ちょっと久しぶりに、壮大な夢をみたぞ。

 

 

ひとつは、あれは、お墓だった。

大きなお墓のなかに、いた。中にいたと言っても

入っちゃってるんじゃなくて

 

沖縄によくあるような、石でできた、お墓で

建物のようになっていたので、ぐるぐる、歩いて回った

ひろーい、お墓で、はじのほうに、海につながる、スロープがあって

 

そのスロープに、波がざぶんと、かかっていた。

お墓のたてものの奥の方に、だれか、奥の方に座ってるひとがいた。

 

このお墓

あとで、起きてからかんがえてみると

 

いつもみている、トイレの夢シリーズの

大きくなった、お墓シリーズって感じかな。

 

 

それと、思うのは、このおはかは、ここの琉球の王様のご先祖様の世界な気がする。

 

どこかが、呼んでいるとか、招待されてる、気がする。

 

どこかにいくときは、お迎えがくるし

 

どこかが呼んでいて、向こうからくることが多い。

自分で、はっと、行きたくなることもあるから、行く。

 

だいたい、夢をみてから

2,3日のこともあるし

だいたい、1週間くらい。

長くて、3週間。

 

ああ、そういうことでしたか、と分かる。

 

もう一つの夢

こんどは、お風呂だった。

 

なんだか、こどものおもちゃみたいなもので、あふれていて

片づけたりして

なかなか、かたづかないのよ。

 

白い、ぬいぐるみのような、かわいい動物のおもちゃがいっぱい

あったなあ。

 

白い、という色を覚えている。

 

お風呂の夢。

お風呂も、いつものトイレの夢シリーズの

お風呂シリーズ、って感じ。

 

最近は、この辺の夢をよくみる。

なんとなく、同じような、種類の夢なのだ。

トイレと、お風呂と、おはかと。

わたしの中では。

 

これは、一種の、予知夢で。未来の、なにかが来ますよの夢なのだ。

 

なにかが来ます、って書いてるけど

まちがいなく、いいこと。すごくいいこと。これはいつもすごくいいことなのだ。

 

 

こういう、なんとかの気がする

ってのは、

だれにでもある感覚の

なんとかの気がするって

いう、感覚なのだ。

 

はずれることは、ない。

言ってしまって、はずれたら、どうしよう、ってのはない

 

かならず、あたるし

それが、たとえ

ちょっと違ったことだったとしても

なぜか、あとで、ちゃんと、つじつまが、あうのだ。

だから

なんの、心配もなく、なんとなく、なんとかの気がする

って言ってもいいのだ。

 

びっくりしても、がっかりすることは、ない。

 

これは、自分との、お約束みたいなもので

そういうふうに、決めると、自分と自分とのあいだで

そのように、なるのだ。

 

いま、ひとつ、小さなことだけど

どうかしら。。って思っていることがあって

いつものとおり、抽象的な表現なんだけど

 

 

仮に

Aということがらと

Bということがら

と呼ぶことに。

 

Aというのは、自分と関係のある話で

Bというのは、現実には私ひとりで、コントロールできない事柄。

 

この、Aと、Bの、予定が同時に入ると困るなあと思ってる。

 

Aが先にくるか、Bが先にくるか。

どっちが、いつくるか、分からない。

 

普通には、Aも、Bも、自分でコントロールできることではない。

 

ところが

おそらく

わたしのどこかでは、ちゃんと、Aのことと、Bのことと、分かってるんだと思う。

 

ちゃんと、ぴったりの、タイミングで、あわせてくると思う。