2011年3月11日僕はその時、八丈島に居た。自動車関係の期間工で満了金を貰い、八丈島に移住して間もない頃だった。

 

 その昼下がり、島は天気も良く天窓からから見える浮雲を眺めていた折に、かなり揺れた。体感としては、震度4。すぐさま、隣接する大家さんの家に行きテレビを見せてもらった。津波の心配があるとのこと。ただ、震源地からは遠いのと、住まいが高台にあるのでビビリ度は中の下位だったように思う。実際、潮位が少し上がった程度であった。

 

それから1か月後の4月。ボランティアで宮城の石巻へ行った。主な仕事は、家屋に入り込んだ泥をスコップでかき出す作業。土方作業は経験済みなので、デスク作業の同行者たちよりは疲労しなかったが、膝丈まで堆積した泥はオイルと腐敗集臭が入交り衛生的に問題だった。石巻の川沿いにあるその地区は海から数キロ離れており。津波の直撃ではなく、河川のオーバーフローにより、辺り一面が水没。作業にお邪魔した家の1階、2mほどの所に黒く跡が残っており、家主は手を伸ばし、ここまで泥水が入って来たと語った。画像があれば分かりやすいのだが、町の人に失礼と思い、素人の私は被災した様子の写真は一切撮らなかった。

 

炊き出しの手伝いもした。その時、20代中くらいの男性が私に語りかけてきた「津波にすべて流されてしまってね……」その表情は微笑んでいた。しかし、瞳は放心しており、私は返す言葉も見つからず、ただ泣きそうな顔で頷いた。そのすべては、家なのか、家族もなのか聞く術もなかった。あれから10年、あの人の心の傷はどれくらい塞がっただろうか。

 

 

まるで戦争が起きた土地のように壊れまくった街。でも、静かさが辺りを包み春の風が吹いていた。