自己紹介。このブログを偶然見た人。

 

 

このブログを書いている人はこんな人間です。

あ、ごめんなさい、本当につまらん人間です

 

でも一個いえるのはわりと躓きの多い上手くいかない人生を送ってきているので

こんな人もいるんだなと笑ってくださればそれでてへぺろ今も絶賛躓いてます。

それでも生きています。

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

36歳、主婦、既婚、子供一人あり、資格なし、職歴ほぼなし、これといった趣味もなし。

友達ゼロ、人間関係ほぼゼロ、(子供のために少し交流を浅くもつぐらい)、

パニック障害(今は改善)があります。

今では芸能人の方も公表されたりしてメジャーで理解もある病気だと思います。

でもあの頃はそんなに知られてなかったような気がします。

誰にも言ったことはありません。私の人生を大きく変えた物事の一つです。

 

 

 

仕事も新卒で2年もたたない間に、パニック障害で倒れやめてから治療に専念し、

正社員で働くことが不安で、アルバイトをしては、倒れ、辞め、点々とし、つづかず、

一日で辞めたり最低ですが、飛んだり、

ミスを繰り返して人間関係で体調を崩したり、辞め、単発バイトをするなど

どうにか自分にはまる仕事や働き方が無いかと模索していました。

でもそんなものは見つかりませんでした。その頃は25.6歳

 

 

どれだけ続いても1年ぐらいでした。大抵は人間関係で辞める。

ほんと自分でも自分に辟易してました。

 

自分は社会の中で生きていけないのではないのかと。

周りの友人は夢に仕事に向かい輝いてるのに私は仕事を転々として何をしているのか。

バイトすら続かないって終わっている。どうした、と。体調も不安定でなんでこんなに

つらいのか。駅のホームでただ座ってよくない事を考えるほどつらかった。

 

自暴自棄になって一度仕事を探すのをやめた時期に偶然今の配偶者と出会い、

3年ほど付き合い結婚しました。

病気のことも知っているのにめずらしいです。

こんなんと結婚するなんて。

正直、私なら私とは結婚しないです。

 

いままでの不運で、良い運をため込んでいたのかなと思う次第です。

 

あ、もちろん結婚生活もそんな順風満帆にはいかないんですが。

子供に一人恵まれて自分が子供を産むとも思ってなかったので

人生ってわからないもんです。

 

 

自分の病気を受け入れ治療すると驚くほど体調がよくなりました。

嘘みたいに

 

同時に病気を否定しない味方が近くにいるということが本当に私にはよかったようです。

 

 

本当に自分の不調を見て見ぬふりしてる人がいたら

本当に本当に勇気をだして病院に行ってほしいって。

 

 

中学生のころから今思えばいつも似た場面で具合が悪くなることがありました。

高校も大学もみてみぬふりして過ごしてきました。貧血だ。内科でも問題ないから大丈夫。

大学生の卒業旅行のバスで初めて大きな発作を起こしたのにも関わらず

車の酔っただけだと思い見て見ぬふりした。

 

なぜその時に病院に行かなかったのか。精神科に行かなかったのか。

それは親に少し相談したとき、

 

 

「自律神経が乱れてるからよ、生活が不規則だから病気じゃない」

 

(精神科なんてあなたには関係ない、気の持ちようなんだから)

 

と言われあ、理解はされないんだなとあきらめたからでした。

自分もそうでありたいと思っていたからです。怖かった。

 

 

本当は何か明らかに体調がおかしいとわかってた。気づいてた。

でもそのせいで就職が出来なかったら困る。

就活でも電車で具合が悪くなって(すでに特急に乗れなかった)

 

ホームでこけたり、トイレで吐き気が収まるのを待っていたら面接に間に合わないとか

ざらにあった。

 

もうおかしい状態だったのに爆発するまで我慢してごまかせなくなり

就職して二年で一人で抱えられなくなりました。

 

一気にそのつけが回って気づけば、仕事を無断欠勤して、

寝れない食べれないお風呂に入れない、

外に出れない、できないことが増えていき、もうこんな人生なら死にたいとなりました。

 

 

生活できなくなりやっと親にもう生きるのがしんどいとすべて打ち明け病院へ行きました。

遅すぎて鬱も併発していて、もう生きた心地がない日が待ってました。

思い出すだけ涙が出てきます。

 

受け入れるも受け入れないにももう動けない自分がいて。助けてくださいとしか言えない状態。

そんなことになってほしくなくて。一人で抱えないでください。

 

 

 

自分の子供がなにか不調を訴えてきたときは突き放さずひとまず受け入れて聞いてあげたいと

思います。一緒に考えてあげたい。一人で抱えてきた時間は孤独でしたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話をもどし、

転勤族で2年ごとに引っ越しをして育児をしていました。

転勤族なので専業主婦として生活をし始めるとパニック障害も驚くほど落ち着き

予期不安が減り発作も減りました。

 

ただ地元とはかけ離れた場所で赤子と二人。

いっぱいいっぱいになってとにかく子供を生かす事しか考えられませんでした。

パニック障害を意識しなくなったら次に

 

 

突然、献立を決めたり、料理や片付け整理整頓、金銭の管理ができなくなり、

大切な物事や忘れてはならない重要な約束を忘れがちになりました(元から不得意であったのが悪化)

 

怖くなり病院へ相談するとADHD不注意型と診断されました。

 

ただ配偶者がそれをあまり気にしない人なので、8年目で婚姻関係が続いています。

今や6歳の娘にも、ママは片付けが苦手、忘れんぼと認識されています。汗汗うさぎ

おそらく細かい人や潔癖な人は私とは暮らせないと思います。掃除も最低限です。

普通に離婚を考える人もいると思います。

 

これはいけないと、今は少しづつ苦手なパターンや手を抜ける事はすべて抜いて、

マストな事だけをしてどうにかやっています。リアルの知り合いには絶対に言えません。

ひかれるので。

 

服薬も療育手帳はもらっておりません。でもどうにかしようと日々工夫をしています。

(私流の工夫をのちのち書きます)

 

 

そしてもう一つ。

 

昔から人間関係がうまくいかず、

とても仲良い人は出来るも最終的には疎遠になり、失いをくりかえした20代~30代前半。

ADHDのせいにしたくはありません。

でも仲良くなりすぎるとつい相手に遠慮や配慮がなくなり(無意識だった)

要らないことを言ったりして(後で気づく)

それに気が付かない間に嫌われて終わります。

親友を何人なくしたかわかりません。

学生時代の友人とは結婚式の司会までしてもらったほどでした。

でも気づいたころには友達はいなくなりました。

 

もう友達や知り合いをを不快にはさせたくないし、

嫌われたくない、傷つく元気も気力もないです。

でも人とは関わりたいし、本当は仲良くなりたい。

 

なら深くかかわらないように、適切な距離を保ち絶対に一定から踏み込まないように生きています。

それで落ち着きました。さみしいですけど。

 

子供の為に、子供の友達のお母さんとはある程度うまくやっていかなければ、可哀想なので

日々自分が疲れない程度に交流をしています。

そうやって意識したのは本当にここ3年ぐらいなのでもっと早くそれに気づくべきでした。

家族のこと、センシティブな事には触れないし聞かれても濁してます。

妊娠出産や離婚や病気や旦那さんの職業などは地雷がありそうで絶対に自分からは聞きません。

 

ニコニコしてるから一見すごく心開いてくれそうだなって思われるんですが、

なんかつかみどころがなくて

踏み込んでこないしつまらないなって思われてますね。

家にも呼びませんし。何があっても。

 

(掃除はしてますが物が多くて整理できてないでおいてあるのでお招きはできません)

 

 

でももう子供の小学校なのでさすがにお友達が家に遊びにくる事もあるとおもいます。

 

 

 

長いので続きは次回に。