故伊藤直榮先生の呼吸介助技術を伝えるようになって、25年以上経った。
当初は自分の持っている技術を教えようと考えていたけれども、最近少しずつ考え方が変わってきているように感じる。

「私の中にあるものを教えるのではなく、私は仲介者にすぎないのではないだろうか」
“技術を与える”のではなく、呼吸介助の技術が出来るという身体感覚にアクセスできるように、受講生の方々と一緒に試行錯誤している感じが気持ちに合っているように思える。

このようにすれば出来るという感覚を、どのようにすればご自身の体感として感じてもらえるのか、一緒に悩んでいる感じ。連続で繰り返して技術を練習していただくことも一つの方法かもしれないし、何かのきっかけで「ああそうかっ!」と突然悟ることもあるかもしれない。人それぞれに、感覚のつかみかたは異なるので、伝えている私自身がいつも技術を学ぼうとしている方々に教わっているように思える。

“伝える”ことは“与える”ことではなくて、“私自身が学ぶこと”なんだな~と少し思えるようになってきた。
当初は自分の持っている技術を教えようと考えていたけれども、最近少しずつ考え方が変わってきているように感じる。

「私の中にあるものを教えるのではなく、私は仲介者にすぎないのではないだろうか」
“技術を与える”のではなく、呼吸介助の技術が出来るという身体感覚にアクセスできるように、受講生の方々と一緒に試行錯誤している感じが気持ちに合っているように思える。

このようにすれば出来るという感覚を、どのようにすればご自身の体感として感じてもらえるのか、一緒に悩んでいる感じ。連続で繰り返して技術を練習していただくことも一つの方法かもしれないし、何かのきっかけで「ああそうかっ!」と突然悟ることもあるかもしれない。人それぞれに、感覚のつかみかたは異なるので、伝えている私自身がいつも技術を学ぼうとしている方々に教わっているように思える。

“伝える”ことは“与える”ことではなくて、“私自身が学ぶこと”なんだな~と少し思えるようになってきた。








。ほとんど憶えていない
。家の庭にあったブランコは記憶の断片でかすかに憶えている。記憶の断片から幾つかのシーンが頭の中で再現される。兄貴と遊んだこと
、母にしかられたこと
、砂でつくったケーキ
が本当に思えて、かぶりついてびっくりしたこと
etc・・。絵や写真、母親の言葉などをきっかけにして、当時のシーンが蘇ることがある
。全部はっきりと思い出せるわけではないが、そのシーンはかなり明確に浮かび上がってくる
。自分の中のどこかに眠っている記憶
。
私が、最近過去を振り返るようになってきた。私はおおくの素敵な人達
に囲まれてきたことに気づく。自分の過去は私のバックボーン。後ろにも注意を向けながら前に進むのは、安定感と充実感が違うようにも思える
。
。