ティネリールに戻って2日目の朝、友人たちが通っている教習スクールへ連れていってくれた。





モロッコに来て2週間

毎日のように「インシャアッラー」のフレーズを聞いていると


彼らにとっては、交通事故に遭うことも、やっぱりインシャアッラー(神の望んだこと)なのかなぁ。。


とか、考えてしまう。





考えてみれば、交通ルールを守ろうと気をつけていても、事故に遭ってしまうことはある。


というか、事故って本来そういうものだよね。


自分がどんなに努力していても、どうしようもないことは、ある。


交通事故にあった時、


健康に気を遣っていたのに病気にかかってしまった時、  


毎日感謝の言葉を欠かさず伝えていた、大切な人が突然亡くなった時


こうしたことは、人生で誰もが必ずなにかの形で、経験すること。


意識的に努力して注意していても起こるということ


それはきっと、私たち人間にはコントロールできない領域


なんじゃないかな。


そんな時、日本人は


「私の何が問題だったのだろう?」

「自分に原因があったに違いない」

「努力や注意が足りなかった」


と、自分自身を責めたり、行動や言動を後悔する人が多いように思う。


その結果、心を病んでしまったり、トラウマを抱えてしまったりすることさえある。


そこには、本当なら自分でコントロールできたはずなのに、という根本概念があるように思う。


でも、人間の力を過信していないムスリムの人たちからしてみれば、


「そんなのどうしようもないよ」


という話かもしれない。

常日頃から「すべての物事は神が決めること」という心持ちでいれば、


「なぜ自分はこんな目に遭ってしまったのだろう?」


という疑問を抱くことなんて、ないのかもしれない。


それが真実かどうか(すべては神が決めることかどうか)


という点について、語るつもりはないけれど


こういう考え方、生き方の哲学を持っていることが、ムスリムの人たちの温かさや寛容さ、心の強さの土台になっている


という気がしています。




友人は3日後に最終試験だそう。


日本だったら「がんばってね」というところだけど、ここは現地式に


幸運を祈るアップ


インシャアッラー!