものを出会ったぶんだけ、心で丁寧に消化して綴っていかなきゃ、もったいないですもんね。そしてろくに何も届かないこのポストを確認しに寄り道しに来てくださっていた奇特な方々へ。めんごでやんす。許してちょ♪w
 
 生来の子供好きの性格が高じて、この街に越して来てから仕事とは別に区立の保育園で保育補助のアルバイトを1年ほどしたことがあるのですが、その経験を通して感じたことのひとつに「大人と子供では流れている時間の中身がまったく違う」ということがあります。毎日のように「さきちょせんせ~!」とじゃれついて来ていた女の子(当時4歳)に、辞めて1年ほどしてから地域の夏まつりで偶然会うことがあったのですが、私が「○○ちゃん。元気?」と話しかけたとき、私の目を見つめながら「この人だれ?」と不安げに記憶を探すような表情をしたのです。会った場所や服装が違ったこともありますし、私自身も母親に「あんなに□□先生□□先生って言っていたのに、忘れてしまったの?」と保育園時代のことを言われた経験がありますので、そのこと自体にはさほどショックも受けなかったのですが、反対に大人は親しい人でもタイミングが合わなければ1~2年会わないことなどざらにあり、ともすれば5年10年のインターバルも「久しぶり」の一言で折りたたまれ、つい一週間会わなかっただけのように近況を報告しあったりできてしまいます。私はそういう出来事に触れるたび、1年365日とか1日24時間とか1時間60分のように表される慣れ親しんだ概念を超えた“時空”というもののダイナミズムが確かに存在しているように感じられて、非常にわくわくしてしまいます。8月下旬におうちにお邪魔した前の職場の仲良しさんも1年以上会わず連絡も頻繁ではなかったのですが、昨年の11月に生まれた赤ちゃんも元気だから会いにおいでよと呼んでいただき、隣同士のデスクだったときと変わらぬままの会話がはずみました。私がうさぎを飼い始めたのもちょうど彼女が隣の席だったときで、「こんなにかわいいの!」と毎日しつこく写メールや動画を見せてくる私に「ほんとにかわいいねぇ」と辛抱強く相槌を打ってくれ、「なんだか私も飼いたくなって旦那に持ちかけてみたけど渋られちゃった、さきちゃんに動画見せてもらって我慢するね」と笑ってくれたりしていました。生まれてはじめてのスノーボードに連れて行ってくれたのも彼女でした。「旦那は上手すぎて初中級者コースを一緒に滑ってくれないから練習しに行きたいんだけど、よかったら行かない?」と日帰りのバスツアーに誘ってくれ、運動オンチで飲み込みの悪い私を「ゆっくり滑ってだいじょうぶだよ」と待っていてくれたり、いろんなコツを教えてくれ、こんな私でも帰る時間になるころにはゆるやかな坂を一度もしりもちをつかずに滑ることができるようになっていました。渋滞に巻き込まれ往復9時間となってしまったバスの中でもお互いの家族の話やそれまでの仕事のことなど、たわいもないことをあれやこれやと話したり、本当に楽しい一日で。街はおろか自分の部屋から出ることも少ない私にとって、そういうイベントへの参加は気後れしがちなものですが、誘ってくれたのが彼女だったから行く気持ちになれた気がするし、あの一日は今も私にとって修学旅行並みにキラキラと輝いています。そんな彼女が妊娠していることがわかったのが、その日から1週間もしないことで、それからは彼女の産休・退職や私の転職であっという間に状況が変わり、なんやかやでお互い慌しくしているうちに1年の時間が経ってしまったというわけです。昔から仲良くなった女性に「家でもよくさきちゃんのこと話すんだよ」「会わせたいから一緒にごはん食べようよ」と彼氏さんや旦那さんに紹介してもらうことが多く、その流れでカップルぐるみ、夫婦ぐるみで仲良くしてもらうことも少なくありません。その日は旦那さんは仕事でいらっしゃらなかったのですが、一度夕ご飯をご一緒したことがあり、華奢な彼女がベビーカーに乗せて現れたのは生まれて1年も経たないのにもう涼しげな顔立ちの旦那さん似がわかる男の子。思わず「あなた、そんなにちいちゃくてもうカッコイイの?」「お母さんのおなかのなかで3cmくらいだったとき、あなたもわたしと一緒にスノーボードに行ったのよ~。」といろいろ話しかけたら、気持ちが通じたのか、仲良しさんが「おじいちゃんおばあちゃんの前でもこんなにリラックスして笑ったことないよ」と言うほどよくなついてくれました。動物も赤ちゃんも言葉がわからないだけで、こちらの気持ちをよく読みとりますね。保育園でひととおり(1~5歳児)の赤ちゃん・子供に慣れていたこともあるかもしれませんが、本当にすっかり気に入られてしまい、私と彼女があれやこれやとまたたわいもない話をしている間中、ちいさなイケメンくんは我が物顔で私の膝の上や彼女の腕の中を行ったり来たりしていて、なんとものんびりしたとても幸せな時間でした。
 彼女は「男の子の服ってこんなのばっかりなんだよ。」と、もっとかわいらしい服を着せたりできる女の子がほしかった想いもあると話してくれましたが、私はできることなら男の子の赤ちゃんがほしい気持ちが強いので、彼女をとてもうらやましく思いました。その願望は今にはじまったことではなく、私が小学校3年生のころに見たある忘れられないきっかけを境に持っているものです。当時、私の家族はちょうどジブリアニメの「耳をすませば」の主人公が住んでいるようなつくりの団地の1階に住んでいて、同じ階段を使う1~5階の数家族にはそれぞれ小学3年生の私から中学1・2年生のお兄さんまで育ち盛りの子供たちがいて、私がはじめて小学校に通うときにはそのお兄さんたちと一緒に登校させてもらったりしました。1年生から見る5・6年生のお兄さんたちはたいへん大人に見えましたし、なにより2歳上の私の兄よりずっとやさしく(笑)、恋心とまではいかないものの、そこはかとない憧れのようなものを持っていました。そんなある冬の日のこと。その団地にはいつものようにヴィヴァルディの「四季・春」をかけながら灯油屋さんの車がやってきていました。(“灯油=春のあたたかさ”を運んでくるという意味合いを込めての選曲だと思うのですが、なんともおしゃれな灯油屋さんですよね。)私はたしかその団地の前で縄跳びをしていたかなにかで、何人かの同じ階段に住むおばちゃんたちが灯油を買う順番待ちをしていて、5階に住む中学2年生のSくんのお母さんが入れてもらい終わり、両手に大きな赤いポリタンクを持って階段を登ろうとしているところでした。そこへ、ちょうどSくん本人が部活の道具や通学鞄を両手に帰ってきたのです。他のおばちゃんたちには挨拶していましたが、自分のお母さんにはただいまと言うわけでもなく、表情も変えず、ただ早足で追い越しざまに「そこ、置いとけ。」とぶっきらぼうに言って階段を駆け上がっていったのです。私はそれを見た瞬間、雷に打たれたみたいにショックを受けてしまいました。お母さんが重いポリタンクを持って階段を登るのを気遣って、でも近所の人もいるから照れくさくて、あんなふうにそっけなく言ったに違いありません。私のような女の子だったら「お母さん重いから一緒に持とう」と言うところを、これが男の子の愛情表現なのかぁと思ったら、もう胸がきゅぅーんとしてしまい、その瞬間から「私もお母さんになってあんなふうに息子にぶっきらぼうにやさしくされたい!!」という今日に至るまでの夢を持ち続けることになってしまったわけです。それからというものは、クラスの男の子が何かの拍子に重いものを持ってくれたり高いところのものを取ってくれたりすることがあると、好きになってしまうというより「こんな子が私の息子だったら」と思うようになってしまいました。同級生なのに(笑)。今も、街ゆくおしゃれなカップルが眩しく見えないこともありませんが、会社帰りのスーパーで自分より背の高い制服姿の中高生の息子さんを連れて買い物かごを持ちながら「今晩何食べたいの?」「ん~?鍋とかじゃん?」なんて会話をしながら野菜やお肉を選んでいるお母さんを目にしてしまうと、もううらやましくてうらやましくてしかたがなくなってしまうのです。あの中年おばさまたちこそが私にとってのTheリア充です。そんな話をしたら、その仲良しさんも息子さんをあやしながら「そっかぁ、そうだよね。男の子産んでよかったかも♪」と言ってくれました。いいに決まっています!男の子は、ずっとずっとお母さんの恋人だもの。今は歩くこともおぼつかないこのちいさなイケメンくんも、めいいっぱいの愛情を注いであげれば、すぐに華奢で小柄な彼女の背を追い越して、お母さん孝行な一人前になってくれることでしょう。いいなぁ。いいなぁ。私も思春期の息子に「ねぇねぇ、彼女できた?」としつこく聞いてうざがられたい。「勝手に部屋入ってくんなよ~!」とか言われたい。あまり共感されることのない夢ですが、夢見ることは実現することができると、かのウォルト・ディズニーさんもおっしゃっていましたし、私はこれ、わりと本気めで夢見ています。・・・痛々しいって?聞こえません♪


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おみやげに持っていったはじめましてケーキ。
ちいさなイケメンくんもぶどうを食べてくれました。


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ダイヤモンドの指輪より輝いて見えるキーホルダー。




 どうも。さきちょです。カレンダーをめくるタイミングを見計らったかのように、夏が行ってしまいましたね。平日はあいかわらず季節はおろか天気を知るタイミングも少ないビルの中で過ごしていますが、お昼を買いに外へ出ると日差しはあるのに空気はひんやりと冷たくて、あぁやっぱりあなたは行ってしまったのねと、そこはかとない寂しさに肩をすぼめながらビル街を小走りしています。夏のあいだ毎日のように活躍してくれたポロシャツくんたちも9月で仕事納めだったかな。今日も昨日も羽織りものなしにはいられませんでした。今日着たのはこの秋初めて出したカーディガンでしたが、帰りの電車の中でふと腕のあたりに目をやると、部屋では気づかなかった毛玉がちらほら。さっき部屋用の厚手の靴下なんかと一緒にチリチリと毛玉とりをかけました。この毛玉とりも私が秋を感じる作業のひとつです。毛玉を残らず取り終えたときの見違えるような出来栄えはとても達成感があって、思わず「できた!」と言ってしまいます。黙々としたこの地味な感じが我ながらぴったりだなと思ったりしながら、ひとまずの冬支度は完了です。
 
 仕事が早く終わっても寄るのはスーパーくらいのもので、わりとまっすぐ部屋へ変える私ですが、9月の初めくらいからちょこちょこと寄り道をするようになった場所がありました。今からほんの一ヶ月ほど前のことですが、まだ暑さも盛りのころ、いつものように近所の図書館へ本を借りに行ったときのことです。その図書館は区民センターという区役所の出張所やちょっとしたホールや会議室や卓球台なんかのある古いビルの4階にあり、大きさは図書館というより図書室と呼んだほうがしっくりくるようなこじんまりとしたものなのですが、私はこの街に越してきて以来の数年、飽きもせず毎週のように訪れています。いつもはエレベータで昇り降りをするのですが、その日は小中学生や親子連れで混んでいたこともあり、脇にある薄暗い階段で4階まで行き、帰りもその階段を使って1階まで降りました。階段から出口の自動ドアへ向かう途中、エレベータ脇の出窓のところにおいてあるタライのようなものの中をじっと見つめてる70歳くらいの小柄な警備員のおじいさんが目に入って、足は出口に向かいながらもなんとなく視線がそらせずにいたら、そのおじいさんがふと顔を上げ、目が合ってしまいました。こっちが見ていたのに黙って立ち去るのも失礼な気がして、「なにかいるんですか?」と小さく声をかけると、黙ってちょっと笑って、自分の立っていた場所を少しあけてくれました。なんだろうと思いながら私も同じようにそのたらいの中を覗き込むと、きれいな水の中に緑の水中植物があり、よくよく目をこらすと無数のちいさなめだかがチロチロと泳いでいるではありませんか。思わぬ光景にちょっと興奮してしまい、「すごい、めだか!これどうしたんですか?」と聞くと、「家から持ってきたんだよ。うちにはたくさんいてね、たまごも産むんだよ。」とポツポツ答えてくれました。その答え方であまりおしゃべりな方ではないのがわかり、私もあまり話が続かないほうなので、




私「…この草に産むんですか?」

おじいさん「これにも産むけど、シロだともっとよく産むんだよ」

私「???」

おじいさん「ほら…バナナの葉みたいで、長くてさ…」

私「……あぁ、棕櫚(しゅろ)!」

おじいさん「そうそう、しゅ、ね、へへへ」



おじいさん「こうやってね、たにしをいれておくと、水を替えなくてもきれいなままなんだよ」

私「へぇ~」

おじいさん「今年はまだ1匹も死んでないんだ」



私「かわいいですね」

おじいさん「うん」



というだけの会話を相当の沈黙をはさみながらして、そのあいだずっとふたりでタライの中を眺めていました。澄んだ水の中をチロチロと縦横無尽に泳ぐめだかはなんとも涼しげで、愛らしくて。それ以来そのおじいさんにお会いすることはありませんでしたが、この一ヶ月のあいだ、図書館に本を返す予定がない日もこのタライの小宇宙をしばらく眺めに区民センターに足が向くことが多くなっていました。「金魚とか熱帯魚とか、今まで魚は横から眺めるものだと思っていたけど、こうして上から見るのもいいものだな」「めだかって見れば見るほどかわいいな」なんて思いながら、さながら金魚鉢の中の獲物を狙う猫のような格好で肩が凝るまでじっとしていても、なかなか飽きません。ですが今日の会社帰りに寄ってみると、いつもの場所にタライがなくなっていました。たぶんおじいさんがもっと陽が当たる場所に移したか何かしたのでしょう。すこしさみしい気持ちにもなりましたが、あのときおじいさんは「今年は」と言っていたし、きっとまた来年会えるはず。そう思って、当面は寄り道せずかわいいうさぎの待つ部屋へまっすぐ帰ることに決めました。…そういえば今日、「遅くなってごめんね」と言いながらケージを掃除しはじめたら、前脚でひっかかれました。ハニー、妬いてくれてたの?(笑)





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わかるかな。






人一倍の忘却力のおかげか、過去に戻りたいと思ったことは、まだ一度もない。





どんないい思い出より、割りと切ない後悔より、私にとっては未来の方が魅力的だ。





ずっと早く大人になりたいと願ってきたし、今でも年を取ることにワクワクしている自分がいる。





私の目に映っているのは、いつも空想に近いような未来。





小さい頃何をしていたかの記憶はないのに、何を願ってきたかはみんな覚えている。





そして長い間持ち続けることが出来たものは、必ず実現することができた。








未来。





私がアウトプットしたいのは、不満ではなく希望。





「出来ない」理由ではなく、「こうしたら出来るかもしれない」というアイデア。





現状への嘆きではなく、それを踏まえた具体的なヴィジョン。





不平を連ねて、





言い訳して、





何かのせいにして、





誰かの落ち度をあげつらって、





自分の痛みをひけらかして、





それで未来が手に入ったこと、私は一度もなかった。








強く強く願うこと、強く強くヴィジョンを描くこと。




これまでも、これからも、それだけが未来を切り拓いていく。










未来は受け取るものじゃない。




手を延べて、それを掴め。








 どうも。さきちょです。昨日の激しい雨や風と打って変わって、今日は朝から肌を焼くような眩しい日差しでしたね。平日は一日中あまり天気のわからないビルの中で過ごしている私には、太陽を浴びることができる晴れた朝はとても幸せに感じられます。洗濯物もたまりがち(ひとり暮らしには一大事!)な今日この頃でしたが、明日からの3連休は雨も降らないようですので、月曜から着て行く服の心配をしなくてすむと一安心しています。今日のような暑さを感じる日はこれから少しずつ減っていくんだなぁと思うと、お盆休みのない会社だからしかたないとは思いつつも、しっかり夏の暑さを感じられるようなことができなかったことが、すこしだけ寂しいような気もしています。来年こそは流行の水着で浜辺の視線をさらっちゃうゾ!…な~んて、膝の出る丈のスカートも履けないのにね。言ってみるだけ~(笑)

 私には、そんな夏への名残りと秋の予感の綯い交ぜの中にあるようなちょうど今頃の季節に、かならず観たくなる映画があります。それは北野武監督の「あの夏、いちばん静かな海。」です。北野監督の映画3作目にあたるこの作品は、小学生のときにはじめて観て強い衝撃を受けて以来、“他のどんな映画とも似ていない”という印象が変わらない、特別な存在感を持つ映画です。そして同時に私の心の恋愛映画ベスト3(邦画編)の一作品でもあります。残る二つは以前にも書いたとおり山田洋二監督の「息子」と「幸福の黄色いハンカチ」なのですが、この三作品に共通しているのは登場する女性に対する圧倒的な共感です。どんなに巷で評判のドラマチックなラブストーリーも、ヒロインに共感できないとあとあと心に残らなかったりするものですが、この三作品に出てくるヒロインのような性格の女の子(和久井映見さんや倍賞千恵子さん)には、自分かというくらい感情移入してしまい、どのシーンもいつでも鮮明に思い描けるくらい強く記憶してしまっています。山田監督はいざしらず、ヤクザ映画で有名な監督が恋愛映画なんてと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、北野監督は「どうしてそんなに女の子の気持ちがわかるの?」と言いたくなるくらいヒロインの繊細な心の描写が見事なのです。ここからは具体的な場面のことになるので、事前にあらすじがわかってしまうのがお嫌いな方には観てから読んでいただいたほうがよいかもしれないのですが、たとえば主人公(真木蔵人さん)の彼女(大島弘子さん)が、サーフボードを持っていたために乗車できなかった彼を置いてバスに乗るシーン。乗ったはいいものの、ひとり歩いて帰る彼が気になってしまい、どんどん空いていくバスのなかで座る気持ちにもなれないでいるあの表情。ついに最後は走って彼のところに戻ってしまうあの気持ち。クッション・キャー炸裂です。ほかにも彼がいい加減に書いたサーフィン大会の申込書を「しょうがないなぁ」というふうに彼女が書き直してあげるシーンとか、二人のシーンはどれもたまらなくいとおしいのですが、なかでもいちばんつよく共感するのは主人公が他の女の子と一緒にいるところを彼女が見てしまう場面です。性格的に「あの子なんなの?」みたいなことが言えないのです。遠くから見つけて、近くに行くこともできなくて、傷ついて、黙って走って帰っちゃう。そのあと会いに来た男の子に何も言わずに指輪を返して、ポロッと涙を流しちゃう。…もう、超超超わかる!!!なのです。思い浮かべるだけで泣けてきます。仲直りしたあと二人で笑うシーンがあるのですが、ここも最高にすばらしいです。こんな繊細な心模様をこんな風に描けるなんて、私はこの危機→仲直りの部分だけでも天才と言っていいんじゃないかというくらいに思っています。
 淡々としたシーンの連続で、いつもおとなしく主人公にくっついているだけの彼女なので、この子は幸せだったのかな?と思えなくもないかもしれませんが、ラストの部分で“あぁ本当に幸せだったんだな”というカットがいっきに流れてきて、鼻が詰まって息ができなくなるくらい大号泣、というのが私のお決まりの鑑賞パターンです。このようにいつも完全にこの女の子に感情移入しながら観ている私なのですが、今ふと男性はどのような気持ちでこの映画を観るのだろうというのが気になりました。真木蔵人さんに感情移入するのかな??兎にも角にも、男女問わずまだご覧になったことのない方がいらしたら、季節が完全に秋に染まってしまう前に観ていただけたなら、きっと素敵な気持ちになってもらえるのではないかと思います。
 …今日の日記はいつになく趣味嗜好を全開にしてしまい、なんだかはずかしくなってきました。。最後に、監督がビートたけし名義で書かれた詩集の中の一編をご紹介して終わりたいと思います。この詩集は学生時代に友人が貸してくれ知ったものなのですが、小学生のときに観たこの映画の放つ非凡な輝きとそれまで風雲たけし城の殿のイメージしかなかった北野監督自身の持つ内面の繊細さがつながった大切な一冊です。こんな素晴らしい映画を作ってくださった北野監督へ感謝を込めて。





 「進歩」


 君が僕から去って、もう何日が過ぎたろう

 寂しさからか、僕はいろいろなものに興味を持つようになった

 今までまるで興味のなかった、絵画、小説、音楽、映画、など
 
 前より僕は頭が良くなったような気がする

 君のお陰かな

 でも君が帰って来るなら、また馬鹿になってもいい

 
                          『僕は馬鹿になった。』 ビートたけし




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