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愛知県 名古屋 丸の内 弁護士加藤英男の弁護士日誌余白メモ

弁護士加藤英男の日々是精進気の向くまま思いつき

民法416条は、相当因果関係について定める条文で、債務不履行だけでなく、不法行為にも準用される、と、大学で習った。

 

でも、債務不履行(415条)では、「これによって」生じた損害の賠償を請求することができる、と規定されていて、因果関係は、すでに債務不履行責任の要件になっている。

 

また、不法行為(709条)でも、故意又は過失に「よって」他人の権利又は法律上保護された利益を侵害した者は、「これによって」生じた損害を賠償する責任を負う、とされていて、因果関係は、すでに不法行為責任の要件になっている。

 

民法416条は、客観的法律要件である、相当因果関係について定める条文ではない、と思う。

 

民法416条は、意思責任主義、意思自治の原則を宣言、具体化した規定である。

 

 

およそ、人が権利を得て、義務を負うのは、当の人に意思のゆえである。

それが近代法の建前である、意思自治、意思責任主義の原則。

 

民法416条は、人が責任を負うのは、意思の及ぶ範囲の限度であることを、明確に宣言する規定である。

人は、制御可能であった、予見可能性が及ぶ事情から生じた危険について、責任を負う。

制御可能であった、予見可能性が及ぶ事情が内包していた危険性が現実化した場合に、責任を負う。

 

民法416条は、意思自治、意思責任主義の原則から来る、当然の帰結を、定式化しただけの条文である。

 

以上が、私の考え。

 

 

こうやって考えると、

 

①色んな裁判事例における裁判所の判断が、うまく説明できる。

 

②実行行為性、債務不履行性の実質は、「不能犯学説」での「客観的危険説」に近い考え(注:基礎事情を事実的事情と評価的事情に分け、事実的事情については行為時基準、評価的事情は口頭弁論終結時基準とする)が妥当ということになり、

 

③因果関係論では、相当因果関係説は無用で、もっぱら条件関係説で十分ということになる。

 

 

詳細を説明するとなれば、やっぱり論文書かないとだめか。

大作になりそうなので、躊躇しているところ。

 

 

 

 

意思自治の原則とは、私人間の法律関係の発生、変更、消滅の根拠は自由意思にあるという原則です。

 

刑事法では、意思責任主義といって、行為者に対する責任非難ができない場合には、刑罰を科すことはできないという原則がありますが、同様の考えに基づいています。

 

つまり、民事であれ、刑事であれ、当の行為から生じる法律効果の根拠は、行為者の意思にある。

こうしようという積極的な意思(故意)だったり、こうすべきであったのに期待された行為をしなかったという消極的な意思(過失)だったり。

 

人が責任を負う場合というのは、当の行為を行った人の意思(積極的意思である故意、消極的意思である過失)が及んでいる場合でなければならない、というのが、近代法以降の建前です。

 

 

簡単にいえば、

 

違法とは、法令に違反する、悪いという評価が与えられるということです。

 

責任とは、悪いという評価を行った行為者を問責できること、責任追及できるということです。

違法は客観的に、責任は主観的に。


これは、法律の世界では、鉄則とも言えるべきものです。


違法性判断は、何か悪い考えをもったからではなく、誰かの権利利益(法益)を具体的に侵害したとか、その危険性を惹起(じゃっき)させたという、法益侵害ないし法益侵害の危険性の判断です。


これに対し、責任判断は、法益侵害ないし法益侵害の危険性を回避することが可能であったにもかかわらず、これを回避しなかったという、意思決定への非難可能性の判断です。


そして、これらの判断は、客観的な立場から、つまり、科学的、経験的事実をもとに、一般人の立場から、裁判官が判断します。


これが、法律の建前です。

不法行為責任、債務不履行責任(損害賠償責任)は、

 

要するに、

 

 

①危険をコントロールできて、コントロールすべき立場にある人が、

 

②その危険をコントロールせず、

 

③それによって、

 

④危険を現実化させた場合に、

 

 

予見可能だった危険から発生した損害の限度で責任を負わせる制度。

 

 

被害者の損害回復と行為者の行動の自由、損害の公平な填補ということから、考えていく必要があるでしょうね。