まずはモノレール経由で江ノ島まで。
本当は江ノ島も行きたかったんですよねえ。もう随分とご無沙汰してましたし、スチルポイントもありましたし。
しかし、回る場所との兼ね合いで今回は断念
断腸の思いで江ノ島から一駅歩き、腰越へ。
はい、あの腰越状の腰越っす。兄上~っ!の腰越っす。
腰越駅から徒歩3分。目指すは満福寺です。
境内へ向かう階段を埋め尽くす【源 義経】の旗、旗、旗。
鎌倉入りを拒まれた義経一行はこの寺に逗留し、あの有名な【腰越状】を認めたといわれています。
ということで、数々の品が境内にありました。
左:源義経公慰霊碑 右:義経公手洗の井戸
左:弁慶の腰掛石 右:満福寺全景
で、この全景に何やら見覚えがあるような…これは、望美たちが九郎を待ってた場所では?
いや、考えてみれば当たり前な話なんですが、すっかり忘れてました。
では、スチルを押さえるという目的も果たせちゃいましたか、もしや?
寺の中には【腰越状】の版木や、【義経と弁慶、そして静】の物語を鎌倉彫で表現した襖など
展示されていて、【九郎ルート】を思い返しながらのんびりと堪能させて頂きました。
腰越から江ノ電に乗り、次に向かうは極楽寺。
考えてみれば、一日目からろくに交通手段を使ってません。
家から北鎌倉への電車。
鎌倉から横浜の宿まで向かう電車。
そして今日、宿から江ノ島までの電車とモノレール。
ずっと歩きっぱなしじゃないか!これじゃ、まるで拷問だ
いや、好きで歩いてるんですが。
こんな感じでよろしいでしょうか?
スチルにあった【ポスト】と【ベンチ】と【手前の木の杭】を網羅してみたのですが。
ここで、熊野の妖精は木上から花を降らせる悪戯をしてましたよね?
左側に桜の樹があるのですが、ちょっと小ぶりなので神出鬼没な頭領でも、
隠れるのにちょっと難儀しそうだな…とか、思ったり。
それから境内を散策し、寺坂切通を経て長谷へ。
美しい花々を心行くまで堪能し、鎌倉まで江ノ電に乗って移動。
鎌倉駅前や若宮大路もスチルになっていたので、撮影。
上:JR鎌倉駅前
ここでちょっとしたアクシデント(?)。
若宮大路のスチルは、幾つかの写真を合成しているのでは?疑惑浮上です。
左側の写真。かなり見辛いのですが、中央あたりに六角形の看板が見えませんか?
これ、スチルに似たような物があるのですが、この位置では赤鳥居が遠過ぎるのです。
で、赤鳥居と、右側に写る白い建物の距離感を考えて、やはりこれは合成の賜物かな、と。
スチル撮影会も終了し、鎌倉宮~荏柄天神へ。
相も変わらず交通機関を一切使わず己の足のみで移動していたので、足が相当悲鳴を上げてました。
なので、ただただ辿り着くことだけが目的のようになってしまっていたのです。
ところが、荏柄天神でのこと。
何処かへ続く細い階段を見つけた同行人が、へばった私を置去りにし登っていってしまいました。
もう、さすがに足がいうこと利かないし、何があったか聞くだけでいいやと思っていたところ。
「熊野。行かなくていいの?」
何を言ってるのかまったく理解できなかったけど、熊野と聞いて素通り出来る訳もありません。
痛い足を引きずって階段を登り切ったその先には……
本当に全く知りませんでした。荏柄天神とは北野天満宮・太宰府天満宮に並ぶ日本三大天満宮。
それくらいの知識しかなかったんで、何で熊野?どうして此処に!?の衝撃は計り知れません。
何という巡り合わせもう、しっかり拝ませてもらいましたよ。
頭領にパワー貰って、いよいよ今回の旅行のおおとりを締め括る場所へ向かいます。
二日目の初めが九郎で。一日目のラストが政子さまなら……やはり、この方にお願いせねば。
腰越の時も思ったけど、どんだけこの兄弟は旗好きなんだ?
いや、当のご本人たちは与り知らぬことなのでしょうが。
左が兄上、源頼朝の墓です。
この旅行記を書く際、参考に迷宮のオフィシャルガイドを引っ張り出してきたのですが、
鶴岡八幡宮の箇所にこのお墓がスチルとして載ってました。
・・・・・・ゲーム内で、全く記憶にありません
えっと、どのようなエピソードでこの風景が出ましたっけ?
それと、恐れ多くも…兄上、ここは八幡宮から少し離れていると思われますが
数々の疑問を残しつつ、これにて今回の旅は終了致します。
次回予定は【いけない人を象徴するあの花を愛でる鎌倉の旅】でございます。