この世に生まれてなんとなーく生きていて、気がついたら47歳になってました。

その47年の間、そりゃまあいろいろありましたが、たぶん宇宙が生まれて太陽が生まれて地球が生まれて、生物が生まれたという凄まじい大イベントなんかと比べたら、私の身に起きた出来事なんかと比べたら、私の人生で起こった出来事なんか雨が一粒落ちてきたくらいの小さなものだと思います。

最近では残虐なニュースだったり、有名人の自殺だったりっていうのが頻繁に起こっていて悲しいことが多いけど、宇宙が生まれてから今までの月日の時間なんかと比べたら、人間が生きていられる時間なんか、すずめの涙ほどもないです。

私もうつ病の症状がひどいときには、自分の人生を自分で終わらせてしまうことも考えたこともあります。

それはすごく苦しくて辛い時間でした。

そんなときに、自分自身と向き合うために入院することになり、自分とは何か。生きるとは何か。死ぬとは何か。自分の価値。子供と自分の関係とは何か。

さまざまなことを考えました。

そしてそのときに気づいたことは、自分の存在というのは自分だけのものではない。
自分を生んでくれた親、その親を生んでくれた親、またそれを生んでくれた親。
その人たちの命があり、その人たちがその親たちを育ててくれたからこそ自分の命があるのだと気づいたのです。

自分の命なんだから、自分が嫌になれば自分で終わらせてもいいなんてことはないんだと思いました。

私はその先祖の人たちの命を繋いでもらって、奇跡的に生まれてきた特別な存在なんだということに気がつきました。

私は今、うつ病で働くこともできず、自分の身の回りのこともできないことがあります。

でも、この福祉の充実した日本に生まれて、雨風しのげる安全なところに不自由なく住ませてもらっています。

本当にありがたいことです。

苦しみはあるけれど、それはどの時代を生きる先祖の人たちはこの時代よりももっと厳しい時代を苦しみながら生きてきたことを考えると、こうして安全に暮らせてることは幸せなんだと思います。

私は今は働けなくて社会に貢献できない。そのことで自己肯定感が下がってしまっていますが、生物的に考えれば、5人の子供たちを産み、この世に新しい命を繋ぐということはできました。

子供たちに対して何も母親らしいことはしてあげられなかった落第母ちゃんですが、子供たちは病気せず頑張ってくれています。

私の残りの人生は、やはり社会に貢献できるには力不足な人生になると思いますが、命の炎が自然と消えるそのときまでは生きていこうと思います。