どうも。さきちょです。先日の東京は積もるくらいの雪が降りましたが、元気に過ごされていますか。私は風邪をひいてしまいました。というより、正確には先月下旬に崩した体調が完全に回復することのないまま、熱や頭痛がないのをいいことに病院へ行かず仕事を続けていたら、先週末最高潮に悪化してしまったという次第です。なるべく強い薬には頼りたくないと思っていたのですが、あまりの咳・喉痛・鼻づまりにさすがにこれはだめだと家の近くの耳鼻咽喉科へ行きました。幸いインフルエンザは陰性だったものの、チャキチャキした女医さんに「咳の仕方が肺までやられちゃってるかんじだから、もし薬が効かなかったら内科でも診てもらってね」とにこやかに告げられ、ジスロマック・ロキソプロフェン(ロキソニンのジェネリック薬品)・メチスタ・キプレス・セレスタミンと強い薬の処方オンパレードとなってしまいました。夜は自分の咳で眠れないし、肺が苦しくて声もほとんど出せません。身体の調子はまったく悪くないのに呼吸器系だけこんなにやられてしまうなんて、変な症状です。電話応対など仕事に支障が出てしまうし、いつまでも体調不良でいるのが自己管理のなってなさを象徴しているようで本当に恥ずかしい。何事も早めはやめが肝心ということが身に沁みてわかりました。今度はすぐ病院に行くようにします。反省・・・。シュン。
22日は年賀状のお年玉の当選番号の発表日でしたね。私は4等の切手が1枚当たりました。去年は1枚も当たっていなかったので、運は上向いてきたと捉えたいです。(笑)毎年この当選番号チェックと年賀状整理でやっとお正月気分が抜ける気がするのですが、地元の商店街は年明け早々にバレンタインデーの商品が並び始めていました。ハロウィン・クリスマス・お正月・バレンタインは、実際の日にちは結構離れているのに、店先にはそれぞれの関連商品が並んでいる時期があるから、秋の始まりから冬の終わりまで毎日絶え間なくイベントごとで、いつが本当の当日なのかわからなくなってしまいそうです。これからの2~3週間は都心の繁華街なんかはさらにすごい賑わいになりそうですね。バレンタインは誰かに渡すか渡さないかに関わらず、その賑わいを感じるのはなかなかいいものです。東急ハンズなんかのフェア特設会場には毎年面白い商品が置いていたり、いつも行くカフェやケーキ屋さんにバレンタイン仕様の特別なケーキが出ていたり。「かわい~♪」なんて言いながらあげる当てもないのについつい買っちゃったりして。正統派な過ごし方とは言いがたいかもしれませんが、せっかくのイベント。ラブラブハッピーな気分のおすそわけにあずかっちゃおうという所存です。
バレンタインデー。みなさんにはどんな思い出があるでしょうか。私には、この2月14日に忘れられない苦い思い出がひとつあります。それは小学1年生のこと、当時私にはいつも一緒に下校しているSくんという同じクラスの男の子がいました。と言っても、今どきの子どもたちのようにおませさんではありませんでしたので、好きとか嫌いとかそういう感情はまったくなく、帰り道が一緒だからというただそれだけの理由でした。ひょろっと背が高くて顔が小さくてつぶらな目のかわいいSくんと、何を話すでもなく毎日一緒に帰っていました。私はその頃男の子が怖くてあまり話したりするほうではなかったので、一緒に帰るということはわりと気が合う性格同士だったのかもしれません。そして私たちのクラスにはYさんという夏から転校してきた女の子がいました。顔はあまり印象に残っていないのですが、ひとりっ子らしくいつもおしゃれな格好をしていて、パーマをかけていて、兄のおさがりが多かった私には眩しく見えたのを覚えています。そしてちょうど今頃の時期、その子がクラスの女の子を家に招いて自分のお誕生日会をやるということを知りました。彼女から誘われたのではなく、クラスの女の子から聞いたのです。ショックなことに、普段私が仲良くしている女の子たちはみんな招待されていたのに、私だけが知らなかったのです。私は彼女になにか嫌われるような悪いことをしたかなぁとすっかり落ち込んだ気分になってしまいました。女の子たちはプレゼントを何にしようかとか当日は○○をするんだってとか楽しそうに話していて、私は誘われていないことを言えませんでした。そしてそれを知った何日かあとの帰り道、誰にも言うつもりはなかったのですが、いつものようにSくんと二人で歩いているうちにそのしょんぼりした気持ちが戻ってきてしまい、「今度Yさんのお誕生日会があるんだけど、私だけ誘われなかったんだ。。」とつい話してしまいました。するとSくんは、いつも一緒に帰っていることで同胞意識みたいなものが芽生えていたのでしょうか、「なんだそれ!俺が言ってやる!」といつになく怒り出したのです。私はお誕生日会自体知らないことにしたかったし、誘われていないことを気にして誰かに言ったなんてYさんに知られるのは嫌だったので、そんなことされたら困ると思い、「いいよ!やめてよ!」と必死で止めました。でも次の日、Sくんは私を振り切りYさんのところへ行って本当に「お前なんでさきちょだけ誘わないの?かわいそうじゃんかよ!」と言ってくれたのです。言わないでと止めたものの、Sくんがそうやって言ってくれて、なんだか救われたような気持ちになりました。結局お誕生日会には誘ってもらえませんでしたし、Yさんからはなぜか意地悪なことを言われたりとずっと嫌われたままでしたが、そんなことは気にならなくなったし、なによりSくんの気持ちがうれしかったのです。それからも毎日、やっぱり何を話すでもなくトボトボと二人で下校しました。そして2月13日、その年のバレンタインデーは休みの日だったので、いつも別れるフェンスのところで私は「明日ここでチョコあげるね」と言いました。Sくんも「うん」と言いました。
・・・なのに。それなのに。信じられないことに、私はその場所に行かなかったのです。チョコだって、前日からちゃんと準備もしていたのに。りぼんを買っても「ときめきトゥナイト」も「マリンブルーの風に抱かれて」も恥ずかしくて読めず「てこてこはこべ」や「ちびまる子ちゃん」や「こいつら100%伝説」ばかり読んでいたようなスーパー・シャイ・ガールだった私は、それまでただの友達と思っていたSくんをチョコをあげるという行為によって男の子として意識してしまった途端、ただただ恥ずかしくてどうしていいかわからなくなってしまったのでした。月曜日からもいつもと変わらず一緒に下校しましたけれど、あのフェンスのところに来てくれたのかは聞けませんでした。Sくんもそのことは何も言いませんでした。
あれから20年以上経った今ならわかります。自分がなにかに落ち込んでいるとき「俺がなんとかしてやる!」と言って実際行動してくれる男の人が、どんなに貴重な存在であるかということを。でもそんなこと当時の私は知る由もありませんでした。あのフェンスのところにぽつんと立って私を待ってくれていたかもしれないあのひょろっと背の高いSくんがどんな気持ちでいただろうかとを思うと、今でも「なんで!!なんで行かなかったの!!」と自分の頭を壁に打ち付けたい気持ちになります。照れや気恥ずかしさなんて振り切って、まっすぐ感謝の気持ちを伝えればよかった。あんなふうに味方になってくれた大切な人に、私はひどい仕打ちをしてしまったのです。もしもタイムマシンがあるなら、あのフェンスのところへ行って、20年分のチョコを渡して、「あのとき、ああ言ってくれて、本当にうれしかったんだよ。君は男前だ」と言って小学1年生のSくんを抱きしめたい。この季節に食べるチョコがどれもちょっぴりほろ苦いのは、たぶん後悔の味がするせいです。









