最近意外と、スピリチュアルのセミナーで練習してる。

一時期、もういいや、って思ったけど

最近は、再開して、またなんとなく

電車に乗ってるって感じ。

 

スピリチュアル電車に乗る。

 

興味がわく、とか、何かやりたいと思う、とか

人間いつまでも、好奇心や新鮮な思い

何かが常に変化し続けているね~~

 

何も見つからない、、、、ぶつぶつ、、、というときも

あると思うけど

それもいつまでも続くものでもない

 

やっぱこれ好きなんだな~

 

誰か分かる人と、分かち合いたい。

共有したい。

 

 

理解されたい。

 

 

そして練習なんだけど

セミナーに参加して

 

今回は、その人が頭の中で考えたものを

ポジティブなことか、ネガティブなことか、

オーラの色を見ながら、どちらであるかを当てる、みたいな練習。

 

 

私のオーラというのをみんなが見たとき

私が頭で考えたことは、必ずしも、ポジティブなものとはいえない

複雑怪奇な社会の中のニュースの一コマ、だったのだけれど

 

見てくれた他の生徒さんたちは、みんな、ポジティブなオーラが出ていた、という。。。。

 

そのニュースの一コマが、ポジティブな結果に終わるのか

私が、どうも、ポジティブなオーラを出してしまうのか

どちらかは分からない。。。。

 

オーラって、そんなもんでしょ。って思う。

 

 

そして、別の人をみんなで見たとき

 

私から見たら

その人は、ゴールドのオーラが出てきて

トラとか、ライオンとか、猛獣のオーラが出た~

猛獣が、食べてやる~って言ってるような、、、、

そんな感じなんですけど

 

と言ったら、

その人が頭に浮かべていたのは、大きなパフェで、

これを食べることを想像していたんだそう。。。

 

みんなで笑った。

私もその人を見ていたときに

どうして、ライオンとか、動物の姿になっているんだろう、って

なんだか、女性に向かって、猛獣とか言っていいのかしら

って、少しためらいはあったんだけど

 

これは、ある意味、当たった!ってやつだ。

言ってよかった、ってやつだ。

 

 

こういうスピリチュアルの世界で練習するときは

出来るだけ、言ってみた方がいいんだなあ。

 

 

私はもうちょっとしたら

これで、リーディングとかやりながら

相談にのる、ってことを

始めるつもりだから

もうちょっとしたら

プロとしてやるつもりだから

 

今、練習なんだなあ。

 

それからさ。

ちょっと他の人に言う、という話し相手もいないので

ここで呟くけどさ。

 

 

ネガティブをみる、という練習もあった。

私の持論ですが

 

ネガティブは、見る必要はないんじゃないか、って思う。

 

 

練習だからと

割り切ってやろう、としか言いようがないが

やらされることには、戸惑いがある。

 

例えば、その人のネガティブなものを

ほじくりだして、見てみる、という練習。

 

今、でなければ、過去のものでもいい、

その人でなければ、その人の友達とか、家族とか、周りの人のでもいい、

〇〇のネガティブ、〇〇のネガティブ、〇〇の、、、、と幾つか分類していたけど

なーんか。聞いてるだけで、おおお。って溺れてしまいそうだ。

 

これを、聞いても、リーディングに来たお客さんとしては、何も意味がないように思うんだけど。

例えば、過去、何歳のときにこんなネガティブなことがありました、みたいな話。全然意味がないと思うんだよねぇ。

 

それを伝えて、リーディングの信ぴょう性を増す、みたいな論理だったけど。要らないと思うんだけど。

 

私がお客さんだったら

その話始めたところで

このスピリチュアルさんは、自分には合わない人だ、って

思ってその場で退席するかもう二度と来ない

ということになるだろうな

 

こっちがわざわざ見る必要ないでしょうと。

本人が、自分から話しだしたら、それを聞くというだけでも

十分だと思う。

大抵は、自分から言うことだ

 

どうしたらいいか、どうするかは、自分で決めることなんだ

 

自分で決めてもらう。

 

これを取ると、こういう結果になると思いますよって

できるだけ、客観的に聞こえるように、事実をつまみ出して並べるような話し方で伝える。

 

そこに、感情とか、思いを込めたりせずに。

 

そういう仕事だと思うんだよね。。。。

 

 

ネガティブなこと、って言うけど

そういうのは、伝える必要はないんじゃないかな。

どういうことが起こると思いますよ、ってのは

ネガティブもポジティブも関係なく

こういう事実、みたいなものを、伝えるのは良しとして

 

そこに、汚い~ネガティブさとか

入れる必要はないと思うんだよね

 

じゃあ、さっきの、猛獣のすがた、

あれは、ネガティブだったの?それともポジティブだったの、ってはなし。

 

ネガティブな感情から拾ってくる、という手法

なんだなと思った。

 

たとえば、何年か前に、仕事を変わった、というようなときに

これを、ネガティブな感情から拾ってくるとしたら

仕事がこんなことになって、こんな風になって、と

ネガティブな感情を拾って、イヤな話になってしまうだろうが

 

 

一つの事実も、どのように表現するかによって

全然ちがうストーリーになる

それは実は武勇伝ともいえる、人生の転機だったかもしれないじゃん。

 

ネガティブ、っていう感情のところから拾ってくるんじゃなくて

事実とか風景とかから拾ってくる方が

私はやりやすいなあ。

 

 

たまーに、ネガティブなこと言われるのが好きで

そういうこという人のところに、吸い込まれるように

行ってしまう人っているよ

 

そういう人がウヨウヨ集まってくる

 

私はそういうことは言わないんだ。

 

 

私は、ネガティブの話はしない。

好きな人だけ来てくれたらいいと思ってる。