ライトノベルって、どんな感じになっているかな、、、と

本屋さんで、色々手に取ってみてみた。

 

いつもは、アマゾンだけど

こういうときは、本屋さんに行く。

 

やっぱり、本は本屋さんがいいなあ。

ときどき、行きたいよね。

無くならないでほしいなあ。

 

あの本屋さんが、アマゾンの倉庫も兼ねていたら

いろいろと便利なんだけどなあ、などと思う。

 

本屋さんで

見てみたら

 

 

ライトノベル、という書棚はあったし

 

これが、ライトノベルでしょ、というのは

ハッキリ分かる。

マンガチックな、挿絵とか、表紙の絵が描かれているから

 

 

作者さんたちの、名前も、マンガチックな名前だ。

 

私もこういう世界は好きなんだよなあ。

 

自分が書くなら、どんな文体でとか

どんな本を参考にしようか、という目線で見てるから

 

書けそうかなとか、自分と似た感性かな、とか

そんな感じで選んでみたけど

 

結局そのあと

友人とお喋りをしていて

 

自分の言葉として出てきたものは

 

平安朝な感じの雰囲気漂う、ライトノベルがあって、、、、

 

みたいな話をしだしたら

その話が自分でも気に入っていることに気づき

 

あの本、見てて、気になったけど

結局買わなかったんだよね、ってことになり

 

買わなかった本の方が気になるという

いつもの

何においても、でてきちゃうけど

ないものねだりのようなもので

 

ないもの、の方にどうも目がいってしまうんだ

 

平安朝かあ。

自分では、書けるかどうか全然分からないけど

 

そういうタイプの、そういう文体の、お話し、けっこう好きだわ

 

トモダチとの会話では

トモダチの言ったことが、参考になる、という部分もあるけど

それは、断片的な、欠片みたいなものが

 

ちょっと、良いこと言ってるよなあ

と残る

 

その他は

自分で自分のことを話しているから

 

自分が何を言っていたのか

それを、チェックするってのが、私のやり方。

 

自分で自分のことって、分からないでしょ

という説もあるけど

 

このとき

自分が喋っているのは

 

わたしであって、わたしではない

 

だれか、スピリットさん、ガイドさん、宇宙人

あれこれ、あれこれ、

 

誰かが、私の口を使って

喋っているようだ。

 

こういうのをほら

 

チャネリング、とか

ミディアム、とか

 

いうではないか。

 

この喋っている人によると

いろんなことが分かる。

これは、わたしではないので

 

わたしのことも、客観的に、分かるんだワン

 

どこにいって

なにを見たらいいのか

 

いま、何をしたらいいのか

 

気づいていないことがあったら

教えてよ

 

というようなことを

この、言葉が喋ってくれる

 

 

平安朝かあ

 

確かに、興味があるし

ときどき、読んでみたくなる

 

なんでそういうのが

スキなんだろうと思うけど

スキなことに、理由などない。

 

好きだから、好き。

 

どうしても理由を付けたかったら

宇宙の流れとか

 

前世でそうだったとか

 

スピリットさんが、好きの光線を送っているとか

 

 

平安朝かあ。

 

というわけで

二度手間でしたが

気になっていた、レトロな雰囲気のライトノベルを

手に入れた。

 

そして、さっさと読み始めた。

 

これ、意外と面白いワン。

 

平安時代じゃなかった。

 

ぱらぱらっとみたときには

平安時代かと思いこんだのだ。

 

明治、のつもりらしい。

へえ。

 

 

ライトノベルと

そうではない小説と

純文学と

 

どのように分けたらいいか

まだよく分からない。

 

でも小説って

面白いよね。

どうして面白いのかな、と

ふと立ち止まって考えてしまう

 

こういう文化に接したことない人っていないよね

どこかで、きっと、見てるはず

 

それは、小説の文章ではなくても

マンガになっていたり

ドラマや映画になっていたり

 

どんなジャンルとか

さっさと書いてみたら、とか

いう人がいるけど

それは、ステレオタイプな反応で

そういうことを言って書ける、という図式にはないと思う

 

ちゃんと準備して整って

自分がこれでいい、と思ったときに

書けると思う

 

 

人に話すと

 

「小説を書こうと思っているんだ」

これを、言うと、大抵の人は、同じ反応をするので

 

もう、この言葉はやめよう

 

「小説を書いているんだ」

 

これも、同じ反応が返ってきそうだ

 

 

こういう、ステレオタイプを見たくないという欲求があるから

人と違うものを書こうという欲求につながり

小説家になろうという原動力になるんだろうなあ

 

 

はやくさっさとやったらいいのに

という、アドバイスは、

さっさとやらない人に向かっていうアドバイスだ

 

私はなんでも、さっさとやるタイプなので

やりすぎるくらいなので

 

ちょっと、ゆっくりと、時期を見ながらやることの方が

難しいのだ。

 

 

今までに

さっさとやってしまって、すぐに飽きてしまったものが

いっぱいある

 

でも

さっさとやらずに、じっくり時間が掛かったけど

やっているものもある

 

ものによっては

長く続いているものもある

 

 

スピリチュアルの世界も

もっと、早くから

 

プロとして、先生として、

さっさとやったらいいじゃん、と言われたこともある

 

でも、やらなかった。

 

やろうと思って

準備して

途中でなんとなく、

 

しらーーー

 

そしてまた次にいく

 

みたいなことを繰り返した

 

この辺りで、自分で自分に叱咤激励するかもしれないが

そういう風にとらえていない。

 

物事にはタイミングであったり

向き不向きがあるんだ

 

やること、だけが、一番いい選択ではないのだ

 

ここら辺の、Yes No が区別つくのが大事なんだ

 

 

私のスピリチュアルに関しては

 

ぜんぜん、プロとしてやっていないし

先生やる話も

まあ、消えてはいないけど

 

そういう方向ではなくて

 

どうも、使い方がちょっと違うんだろうなあと

思う

 

それじゃないよ、って言われて

また戻ってくる

 

この間も書いたような気がするけど

スピリチュアルの先生になるのではなくて

スピリチュアルを、適切に使いながらも

 

未来を見ていくんだと思う。

 

何かをやるときに、自分のために、役立てるんだ

 

右にいったら崖っぷちで

左にいったら、楽園

だったら、どっちを選ぶ

みたいなのを

 

自分で選ぶんだ

 

宝物と、お金と

うようよ、寄ってくる気配が

こういうものを、良いものを、どんどん

惹きつけるスピリチュアルパワー

これで、お金を集めるのだ

 

人の才能とか

良いものが、寄ってくる磁石を感じる

これを、使いこなすのだ

 

ヒーリングで寄ってくる

集まってくる

カメが生まれてくる