50代早々で脳溢血による半身麻痺の後遺症に苦しんだ父だったが、
寝込んでなんか居られない性格が幸いしたのか、
若い時からの多趣味が良かったのか
脚力は素晴らしいほどに快復していった。
利根川に架かる橋あたりで釣り道具を背負い自転車を漕ぐ父を見かけた知人が、
父に追い付こうと必死に自分も漕いだが
全く追い付けなかった!
8キロ位の道のり間、ずっと!
と後に店に来てその脚力に感心していた。
釣り、山菜採り、木の子採り、築山庭づくり、花の庭、
囲碁、将棋、尺八、漢詩、山水画、俳句、書道、
などなど野外、屋内
父の生の楽しみ方は尽きないほどにあったのだ。
青春時代は、東京の講道館で柔道を習っていて、講道館4段だったと母から聞いた事がある。
大正ロマン華やかな時代だ。
2歳年下の父の妹であった美しい叔母も
東京で暮らしていたとおもわれる。
父や叔母はそこで琴や尺八やらの稽古事を学び、
叔母は東京で官僚と結婚するが、25歳で夭折する。
叔母の肖像画が若く美しいまま我が家の
床の間の脇に掛けられていたので
会った事の無い叔母ではあるが、
鮮明に私の記憶の中には存在しているのだった。
2歳違いの妹を若くして亡くした父の哀しみ、祖父母の哀しみが心に沁みこむような
肖像画であった。
諸行無常、一期一会。
そんな父の心象風景が、ふと私の心に浮かぶ...
父の晩年の俳句の書を掛け軸にしたものが今の私の家にある。
''落柿や 悟る今日も ふたつみつ"
友人や母を亡くした後の書である。
大戦後、学制改革で今の中学校制度ができ、
父は初代柔道コーチとなった。
夜には先生達が集まり、座敷で飲み会が始まるので恥ずかしかったと、当時中学生になっていた11歳上の姉が回想している。
父の働く姿は記憶にないが、
無心に趣味に没頭する姿と、しっかりとした足取りは半身不自由になった後も
失うことがなかった。尺八を吹くこと以外は。
病いを得ても尚
文武両道を貫いた父のその姿は、私のこれからの未来の希望であり続けるに違いない。
