21日は妻の命日でした。

3年前の7月21日に亡くなったのですが、その数日前に自力呼吸は止まっていて、私は完全に諦めていた訳ですが、実際にはステージ4と聞いて外科的な治療から内科的な治療に代わった時に、既に治癒することは諦めていた気がします。


自力呼吸が止まる数時間前に、彼女は手術したいよぅと赤ちゃん返りしたような口調で訴えました。

おしっこを漏らし、嘔吐が止まらないような激しい頭痛でも、生きるという強い思いがあったんだと思います。


長女も、自力呼吸がとまり、機械に繋がれている自分の母親の姿を見ても死ぬとは考えていなかったようで、機器の数値がちょっとでも変わると大丈夫なのかと細かく聞いてきたり、ママ死なないよねと尋ねられたりしました。その時にどう答えれば良いのかちょっと考えた事を思い出します。でも、悩むことなく自分も奇跡を信じるべきでした。


結局、妻の完治を諦めていたのは、私と病院の主治医だけだったのかも知れません。


気持ちの持ち様でその後の治療方針も変わるはずで、その意味でも私は治ることを信じなければいけなかった。諦めていたばっかりに、様々な検討が浅かったように思い出します。

医師も標準治療だけに囚われず年齢等々その人その人に合った治療を検討すべきだったのではないかと思います。