3月11日。
あの日から2年が過ぎました。
一昨年のこの日、私は当時高1だった長女の英国への短期留学の壮行会があり長野市内におりました。
14時に校門前で「いってらっしゃい」と手を振ってバスを見送り、14時半には予約していた地元の美容室で吞気にを洗ってもらっていました。
ほどなくして大きな揺れを感じて、しかもちょっと長いのでどこかで半端なく大きな地震があったことがわかりました。
私自身が中越地震の被災者なので慣れといいましょうか、このくらいなら大丈夫、これはちょと被害が大きそうだ…ということがわかるようになってしまっていたので。
震源地はどこだろう・・・しかもかなり被害は大きそうだ・・・そして長女たちは大丈夫だろうかとすごく心配した記憶があります。
(もう一人長男の方は村の小学校へ通っているのでほとんど揺れの感じない場所なので安心でした。)
その後長女たちは高速道路が土砂により分断されて通行止めになり下道に降りて、夜中12時すぎにやっと成田へ到着し、もともと翌日のフライトだったので帰宅難民の方々に申し訳なく感じながらもホテルで休み、てっきりそのまま長野へとんぼ返りかと思いきや、たまたま1機新品の飛行機が納入されており、ほかが調整のつかない中、幸運な事にその飛行機をまわしていただいて無事に飛び立ったのでした。
携帯も繋がらずそのことを知ったのはフライト30分前でした。
ステイ先の寄宿学校から、週に一度だけ許可していただいていたパソコンからの長女のメールで、海外では日本ではありえないような悲惨な映像をTVで流しているので、私たちの地元は被災地ではないけれども非常に心配していると連絡をもらいました。
生きている人が波に流されているところ、火事に巻き込まれてしまったと思われる人影・・・日本がいま大変な事になっているのは分かるけれど、きっと日本にいたら心配はしてもいつか人事になってしまっていたと思うと。
忘れられないようなショッキングな映像で、でもそれがかえって娘にとっては生と死、善や悪、そのほか自分自身などをよく考えるよい機会になったようです。
今年大学生になる彼女はそのことがきっかけでボランティア活動に興味を持ち、いつかNGOの職員になりたいという希望を持って新生活をはじめます。
以前自分が被災した時には、(被害者数ほか全く違うので比べようがないのですが)国や救援物資を送って下さった団体や寄付金、そういったものが各個人の手元に届かない・・・といいましょうか、実感できることがほとんどなかったです。
このたびはそういうことがないようにと願っていましたが、復興もあまり進まず、いまだに仮設にいらっしゃる方のなんと多いことか。
原発の汚染除去作業をしている業者のピンはねなど、人としての品格を疑ってしまうようなことが平気で行われている・・。
風化させず興味を持って復興の支援を少しずつでも続けて手助けしていきたいと思います。
すこしでも希望の光をお届できたらなあ。
「明日は来るから」
雨降るときには君の傘になろう 風吹くときには君の壁になろう
どんなに闇の深い夜でも 必ず明日は来るから・・
動画はおかりしていますm(__)m
あの日から2年が過ぎました。
一昨年のこの日、私は当時高1だった長女の英国への短期留学の壮行会があり長野市内におりました。
14時に校門前で「いってらっしゃい」と手を振ってバスを見送り、14時半には予約していた地元の美容室で吞気にを洗ってもらっていました。
ほどなくして大きな揺れを感じて、しかもちょっと長いのでどこかで半端なく大きな地震があったことがわかりました。
私自身が中越地震の被災者なので慣れといいましょうか、このくらいなら大丈夫、これはちょと被害が大きそうだ…ということがわかるようになってしまっていたので。
震源地はどこだろう・・・しかもかなり被害は大きそうだ・・・そして長女たちは大丈夫だろうかとすごく心配した記憶があります。
(もう一人長男の方は村の小学校へ通っているのでほとんど揺れの感じない場所なので安心でした。)
その後長女たちは高速道路が土砂により分断されて通行止めになり下道に降りて、夜中12時すぎにやっと成田へ到着し、もともと翌日のフライトだったので帰宅難民の方々に申し訳なく感じながらもホテルで休み、てっきりそのまま長野へとんぼ返りかと思いきや、たまたま1機新品の飛行機が納入されており、ほかが調整のつかない中、幸運な事にその飛行機をまわしていただいて無事に飛び立ったのでした。
携帯も繋がらずそのことを知ったのはフライト30分前でした。
ステイ先の寄宿学校から、週に一度だけ許可していただいていたパソコンからの長女のメールで、海外では日本ではありえないような悲惨な映像をTVで流しているので、私たちの地元は被災地ではないけれども非常に心配していると連絡をもらいました。
生きている人が波に流されているところ、火事に巻き込まれてしまったと思われる人影・・・日本がいま大変な事になっているのは分かるけれど、きっと日本にいたら心配はしてもいつか人事になってしまっていたと思うと。
忘れられないようなショッキングな映像で、でもそれがかえって娘にとっては生と死、善や悪、そのほか自分自身などをよく考えるよい機会になったようです。
今年大学生になる彼女はそのことがきっかけでボランティア活動に興味を持ち、いつかNGOの職員になりたいという希望を持って新生活をはじめます。
以前自分が被災した時には、(被害者数ほか全く違うので比べようがないのですが)国や救援物資を送って下さった団体や寄付金、そういったものが各個人の手元に届かない・・・といいましょうか、実感できることがほとんどなかったです。
このたびはそういうことがないようにと願っていましたが、復興もあまり進まず、いまだに仮設にいらっしゃる方のなんと多いことか。
原発の汚染除去作業をしている業者のピンはねなど、人としての品格を疑ってしまうようなことが平気で行われている・・。
風化させず興味を持って復興の支援を少しずつでも続けて手助けしていきたいと思います。
すこしでも希望の光をお届できたらなあ。
「明日は来るから」
雨降るときには君の傘になろう 風吹くときには君の壁になろう
どんなに闇の深い夜でも 必ず明日は来るから・・
動画はおかりしていますm(__)m


のことだからきっと
」とかって言ってそうですね。



