ティネリールに戻って2日目の朝、友人たちが通っている教習スクールへ連れていってくれた。
彼らにとっては、交通事故に遭うことも、やっぱりインシャアッラー(神の望んだこと)なのかなぁ。。
とか、考えてしまう。
考えてみれば、交通ルールを守ろうと気をつけていても、事故に遭ってしまうことはある。
というか、事故って本来そういうものだよね。
自分がどんなに努力していても、どうしようもないことは、ある。
交通事故にあった時、
健康に気を遣っていたのに病気にかかってしまった時、
毎日感謝の言葉を欠かさず伝えていた、大切な人が突然亡くなった時
こうしたことは、人生で誰もが必ずなにかの形で、経験すること。
意識的に努力して注意していても起こるということ
それはきっと、私たち人間にはコントロールできない領域
なんじゃないかな。
そんな時、日本人は
「私の何が問題だったのだろう?」
「自分に原因があったに違いない」
「努力や注意が足りなかった」
と、自分自身を責めたり、行動や言動を後悔する人が多いように思う。
その結果、心を病んでしまったり、トラウマを抱えてしまったりすることさえある。
そこには、本当なら自分でコントロールできたはずなのに、という根本概念があるように思う。
でも、人間の力を過信していないムスリムの人たちからしてみれば、
「そんなのどうしようもないよ」
という話かもしれない。
常日頃から「すべての物事は神が決めること」という心持ちでいれば、
「なぜ自分はこんな目に遭ってしまったのだろう?」
という疑問を抱くことなんて、ないのかもしれない。
それが真実かどうか(すべては神が決めることかどうか)
という点について、語るつもりはないけれど
こういう考え方、生き方の哲学を持っていることが、ムスリムの人たちの温かさや寛容さ、心の強さの土台になっている
という気がしています。
友人は3日後に最終試験だそう。
日本だったら「がんばってね」というところだけど、ここは現地式に
幸運を祈る
インシャアッラー!