Apart 第二夜
オレは大好きだ。一日の疲れをバーボンで流すのは夜だし、女が色っぽくなる時間も夜だ。
煙草の紫煙が映えるのも夜、そして何よりハードボイルドな匂いがするのも夜だからである。
俺は中上宗太、27歳。
仕事はこの年季の入った渋いアパート『新緑若
葉荘』の雇われ管理人だ。
只のではない、ハードボイルドな毎日を送る管理人だ。
昼間はこの2階建てのお年を召したレディのご機嫌を歩いて伺い、住人達のトラブルをこの腕1本で解決する。
休憩に煙草を一服。煙を吐き出す度に感じる。あぁ、俺にはダチもオンナもいらねえ、お前さえいればいい。
俺はコイツとこの頭。金の懸ったゴールデンのアフロさえあればいい。
そうこいつらさえいれば。
「何ブツくさ言ってんだよ、この給料泥棒。お前缶ビール1本どころか、缶コーヒーも呑み切りゃしないし、喘息持ちでアタシにだって近づかないじゃないかい。」
・・・俺は金色の宗太。頭脳明晰でハードボイルドな男だ。
その夜のことだ、俺が白い女に出会ったのは。
俺はここ渋さの漂う『新緑若葉荘』のマダム、当摩フサに住み込みで雇われている。
やれやれ、今日も晩メシの時間か。
俺には食事なんていらない。濃いタバコと、バーボンそれだけでいい。
「アンタねえ、メシの時ぐらいその一人言、止めらんないのかい、丸聞こえなんだよ!
アンタに女ができないのはただモテないだけだし、この前なんて米切らしただけで2時間も文句言い続けたじゃ・・・」
ピンピンピンポーン!!!
マダムが一通りクレームを俺に言い終わろうとした時だった。玄関から大音量のピンポンが連続して聞こえた。
この管理人室のピンポンの音はかなり大きく設定されている。
理由は2つ。1つはこちらが寝ているときでもすぐに住人のオーダーが聞けるようにするため。もう1つは管理人室が2人分の大部屋であるためだ。
いくらあのマダムとはいえ、狭い一つの部屋で俺と二人だったらすぐに俺の魅力にやられてしまうに違いない。
自分の主人さえ墜としてしまうとは。俺とは自分でも恐ろしくなるくらい罪な男だ。
だがしかし、俺には必要がない。
何故かって?俺は愛する女の横ですら熟睡できない男だし、俺には他にも全国にもっといい女が大量にベッドの横を開けて待っているのだから。
そしてそこで女の寝息をBGMにバーボンと煙草で眠れぬ夜を明かすのだろう。
マダムがいなくなり、俺は静かになったこの部屋でその日のことを思い出していた。
変な一日だった。
俺は朝イチから居るとも居ないとも分からない住人の入っているヴェインテージな部屋の前の廊下を掃除するよういわれているが、掃除はハードボイルドな男のする仕事じゃない。
男の仕事として俺は銃の手入れを欠かさない。その日も部屋の中でじっくりと嬲るようにいじってやっていた。
調子が良かった俺はマグナムいじり3周目に突入しようとしていた。普通の日じゃ2回が限度だ。
妙に調子がよかった。
そんな時だ。真上から低い振動と女の悲鳴のような大きい音が響いてきた。
恐らくトラブルだろう。じき収まる。触らぬ神に祟りなし、だ。
そうだ、夫婦ゲンカは犬も食わない。犬すら食わないものをハードボイルドな俺がなぜ口にせねばならんのか。
しかし、ハッキリ聞こえなかったとはいえ興が削がれた、瞬間だった。
何かが落ちる音がした。それも大量に。
何だ、何が落ちてきた?死体か?そんなに大量に?
いや、待て落ち着け、そんなに死体が大量にあるわけがない。それに音もそんなに重くなかった。
だとしたら何だ?武器か?エモノ ― 刃物、銃・・・もしかしてその持ち主も降りてくるのか?
ヤバい、危険すぎる。ここにいるのがバレたら確実にやられる。
こっちは全裸な上、この小さいだけが自慢のデリンジャーでは勝てるわけがない。
緊張で汗が吹き出し、一瞬にして口の中が砂漠のように渇いて泣き出したときのように喉が痛い
こういう時、漢とはどういう行動に出ればよいのか?
考えろ宗太、お前は頭脳明晰でハードなボイルで.・・・混乱していた。
とりあえず、服を着ることにした。音を立てないように四つん這いでベッドから降り、体を起こさないまま指先で服を掴んで手繰り寄せる。
と、ミスった。T-シャツの中に光るものがある。ネックレスだ。あれは大きい音を立ててしまう。
しかし、T-シャツはすでに引き寄せられ銀色のチェーンは滑り出していた。
2階の廊下を足早に歩く音がした。
気づかれたか!?
階段を下りる音がする。もう駄目だ。終わった。最期ぐらいカワイイ女が抱きたかった。
顔の横では先ほどの使っていた雑誌の表紙ではアイドル『牟田尾ひじり』が微笑んでいた。
さよなら、俺の未来のカミさん。さぞキレイだっただろうに。
さよならアフロ。お前の下にいると思うと力が湧いてくる気がしてた。
さよならハードボイルド。さよなら牟田尾ひじり。
気づけば、チェーンはベッドの角に奇跡的に引っ掛かっていた。
ナイス俺の強運!!ありがとうアフロ!!ありがとう牟田尾ひじり!!
急いで服を纏い、音を立てず玄関に行く。音の正体を確かめるためだ。
そこにあったのは白い女の後ろ姿だった。
敵の深追いはまずいと相場が決まっている。俺はそのまま睡魔に墜とされてしまった。
しかし、犯人は現場に必ず戻ってくるというのもよく聞く話じゃないのか?
・・・何はともあれ、俺は助かったのだ。
そう。俺は強運のゴールデンボーラー宗太。ハードボイルドな管理に・・・
「宗太、鍵開けてやりな。こんなに感動したのは久しぶりだよ」
マダムが泣いている・・・さすがに彼女も女ということなのか。
仕方ない行って一言付けて男のハードボイルドな優しさを見せつけてやろう。
ん?そう言えば、開けるってどこの鍵を・・・
玄関には白い悪魔が立っていた。
鬼島結希(キジマユキ)と名乗ったはどこか不自然で、昼から抜け出してきたようだった。
夜を侵略しに来ました、それではさよならですとか言い放ってとてつもない力で一瞬でこちらを消し去ってしまうようなそんな妄想が頭の中をキリなくリピートしているようだった。
・・・一瞬にして昼間の感覚が蘇る。
コイツだ。
鼓動はペースを上げ、胃がひっくりかえりそうで、喉から音を立てて息がもれそうになっていた。
動揺を悟られてはいけない。こいつは探しに来たのだ。真昼の証人を。
「着いて来な」
喉から漏れる空気を何とかカタチにしてひねり出せたのはその一言だけだった。
しまった。一瞬声が裏返らなかったか。
バレるのだけはまずい。どうやっても回避しなければ。
一歩ずつ足を踏み出す。歩きながらもう一つの失敗に気づいてしまった。
背中を見せているのだ。これではさぁやってくれと言わんばかりじゃないか。
慌てて自分の感覚を研ぎ澄ます。自分の周囲360度全部に。
この女の身長は俺より低い。後方の上からはないだろう。
気を配りながら階段を上る。
不思議な気分だった。ここまで気を尖らせたことがないせいか、こんなに細かいところに気がつくとは思っていなかったのだ。
2階に上がるのは久々だったがクモの巣がかかっているのが分かった。
ゆっくりとその下をくぐり、異臭に気づいた。その匂いが確実に一番奥の部屋が垂れ流していることにも。
「開けるぞ」
もう喋りたくなかった。恐らくこれ以上喋ると動揺がバレる。そして後ろを抑えられている以上逃げ場はない。
が鍵を開けた瞬間、女がドアノブの前に踊り出た。
勝ったぞ!!これで逃げられる。
そう思って息をついた俺は失敗した。
女にやられる前に強烈な悪臭に俺はやられてしまったのだ。
臭い。気を失いそうになるほどだ。というか、臭いかどうかも分からないほど強い匂いだった。
何というか、匂いの量は多くても、先端は尖っていなくてゆっくりと穴という穴から体内に入り、そこに居座り続けるような感じだった。
ハードボイルド、匂いに負ける・・・
よく見ると女は前かがみにうずくまっていた。
注意して肩を揺すってみると女は倒れてしまった。が、黒髪の中に見開いた白目を二つ見つけ慌てて口を両手でふさいだ。
悲鳴でコイツが目覚めたらどうする?やられてしまうぞ、俺?
が、このまま置いておくわけにもいかない。どうしたものか?
この状況で居るのか居ないのか分からない住人たちを巻き込み状況を混乱させれば面倒くさいことになる。
これ以上くさいのはたくさんだ。あ、上手いな、俺。
この場での最善はこの女が起きないうちにこの部屋に担ぎ込んでしまうことだ。
そして、動けないようにして、安全を確保しよう。
さすがはハードボイルドの塊である俺、中上宗太。漢の中の漢。
女を担ぎあげる時変なことに気づいた。
なんなんだこの手。絆創膏だらけで肌がほどんど見えていない。うっすら血が滲んでいるところを見ると怪我はしているようだ。
そしてまだ部屋に入っていないのに異様に魚臭いのだ。
ドアノブかと思いノブを掴んだ自分の手を持ってくるが臭わない。恐らく元からだ。
とりあえず部屋に入った俺は異臭の正体に気づいた。
大量の血のりがついている他、この部屋は水浸しだった。
女を適当に寝かせると水が強烈な匂いを発しているのが分かった。
大量の水、怪我、夜道、白い女、血のり、魚臭い・・・
何かが繋がっていく気がした。
そういうことか、やっと繋がった
俺は強運でハードボイルドなゴールデンボウラー、宗太
今こそ鉄鎚をくだs・・・
「ちょっと待ったアアアアアアアアアアアア!!!!」
叫び声が静寂を引き裂いた、のか?
続く
Apart 第一夜
あなたは夜が好きだろうか。
空気は澄み、やかましい黒鳥どももいなくなる。
しかし、本当にいなくなったのだろうかとも思う。
いや、本当は夜の帳に隠れてもの寂しい街灯の下を通るものの喉元を一突きにしてやろうかとねらっているんじゃないか。
いるのといないのでは大きな違いがあるけれど、いないものを想像の上でいるのかもしれないと認識しさえすれば、それはいるのとあまり変わらない。
暗く、星光や月輪の力が弱まった現代の郊外においてはさらにその現実味は増す。
ヒトはそういったものをバケモノだとかモノノケだとかヨウカイ、はたまたモンスターと呼ぶ。
そこまで考えて私は暗闇から無限の黒い飛針が飛んでくるような気がして身震いし足をとめ、深呼吸をした。
理屈っぽいくせに無駄に膨大な想像力を持っており、それをコントロールできないのが私の悪いところだ。
ここまでダラダラ考えてなんなのだが、やはり私は夜が嫌いなのだ。澄んだ空気は好きなのだけれど。
私は、夜の中の何かに対する怯えを“それ”に立ち向かっているという優越感で相殺しながら見慣れない道を急いだ。頑張れ私、ビバそのみ。
いや、見慣れていたのかもしれない。でも、今は夜だ。再び大きな変貌を遂げた道路をひたすら進む。
今日は本当はもっと早く来るはずだった。それをアイツ、あの黒ネコを可愛がっていたら眠くなり、こんな時間になってしまった。
おかげで何度もあらったはずなのにまだ手が若干魚臭い。大量に絆創膏を貼っているけれど、やはり臭いものは臭い。
不思議なネコだった。
お腹が減っているわけではなさそうだったけれど、妙に人懐っこくて喉を鳴らす度にまるでヒトが笑うみたいに歯を剥く。
ニッと。
恐らくやつは生き物ならざるものの使いで私を夜の魔界に引きずり込もうとしていたのか。あの右目と左耳がないネコを思い出し、私も歯を剥いてみる。
ニッ。
誰かに見られている気がして慌てて止めた。
ニッ。
闇の中で片目のチェシャ猫が笑った気がした。
ニッ。
そろそろ着くころだ。
さすが私だ。道に強いのを自称するだけはある。もっとも、近所の区画整備されていない場所では道に迷うこともあるのだが。
団地が見えてきて私はその敷地に入った。
やはり夜は嫌いだ。頭上の賃貸マンションに見降ろされると、無機質で長身な複数の尋問官にやってもいない罪を問われているようだった。
貴様は殺人の罪で有罪、禁固24年、猶予などない!!、とか。
しかし、私が用があるのはその先にあるボロアパートだ.。築30年は余裕で経っているだろう。風が吹く度に2階のベランダが揺れていた。
人とはたくましい生き物だ。例え、そこがピサの斜塔のようなところでも視界が慣れてさえいれば大量の洗濯物を干す。
目当ての部屋は2階の奥の角部屋だ。夕方になれば西日が射し込み古い内装をさらにわびしくさせる。
階段を上がるとクモの巣がちょうど私の目線ぐらいにあった。
私の身長はサバを読んで160cm。そうすると高さはだいたい150cmくらいか。
私はしゃがみながらジェットコースターの制限身長は150cm以上だったことなんかを思い出していた。
すたすた歩いてチャイムを押す。いつもの過程だ。出なかったらドア板を殴り、それでも出なかったら蹴ることにしていた。
今夜も構わず同じことをする。反応はない。
いつもならそこで大したこともせず帰っているところだった。
踵を返した瞬間だった。
隣のドアから二つの眼がこっちを射抜くように睨んでいた。
慌てて私が取った行動は、あの猫のように歯を剥いて卑しく微笑むことだった。
走って階段を下りた。そこで不思議な胸騒ぎがした。辺りには魚を焼いた香ばしい匂いが立ち込めている他は何もない。はずだ。
根拠の出所不明な不安は私の想像力を暴走させた。その中には彼の部屋からゾンビが溢れだすような突拍子のないものもあったが、私に行動を起こさせるには充分すぎる燃料になった。
何とか部屋の鍵を開けてもらおう。
私は足を止めさせようとする言い知れない不安と闘いながら1階の一番奥を目指した。
このボロアパートの大家兼管理人一家がここに住んでいるのを知っていたからだ。
私は勢い余ってチャイムを連打してしまった。
「どなたさん?」
目の釣り上った中年女が出てきた。怒っているのではなさそうで、ただ人相が悪いだけのようだった。
肌が黒い。
相当なヘビースモーカーなのだろう。部屋の中に詰まっていた魚と煙草の混ざった匂いが戸口の私をこれでもかと熱烈に歓迎してくれたために、私は吐き気を催した。
事情を説明し、鍵を開けてもらうことにする。大家は聞いているのかいないのか、私が彼の姉だという嘘にうんうんと頷いて反応した。
その様子が眠気で船を漕いでいるようで一瞬吹き出しそうになったが、一生懸命嘘を続ける。おかしなものでヒトというのは笑ってはいけないことを意識するときと、嘘をつき続けるときほどだんだん笑えてくるものである。
私はこの拷問に耐えながら、あまりにも同じリアクションしか取らないので、話を流した揚句どんな事情があっても部屋には入れてもらえないだろうと思った。
うまいこと話を切り上げて、この場を立ち去ろうとした。こんな状況で彼が帰ってきて最悪の状況になることだけは避けたかった。
「じゃあ・・・」
そう言いかけた時に大家の目に光るものが。
一瞬匂いと相まって魚のウロコかと思ったが、この状況で目からウロコを出すのは私じゃないのか、いやそもそも、眼球からウロコは出ないし、出たところで痛い。というか「目からウロコ」とはそんな意味の言葉ではない。
リアクションに困った私はそんなことを考えながら大家の行動を待った。
「いい・・・話じゃないか・・・」
そうですか?
「そうだよ、この辺じゃもうカエルなんて釣れやしないし、今どき姉妹が訪ねてきてくれるなんてほんと、何て幸せなんだろうねえ」
大家が何を言っているのか解せないでいた。
あの、私カエルな・・・
「宗太、鍵開けてやりな。こんなに感動したのは久しぶりだよ」
腕で目を擦りながら大家は奥に声をかけた。さぞ、腕も臭いのだろうかと考えていると奥から金色のブロッコリーが歩いてきた。
見事なアフロだった。型崩れしておらず、下は程よくくびれていて上のボリュームも申し分ない。
私は別にアフロマニアでもアフロにしたいわけでもない。
ただ、あの形が好きなのだ。
話を聞いていたらしい宗太・ブロッコリー・大家は私のアフロへの熱い視線を勘違いしたらしく
「着いて来な」
と低くし損ねたハスキーボイスで言った。
階段を上がりながらこのアフロにクモの巣が引っ掛かるのはもったいないと考えていたがブロは器用にそれをすり抜けた。
どうやら管理人の仕事はこのブロが真面目にこなしているらしい。
無言だったブロがおもむろに口を開いた。
「開けるぞ」
恐らく、今後何度この声を聞こうにも私はなれることはないだろう。
鍵を開けてもらいドアノブに手をかける一瞬何か喉が干上がるような緊張を覚えたが、一瞬その理由を見失っていた。
ドアを開けるとその理由が分かった。
部屋には魚の匂いと大量の血が充満していて、私は思わず息を呑んで後悔した。
続く