10月23日のメークボランティアで伺った仮設住宅の住民の皆さんはちょうどこの地区に住んでいた方々でした。
現地の女性支援団体の方たちに連れて行ってもらった宮城県名取市ゆりあげ地区の現在の様子
未だ、屋根の上までがれきが残る住宅。
手前の方は家ごと流されていて家の基礎の一部だけが残されています
どこからどうやってここまで流れたのかわからない船。海からはだいぶ離れた場所です。
半年経っているにもかかわらず、未だに、津波のすさまじさを如実に物語っている景色を見て、ここにいた人たちを思うと身体の芯が硬直するような感じがしました。
大変な日々を送りながらも、明るく振る舞い、笑顔で対応してくれる仮設住宅の人たちに実際にお会いしてお話しさせてもらって、
私がするべきことはこの現状を少しでも多くの人に知らせ、まだまだ被災地はこれからが大変なんだということを伝えることだと感じました。
しかし、帰ってこれらの写真を見てみると、人々の生活があったここを、私がネット上に載せることで、見世物のようになってしまうのではないかと感じたり、色んな感情がありました。
ボランティアに一緒に行った方は皆その惨状に心を痛め風景を心に留めようと、皆写真を撮っていました。が、
その割には、現在の被災地の様子をネット上で見ることがほとんどなくなってきたというのは、ほとんどの人がそういう気持ちで写真を載せることをためらっているからだと思います。
きっと一緒に行った方たちの中にもそう感じた人がいたと思います。被災された方たちにとっては一つ一つの写真が思い出の場所で、一生心の深い傷となった、とてもデリケートなものだからです。それを自分が勝手に写真を公開して良いのかなーと私も迷いました。
でも被災地の方たちが声に出してお話ししてくれたことは、『来てくれることが嬉しい』『ずっと支援し続けてくれてありがとう』という言葉で、つまり、忘れ去られることや、知らないで無視されることの方がずっと辛いのだということが言葉の奥、心の底から伝わってきました。
なので私は自分の見た現実を伝えていくことがやはり自分のするべきことかなと感じてます。
そーっとしておいてあげたいという思いもあるけど、そのもっともな言い訳を理由に、見て見ぬふりをするよりも、
現地の人たちは知ってもらって、共感してほしいんじゃないかと感じたので。
水が押し寄せた地域のガードレールはもぎ取られたか、こうして曲がっています。
海岸の方へ車を走らせるとある部分より海側はこうしてガードレールが歪んでいて、ここまで水が押し寄せたのだということが分かります。
大きなおうち。きっと建ったばかりではないかと思います。
たくさんの被害者があった閖上中学(ゆりあげちゅうがく)。
道の反対側にこのアパートがあります。
中学の方が海岸に少し近い方向にあります。
アパートの1階の窓の上の方にうっすら線が写真でも写っているのわかりますか?ちょうど物干しと同じくらいのラインです。ここまで水が来たそうです。3mくらい。私の身長の倍くらいかな。
歩道橋のある道の写真はとても穏やかに見えますが、
津波の時、この歩道橋の上に登ることが出来た人はなんとか助かり、道は流れる濁流の川となって、車と人を流してしまったのだそうです。その後水が引いてしばらくするまでずっとこの歩道橋の上には寒さの中人が待っていたのかなと思うと、明るい笑顔で迎えてくれた仮設住宅の皆さんを思い出して涙が出そうになりました。
海岸の方向はこんなにも広い範囲の住宅密集地が、土台以外なにもない野原になってしまっていました。
『まだ今は草が生えたから見られるのよ。最初のころは何もなくてね、もっと不気味だったのよ』と現地の支援団体の方が教えてくれました。
海の近くには、『日和見山』という漁師さんが海の日和を見るための小高い小さな山があって、
津波はこの高さを余裕で越えてしまったので、その上にあった大きな石碑が3つくらい、山の反対側に落っこちていました。
この山の上にあった木も根こそぎなくなってしまったのでしょう。
『23年4月20日 閖上小中学生』
この子たちはどれだけの級友を失い、どんな思いでこの植樹をしたのだろうかと思うと涙が止まらなかった。
山の上から見るかつての住宅密集地は何もない野原になってしまっていました。
この日も、花を手向けに来られる喪服の方が何人もいらっしゃいました。
山に登る階段だけは残されていましたが、階段の手すりは根こそぎ折られてしまっているの見えますでしょうか。
がれき除去が進むに従って、途方もなく大きくなるがれきの山。
鉄筋コンクリート造りのかまぼこ工場は1階部分鉄骨以外なくなってしまったまま。
津波の悲惨さを物語っている住宅ですが、ここまでくるのに、どれだけの作業が必要だったか。
海岸沿いはびっしりと向こう側が見えないくらいの松林だったのだそうですが、
私たちが見たのは『びっしりと』が想像つかないようなまばらな松林。
松の大木の根っこです。
大きな車くらいの大きさ。すごく大きいのです。こうした松の残骸が野原となった元住宅地のあちこちに転がっていました。