突然母と兄ができましたが、一緒に生活してきた歴があるわけでなく、突如他人が自分の家に入り込んできたとしか思いませんでした。
祖母は、義母としょっ中やり合っていました。私は義母は勿論、義兄にも馴染めず、意地悪ばかりしてくるので、家に帰るのが憂鬱で仕方ありません。

義母と祖母のトラブルの元は、我が実家の跡取り問題でした。父は再婚するにあたって、義兄と養子縁組をしていました。これで、法律上は実子と同じ扱いになるらしく、義母は男の子だからと、跡取りは我が息子だと主張したのです。祖母は、一滴も我が家の血が流れていない他人の子供に、我が家は継がせられないと、私が跡取りだと頑として譲りませんでした。

大した家でもありませんが、土地も建物もあるわけですから、女手一つで子供を育てていた義母には魅力的に映ったのでしょう。
ここには書けないほどのトラブルもあり、結局、この結婚も数年ほどでダメになりました。私が小学校の高学年の頃のことです。
 
父の中には、祖母と私がいると、再婚が難しくなるという思いが生まれたようで、途中付き合っている人はいたものの、私が成人するまで再婚はしませんでした。20歳の頃再婚し、その相手が今の母です。あの時は、ようやく父も落ち着いた様に見えたものです。(私は、例の劇団で働き始めた頃だったかな)

そんなゴタゴタの中で育ちましたし、更に田舎だったので、我が家は村八分に近いものがありました。あまり親しくしてくれる人が居なかったのを覚えています。

学校へ行っても、放課後遊びに誘われる訳で無し、家でも邪険にされる上、義母が私を家から出そうと、好まない稽古事にまで送り出される始末。
どうせ家から出されるなら、行きたいところへ行きたい!と主張して、そろばん、習字、くもん、バレエの四つに習い事を絞りました。

放課後は殆ど家におらず、オヤツを食べた記憶もあまりありません。くもんや習字の後にバレエに行き、自分のレッスンが終わってからも、事情を察した先生の計らいで、稽古場の隅でお姉さん達のレッスンを見学していました。
その頃には、先生も小さいながらもスタジオを構えていらっしゃったので、本棚のバレエ雑誌を眺めて過ごしたりもしました。
帰宅後は、夕飯を食べお風呂に入ってから逃げる様に自室に戻り、宿題をこなしてバタンキュー。忙しい子供でした。

稽古場が私の第二の家になりつつありました。

父が再び離婚し、祖母との3人家族に戻り生活は落ち着きました。居場所はできましたが、あまり家にいない生活は変わりませんでした。
くもんも習字もそろばんも、中学生くらいになると部活が忙しくなり皆来なくなりました。仲間が減り小さな子供が多くなった教室や集会所は、居心地が悪くなり、私もそちらは辞めてしまいました。

学校では陸上部に籍だけを置き、ほぼ幽霊部員となった私は、やっぱり放課後は稽古場にいました。