5月某土曜日午後七時。
和也、水原、八重森は、水原家で食卓を囲んでいた。和也の引越しが迫り、食事時に、三人が揃う最後の夜ということで、八重森が呼びかけたのだった。
「水原さん、師匠、A5ランクの和牛を、格安で手にいれたっす~。焼肉しましょ~。新たなる旅立ちを祝って、このお肉でお祝いするっす~」
「ありがと!みにちゃん。よーし、いっただきまーす!」
和也が肉をめがけて、箸を振りかぶる。
「さ、水原さんも遠慮なく、どうぞ」
「ごめんなさい、私、今、次の舞台に向けて、体絞ってるの。お肉は遠慮させてもらうわね。ごめんね、みにちゃん」
「あ~、残念っす。でも、さすがっす。目標も持たず、ダラダラと日々を過ごす、どっかの誰かさんとは、大違いっすね、師匠!!」
「あ?」
高級肉を口いっぱいに頬張った和也が、二人の方を見る。
「もう、なんて顔してんのよ」「師匠、その顔、サイコーっす!」
同居生活の転機はどこ吹く風、三人は幸せいっぱい、笑いいっぱいで、今夜も更けていくのだった。
深夜2時。
ギュルルルル……。
和也は、猛烈な腹の痛みで目を覚ました。
「ト、トイレ…」
腹を押さえながら、トイレに向かうと、ちょうどトイレから八重森が出てきた。
「あ、師匠も、トイレっすか。お腹壊しちゃったみたいで…。あのお肉が原因かもです。知り合いから格安で譲ってもらったやつなんで、ひょっとしたら、賞味期限がダメだったのかもしれないっす。ハハハハハ」
八重森は、力なく、苦しそうに、部屋に戻っていった。
(ま、まじかよ。みにちゃん。お代はいらないとか言ってたから、怪しーなとは思ってたけど。てか、今トイレから出てきたばっかりで、すぐ入るのは流石にまずいよな。腹痛いけど、もうちょっと、待つか)
和也は、少し我慢した後、無事用をたし、再び眠りについた。
※※※
翌日曜日。
「あなた、まだなの?もう出発する時間よ」
水原が、トイレのドアをノックしながら、和也に呼びかける。
初夏によく似合う白のワンピースに、胸元にキラリと大きめのラピスラズリのネックレス。可愛らしさと綺麗さが同居した、美少女から大人になっていく途中の水原によく似合うコーディネート。初対面の相手にも強すぎず、それでいてしっかり印象を残せるファッション。
とはいえ、今の和也にそれが観察できる余裕もなく。
「ごめん、腹が…」
「水原さん、師匠は悪くないっす。私が用意したお肉がよくなかったんです」
「そうは言っても、今日は大事な予定があるんだから」
「う、うん…」
和也がゲッソリした顔で、トイレから出てきた。
「お、お待たせ、さ、行こうか」
「しっかりしてよね!じゃ、みにちゃん、行ってくるわね」
和也と水原は靴を履き、出かけていく。
「は~い、行ってらっしゃ~い。…おっと、トイレ、おトイレっと」
八重森もお見送りもそこそこに、トイレに駆け込む。
※※※
今日は、昨年和也がクラウドファンディングで製作した映画「群青の星座」の原作者、糸原りえと会う約束の日だった。「群青の星座」の映画化を機に才能に目をつけた、出版社との打ち合わせのため、糸原が東京に出てくるらしい。そのタイミングで糸原から、和也に連絡が入り、三人で会うことになったのだ。
監督の田臥にも声をかけたが、彼も「群青の星座」以降、監督としての評価が上がり、会合の日も撮影で忙しく、あいにく不参加となった。また、あとあとトラブルになるのを避けるため、瑠夏にも事情を話したが、親戚のところに行く予定があり、参加できないとの返事があった。
そして、約束の時間5分前、和也と水原は、新宿のカノアール前にいた。
「き、緊張するなぁ。水原から挨拶してくれよ」
「何言ってるの!プロデューサーはあなたなんだから、あなたから、挨拶しなさいよ。」
「わかったよ…」
「映画製作者の顔なんだから、しっかりね!」
和也がぼそぼそと挨拶の練習をする。水原はその様子をため息をつきながら、眺める。
すると、向こうから、事前にメールで聞いていた通りの服装の女性が現れた。
黒のニットに、淡い黄色のロングスカート、クリーム色のミュールと、ちらりとのぞく生足。モデルと言われても納得の美貌だった。
和也や水原より、少し歳上だろうか。プロの小説家の誕生を祝福するかのように、初夏の日差しが彼女を照らす。その光がより彼女の美しさを引き立てる。
「す、すいません。糸原りえさんでしょうか?」
「ええ、そうです」
糸原がにこりと笑顔を返す。
「は、はじめまして!プ、プロデューサーの、き、木下和也ですっ。」
「はじめまして、水原千鶴です。」
「はじめまして」
糸原も返す。
「こ、この度はこのような機会をいただけて、誠にありがとうございますっ!」
和也のぎこちなく、オーバーな挨拶が続く。
「楽になさってください、プロデューサーさん。はじめまして、糸原りえです。こちらこそ、お二人にお会いできて、とても嬉しいです。」
「あ、え、あ、や」
「プロデューサー!しっかり!」
水原が和也の背中を強く叩く。
「…っつ!」
「さ、糸原さん、中にどうぞ」
水原の口調は一変優しく、糸原をカノアールの店内に誘う。
※※※
窓際に水原、その隣に和也、向かい側に糸原が座る。
和也も落ち着きを取り戻し、アイスコーヒー3つを注文した。
「改めまして、私の『群青の星座』を映画にしていただき、ありがとうございます。私が伝えたかったことが、水原さんの表現力でくっきりと表されていて、嬉しかったです。そして何より木下さんに小説を選んでいただけて、本当に嬉しかったです。」
「私も、すごく楽しみながら、共感しながら、演じることができました。あの数日間は本当に幸せでした」
「水原さんのネックレス、群青ですよね?お心遣いが憎いですね」
「ええ。あの作品以来、私も群青の魅力に気づいてしまって、今回も是非と思って、このネックレスをつけてきました」
(う、水原コミュ力やべー。そうか、そのネックレスそんな意味が。俺、何にも考えず、映画の上映会の日の格好そのままで来ちゃったよ。てか、このままじゃ俺いる意味なくね?)
「お待たせいたしました。アイスコーヒー3つです」
盛り上がりかけたガールズトークを、ウェイターが遮る。
「ありがとうございます」
和也がウェイターから、アイスコーヒーを受け取る。
そしてここぞとばかりに和也が話の主導権を取りに行く。
「あのー、おr」
俺と言いかけたところで、眉を歪ませた水原が隣から和也を肘で小突く。
「痛っ」
糸原が笑う。
「お二人、仲が良いんですね」
「え、何をおっしゃるんですか。プロデューサーと、少し親しい出演者くらいです、あはは」
水原がはぐらかす。和也は悶々とする。
(そうだ、結局、ビジネスライクなんだよ、俺たち)
「そうだ。あなた、何か言いたかったんじゃないの?」水原が、和也に話させる。
「そ、そうだった。私も、映画なんて、プロデューサーなんて初めてだったけど、この作品なら、間違いないって思ったんです。糸原さん、ありがとうございます!」
「ほんと、びっくりしましたよ。木下さん、固くならず、『俺』で結構ですからね。ただの趣味の小説を映画にしたいだなんて、メールが届くんですから。ほんとにびっくりました」
「驚かせて、すいません。あの時はもう、必死で」
「映画作りにですか?」
「映画作りもですけど……」
和也が思わず口をついて出そうになる本音を押さえて、水原を見遣る。
その視線に気づいてか、糸原は
「そうですよね!水原さんのような素敵な女優さん、放っておけないですよね。」
と空気を読み過ぎる。
「あはは、そうっすね」
和也も水原も顔を少し赤らめる。
糸原は少し突っ込みすぎたと思ったのか、
「ところで、水原さんは最近も何か作品に出演されていらっしゃるんですか?」
「おかげさまで最近も継続的に色んな舞台に出演させていただいています。昨日もオーディションがあって、結果待ちなんです」
「え?まじ?そんなこと、昨日一言も言ってなかったじゃん。」
「なんで、いっし、…」
(っ!一緒に住んでるとか言うんじゃないぞ、水原!)
「いちいちすべて報告しなきゃいけないのよ」
(ふー。気づいて良かったー)
「いや、だって、いっしy」
(って、俺も自爆しそうになったー)
和也が言葉の続きを考えていると、糸原が繋げる。
「お二人は、普通のプロデューサーと女優の関係を超えた関係でいらっしゃるんですね」
「「えっ!?」」
「あ、気を悪くされたなら、ごめんなさい。率直にお二人のような、関係が羨ましいなって、思っただけなんです」
「羨ましいだなんて、そんな。この人なんて、映画も演劇も知らないのに、感情のままにクラウドファンディングやるって言い出すし、かと思えば緻密な計画があるわけじゃなく、知り合いの女のコのアドバイスに従ったから何とかうまくいったようなもんだし、撮影中もセミがうるさくて撮影できないってときに、無理して追い払おうとして橋の上から川に落ちちゃうし、ほんと、向こう見ずでどうしようもない人なんですよ」
水原は、映画撮影に関する和也への愚痴を、目を細め、口を明るく歪ませて、まくし立てた。
「あらあら、それは大変でしたね。水原さん。」
微笑ましく聞いていた、糸原が水原に同情する。
※※※
そのとき、水原の携帯電話が鳴った。
「あ、ごめんなさい。ちょっと電話出てきますね」
水原は携帯電話を片手に、外に出て行った。
「木下さん、水原さんはあんな風におっしゃってましたけど、木下さんは水原さんのことをどう思っていらっしゃるんですか?」
「水原が言うことはもっともだと思ってます。俺、水原と違って、計画性もないし、これといった夢もないし。水原は女優になるって夢があって、そのためにいろんなことかなぐり捨てられるって気持ちも持ってる。俺なんかにはとても真似できない、強い存在なんです。」
糸原が、和也の話を促すように、相槌をうつ。笑って誤魔化せない雰囲気になっていく。
「でも、たまにちょっと泣くんですよね。本当に悲しいとき。だから俺でよければ、俺なんかでよければ、ちょっとでも近くにいてあげたいって思ってしまうんです。俺たちがどんな関係になろうとも」
「素晴らしいですね」
糸原が虚空を眺める。
「でも、最近不安もあるんですよね。舞台も立て続けに出るようになって、昨日だって俺が知らないうちにオーディション受けてるし、しかも主役。この前水原の舞台をみて、やっぱり水原は俺なんかとは別の世界の人なんだって再認識させられたし、これからどんどん遠くなっちゃうのかなって思うと、辛いなぁって」
「んー、どうなんですかね」
「え?」
「本当に木下さんに対して愚痴があるんだったら、今日一緒に来てくれたでしょうか。確かにビジネス的な立ち居振る舞いは、水原さんはしっかりされていますが、本当に木下さんと一緒にいたくないなら、私が納得する言い訳をすると思いますけどね」
「なるほど…」
「だから、自信を持ってください!女性はずっと寄り添ってくれる男性に弱いものですよ。プロデューサーと女優の恋、ドラマティックでいいじゃないですか。成就したら、私に小説にさせてくださいね」
糸原が少し茶化して、和也を応援する。
「あ、ありがとうございます。もっと頑張ってみます」
※※※
そこへ、水原が満面の笑みで席に戻って来た。
「ねえ、聞いて!次の舞台主役に選ばれたわ!」
「まじ!?やったな。水原!やっぱ水原はすげーよ。絶対見に行くから」
「おめでとうございます、水原さん、木下さん」
「糸原さん、ありがとうございます」
水原が席に着き、三人は再び話を始めた。
映画の撮影裏話や、糸原の今後の作家としての活動の話など、三人は多いに会話を楽しんだ。
「最後の高原の夜景、本当にキレイで、忘れられないですよ」
「いいですね、私も是非、そのロケ地行って見たいですね」
ギュルル。お開きが近づく頃、和也の腹が鳴る。
「すいません、ちょっと、トイレ」
和也は慌てて、トイレに駆け込んだ。
※※※
「もう、ほんとすいません。昨日食べたご飯が当たっちゃったみたいで。あ、私は食事制限でたまたま食べなかったから平気なんですけど」
「え?ご一緒にお住まいなんですか」
「あ、いや、そうじゃなくて、たまたま知り合いも交えてみんなで食事したんです」
水原がうっかり口を滑らせかける。
「あら、そうでしたの。でも、お二人の様子なら、ご一緒に住まわれていてもなんら不思議じゃない空気感ですよね」
作家は、観察眼に長けているらしい。
「まぁ、ビジネスパートナーとして、気心が知れていて、助かるというのはありますけど」
「水原さん、私とあなたの間に共通の知り合いはいないわけですから、遠慮なさらず、おっしゃってもいいんですよ」
この作家、好奇心も旺盛である。
水原はトイレの方を見遣る。和也が戻って来る気配はない。朝もトイレに15分は篭っていた。
「…わからないんです。彼が、彼との関係が。映画作りの時は、すごく頼りになったし、行動力にも感謝してます。応援してくれてありがたいという気持ちもあります。でもそれが「好き」なのか、なんなのか」
「そうですか。それでいいと思いますよ。私も経験あるんです。無条件に応援してくれる人」
糸原は、わずかに残るアイスコーヒーを一気に流し込み、続けた。
「でも、私は彼に応えられなかった。小説を書いても書いても芽が出なかった私を、そばでずっと応援してくれていた人。どんな話も『面白い、面白い、りえの物語は最高だ』って、ずっと感想を語ってくれた人。好きなのか、安心なのか、甘えなのか、なんなのかわからなかった。最後まで私のそばにいてくれたのに」
「最後まで?」
「事故で亡くなってしまいました」
「!!」
「私が彼に応えていたとしても、事実は変わらなかったかもしれない。確かに私たちはずっと近くにいたけれど、私が応えていたら、私たちは本当の意味で最後まで一緒にいられたかもしれない。あの時以来、その気持ちが消えませんでした」
「…」
「そんなとき、木下さんからメールをいただきました。びっくりしました。あの時の彼の言葉が蘇ってきたんです。『りえの物語は最高だ』って」
「そうだったんですね」
「木下さんからのメールには『群青の星座』の感想が、びっしりと書かれていました。とても情熱的で、彼がいなくなってぽっかり空いた私の心に深く突き刺さりました。私はずっと、私の気持ちを探し続けていました。好きなのか、安心なのか、甘えなのか。でも木下さんのメールで気づいたんです。私はあの人からもらいっぱなしだったなって。いろんな思いを。私は何もあの人に返せていなかったなって。だからあの人に返すことはもうできないけれど、せめて今メールをくれた木下さんには返そうって思いました。そしてもしあの時の私に伝えられるとしたら、自分の気持ちも大事だけど、彼の気持ちも考えてあげてほしいって、そう伝えたいって思うようになりました」
水原は、和也との日々を振り返る。
「あ、ごめんなさい。つい、話しすぎてしまいましたね。今のお二人が昔の私たちに似ているような気がして。なんにせよ、木下さんからメールをいただいて、私の作家としての人生はまた始まったんです。ほんと、お二人には感謝しているんですよ」
「あ、ありがとうございます。私も、自分のことでいっぱいいっぱいだったのかもしれません。あの人のことももう少し考えてみようと思います!ほんとどうしようもない人だけど」
「それに、木下さんからのメール、作品の感想もいっぱいでしたけど、水原さんへの想いもたっくさん書かれていましたよ」
「な!」
水原が顔を真っ赤にして、わずかに残る冷水を飲み干す。
※※※
そのとき、何も知らない和也がトイレからゲッソリした顔つきで、帰ってきた。
「お待たせしました~。あ~、しんど」
さっきの話はナイショねと、言わんばかりに糸原が水原にアイコンタクトを送り、水原も応じる。
「糸原さん、そろそろ電車の時間ですよね」
「そうですね、ありがとうございます」
「ごめんなさい。お手洗い、失礼します。あなた、お会計お願いできる?後で返すから」
「うん、いいよ」
水原はお手洗いへ駆けて行った。
和也と糸原は会計を済まし、店の外で水原を待つことにした。
※※※
「木下さん、群青の色言葉、ご存知ですか?」
「さぁ」
「思慮深さ、規律です。いっぱい考えて、規律を大事にするってことです。強そうですよね」
「そっすね」
和也には今ひとつ話の方向性が見えない。
「でもそんな強いものを壊せるものって何だと思いますか?」
「うーん、なんなんですかねぇ」
「情熱です、想いです。思慮も、規律も吹き飛ばすくらいの情熱が、現実を変えるんじゃないかなって、私は思いますよ」
「な、なるほど」
「群青色の彼女、活かすも殺すもあなた次第ですよ」
カランカランと、ドアのベルが鳴るとともに、水原が店内から出て来た。
「木下さん、水原さん、今日は本当にありがとうございました。またお会いできたら嬉しいです。次も私の作品を映画にしていただこうかしら、なんて」
と同時に、和也が止めたタクシーに、糸原が乗り込む。
「それでは、失礼します。これからもよろしくお願いいたします」
「「ありがとうございました」」
糸原は、颯爽と新宿を後にした。
※※※
「糸原さん、いい人だったな」
「そうね、優しくて、強い人だった」
「水原、次の舞台も頑張れよ!って、言わなくても頑張ると思うけど。俺、水原の演技してる姿、やっぱ一番好きだ。それから今日の服装もめっちゃ可愛い。そのネックレスもすげー似合ってる。」
群青色のネックレスが、光を反射し、二人を照らす。
「あ、ありがと。何よ急に。私も、ちゃんと考えるから、もう少し待っててよね。さっきはちょっとひどいこと言いすぎてごめん」
水原が恥ずかしそうに、気まずそうに俯く。
「お、おう。大丈夫。」
「それとね、…引っ越しても、」
ギュルル。和也の顔が歪む。水原は気づいていない。
「遠慮なくうちに来ていいからね。何なら引越しも…」
ギュルルルルル。
「もう無理!!」
和也の声に驚き、水原が顔を上げる。
「う、腹痛い。ごめん、店のトイレ借りてくる〜〜」
「もうっっ!!ほんと、どうしようもない人ね!」
終