久しぶりにブログを書きます。テーマはずはり「自信」です。

実は私はロータリークラブというところに属しているのですが、その先人の一人が「目標は大きな方がいい。大きな目標は心を振るわせるが、小さな目標は心をしぼませる」と言っていました。

でも大きな目標というのは、それを持ち続けるだけの心の力がないと、その目標に押しつぶされてしまいがちです。その心の力こそ目標が必ず達成できるとという「自信」ではないのかなと思うんです。無論、お金や地位や知識も大切ですが、それ以上に自信こそが大切かなとおもうんです。

他人からみたら到底その人の現在の力量にそぐわない目標であっても、実現できると信じれば実現できるし、古今東西の成功者に共通していたのはこの「自信」のような気がします。

それと「自信」を持つのには何の根拠もいらないし、お金や地位や名誉もいらないんですから、誰にでも与えられた成功の重要な材料だし、持ち放題です(笑)他人が根拠のない自信といおうが、無茶な目標といおうが、関係ありません。勿論他人も認めお金があれば、それに超したことはありませんが、これらが得られても自信をもてない人はやっぱり自信がもてないんです。

最近の日本をみていると、このままでは日本は破綻するから税金を上げなければならないとか、何か昔の日本人が日本という国と国民の力に対してもっていた自信がどこかに行ってしまつているような気がしてなりません。

日本人は豊かな生活を手にするうちに自信すらもお金や地位でしか手にいれられなくなってしまつたのかもしれません。

でも、もう一度日本という国と日本人を信じてみたいです…何の根拠もないけれど…でもみんなが本当の自信をとりもどしていけば日本はまた良くなる。そう信じていますニコニコ

追加:最近きいて気にいっている言葉

①幸せに敏感に、苦労には鈍感に

②勝敗は兵の数のみにて決するに非ず。

③自分に恥じない仕事を行うことこそ肝要であり、相手の評価が得られなかったことを恨んではならない。なぜ評価がえられなかったかを反省の糧とすればよいだけである。

昔、受験をしていた時に、見解はどうかと問われたら「考え方は3つあります」と書けば間違いないと教えられましたキラキラ
つまり賛成意見と反対意見と折衷・中間意見です…まぁ当たり前の話なんですが(笑)
ただこのうちの中間意見をとることがバランスだと思うのは間違いなんですショック!
実は、自分の意見だけが正しいのではなくて、色々な見解があることを知り、それを尊重して自分の意見を決めるという姿勢こそがバランス感覚であって、「リーガルマインド」つまり法的感性ということになります。
実際の場面でも自分の敵にも言い分があって、その人にとっては自分が正しいと思っているということを知ることで、問題は大きく解決に向かう事が少なくないと思います。
カーネギーの本にも書いてありましたがアルカポネですら、自分が善良な市民だと言っていたそうですからにひひ
「兵は拙速を尊ぶ」
最近、松下幸之助氏の一日一言をみていたら、この言葉を引用したお話がありました。
いうまでもなく、拙速とは少し稚拙なところがあるが速いということで、巧遅つまり巧みであるが遅いということの反対です。
松下幸之助氏は会社の運営においては経営者には見識と機敏な実行力が必要であって、刻々と変わる情勢の中では、一日の遅れが一年の遅れにも繋がることを知る必要があるとしています。
私も、色々な事案において色々な方々の千差万別な対応を拝見してきましたが、慎重と躊躇は似て非なるものという印象があります。どんなに美味しい料理も、昼休みに食べるには時間の制約がいります。多少味は劣ってもまずは昼休みに間に合う事の方が大切。あれこれと食事のばしょを選んで昼抜きでは仕方ないという事ですかね…喩えは悪いですが(笑)

今日テレビのニュースでホイットニー・ヒューストンさんの葬儀の時の弔辞の中で、どの俳優さんだったか忘れてしまいましたが、その人は主役を務めた人であるにもかかわらず、故人を讃えて「自分の役は代役でも務まったが、彼女の役は彼女でなくては務まらなかった」と話されていました。

まさに「余人をもって代え難し」ということでしょう。何かの仕事をしていて、これ以上の賛辞はないかもしれないなぁと思って聞きました。

資格があるからとか、地位があるからとか…そういうことではなく、まさにその人の果たしている役割がかけがえのないものと評価されたのですから、本当に素晴らしいことです。

ホイットニー・ヒューストンさんは確かに稀代の方ですが、でも私のように平凡な男でも、マニュアルどうりの仕事とか型にはまった仕事や生き方をするのではなく、自分なりに考えて努力をし自分の個性を打ち出した生き方をしていくならば、きっと余人を持って代え難しという存在になれるのではないかと思ったし、そう生きたいなと思ったところです。



明けましておめでとうございます鏡餅


「一葉目を蔽(おお)えば泰山を見ず 両豆(りょうとう)耳を塞げば雷霆(らいてい)を聞かず」

     鶡 冠 子(かつかんし):天則


意味は、そのままで…「一枚の葉のような小さなものでも、目を覆うと泰山のような大きな山も見えなくなり、小さなたった二つの豆でも、それで耳を塞ぐと雷鳴すら聞こえなくなる」ということです。


小事に捕らわれ大事や真理が見えなくなるということの喩えですが、人間はついつい目の前の物や近くの物音に気を奪われてしまいがちです。

自分の手で目を覆い、自分の手で耳を塞いでしまうことも度々です。悩みごとなども自分で塞いだ手を離せば解決への光がみえたり、自分で塞いだ手を離せば援助の声も聞こえてきたりすることがよくあります。

自分の心だけに捕らわれると悩みも解決せず、また大きな目標を見誤ることも少なくありません。


今年のブログの最初に、どのような言葉を書こうかなと思い、色々なものを読んでいた時、この言葉を見つけました。

多少本来の意味(ちょっとしたことにとらわれ物事の真理を見誤り、誤った判断や行動をとってはならない)とは違うのですが、些細な事にとらわれて悩むことなく、目を開き、耳を澄まして自分の道を歩む一年にしていきたいと思います。


つたなく、気ままなゆっくり更新のブログですが、今年も宜しくおねがいいたしますm(_ _ )m