なかそら展 空中空 宮永愛子
宮永愛子による 空中空 なかそら展
観に行ってきました♡
私はこれまで、写真ばかりの文字の少ないブログ記事を好んできました。
それは、
私の考える、感じる、絶対揺るがないものだけ、キーワードとして記事に落とし込み、ほかは読者の方が自由に想像してほしいから。
だけど、最近気づいたんです。
いろんなメッセージを頂いて、
また、コラムに対した色々な反応を感じて、
私がどんな目線でみているのか、何を感じているのか、を見に、このブログへ足を運んでくださる方がいること。
そして、自分がコラムニストを始めてから、他のライターの方の記事を読む機会も自然と増えました。
その中で、やはり、誰かの考えを植え付けられたくなかったり、自分にはっきりとした考えのあるものは、フォトポートフォリオを重視して、文章を気にしていなかったり。
つまり、
たくさん書かれていても、読者は読むか読まないかを選べるってわけ。
こちらが、書かない、書く、ではないのかな、と。
前置きが長くなってしまいました。
今回は、空中空 なかそら展のレポート記事を。
私の感じたまま、書かせてください♡
いつもなら、どこでもカメラを構える私ですが
私の愛するデジイチが故障して修理中だったんで、iPhone撮影です。
質がわるくすみません。

会場に入ってすぐに現れた、18メートルの長いボックスに集められた、日用品たち。
『透き間』
先へ進むに連れて、輪郭の崩れていく日用品。
なぜ壊れていくのか
変わりゆく形。
それはナフタリンという物質の特徴にある。
殺虫剤に含まれる昇華する物質のナフタリン。
常温で昇華するため、常に形が変わりゆくの。
宮永愛子は、季節の衣替えをしていて気がついたんだとか。
作られたときから消滅への、プロセスを歩む。いや、作られている時から、というのが正しいのかも。
作品はもちろん、誰にも真似できないオンリーワン。
そこに、日々自然と形をかえていく物質が使われているなんて、
私にはすごくロマンチックで、だけど同時に淋しさを感じるものでした。
もう、今日の、今この時間の姿は、もう見られないのだから。
そう感じると、自然と作品すべてを見終わって、スタート地点へ帰ってきた時、
宮永愛子氏の作品集をパラパラとめくり、
またもう一周まわってきてしまいました。
暗闇のなかに浮かぶ無数の白。蝶。
その空間を抜けると
広々とした空間に30メートルに達するキンモクセイの葉が12万枚もつらなり、不思議と心現れる光をくれたの。
景色のはじまり
葉脈をつなぎあわせた作品。
本当に、これまでキンモクセイがすごしてきた景色を思い起こさせるよう。
これもまた、宮永愛子氏の素材へのこだわりが感じられる作品です。
20リットルの海
実際に潮の香りがするわけでも、海の水がはいっているわけでもない。
広く白い会場に、キンモクセイの葉脈がひろがり、ガラスの置物、そして、ナフタリンで作られた網が無造作に置かれているだけ。
なのに
この場所では、海の広大さを感じた時のような、心洗われる感覚が。
浄化 という言葉がふさわしいのかも。
空中空は「そら」ではなく、「から」でもなく、変化しながら巡り巡っている全ての所在 とのこと。
最後の空の文字は鏡文字になっているの。
それは、文字からの固定概念を受けずにイメージを膨らませることができる という、宮永愛子氏の変な癖…といえるのでは。
やはり、世間とすこし違った方向から焦点をあてられる人が生み出す芸術ってすばらしい♡
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