色々プランを立てて

結局やらないことも

ありまして

 

アタシが小学生の時だったら

 

おとうとおかあに、

また、途中でやめた、と言って

オコラレタかもしれない

 

 

でも今は

自分で自由に決められる~

 

 

子どものころは良いんですよ

あれはあの頃の教育方針みたいなもので

子どものころは、そうやって、訓練しているんだと思うんだ

 

 

今はね

 

 

やらない、と決めることは

意味ある決定だと思う

 

人生のなかで

どの道を行くのかを決めるのだ

 

本を読んだり色々あれこれ

手を出して

結局そこに行かないというのは

 

別にそれはそれでいいのだ

 

本を読んだり調べただけで

もう、十分学んだかもしれない

 

というわけよ

 

 

アートの本を読んだけど

 

 

 

アートを見学に行こうと、

どこに行こうかなと

色々ピックアップしたけど

 

 

やっぱり行かない

 

 

今すぐに行かない

行きたいという気分にならない

 

行こうとすると

何かが止まる

 

 

アートをみたり

作者と交流して

 

なにかすごいものを

発掘したいと思った

 

 

 

 

ちょうど、バンクシーみたいな

あんな感じの活躍をするような人を

 

見つけてみたいと思った

 

株を買うのと同じ感覚で

 

最初は、1万円の株が

おおばけするかもしれない、でしょ

 

 

株を買うか、絵を買うか

ですわよ。

 

 

そう思ったけど

 

アートの本も読んだ

 

ネットで色々みた

 

 

 

 

なんか今は

近くにそういう感じのものは

ないような気がする

 

 

出てきたら、気づくと思う

 

 

近くにいないと言い切るのも、アレなので

 

私と、接点がない、

 

という感じ

 

 

ネットとかで

見たものを、自分で訪ねていく、という方法では

接点がないように思う

 

という感じ

 

 

 

もっと、別のところにある

 

 

こういうのも

見えるの一種で

分かる。

 

四つ葉のクローバーが分かるように

分かる

 

そういうアーティストが近づいてきたら

分かるのだ

 

 

人によって

得意分野が若干あるようだし

わたしのは、四つ葉のクローバーが分かるとか

と同じように

人間でも、この人は!って人が分かるのだ

 

 

 

 

分かる、絶対に分かる

 

特に、良いものは分かる

 

 

この間読んだ本では

 

ダメなものは、結構すぐに分かる

と書いてあった

そのとおりだと思う

 

 

だめだと思ってから

それをいつまでも続けていくか

さっさとやめるか

 

その人の性格みたいなものがあって

 

一概に言えないけど

 

そのどちらも遭遇したことがある

 

 

 

ダメなものは

分かるし

 

良いものも分かる

 

 

四つ葉のクローバーのように

分かる

 

道にお金が落ちているように

分かる

 

 

良いものは

わかる

 

 

ヘンな言い方をすると

 

そういう良いものというのは

 

光っているのだ

 

 

そこが、光っているから、見えるし、分かるのだ

 

 

 

光ってる

 

それから、

 

じわっと出てくる

 

暫くして

じわっと出てきたりする

 

 

バンクシーのような、面白いアーティストを

まだこれから活躍するという、これからって時に

会いたいと思う。

見つけ出したいよね。

アートは人生だ!