精肉店で鶏肉が並んでいる。
久々にハツでも焼いてつつこうか、と並んだお肉を見ていると本日に限って種々の部位が売りに出されていた。
鶏の希少な部位を見るのは趣が深い。ハツなどは親指ほどの大きさであるが、これがポンプの機能をして鶏の全身に血を巡らせて躍動せしめているのかと思うと実に有り難いものに思われる。
命、を頂く。ことの実感を帯びている。

並ぶ肉の中にぼんじりも売られていた。焼き鳥屋で小さな固まりとなって串に刺さっているのは見たことがあるが、串に刺さる前の状態は初めて見た。
ハートのような形につんととがった突起がある。鶏のお尻は後方に尖ったイメージがあるが、まさにそんな形をしている。
鶏皮を使って焼き飯でも作ろうかと思っていた所であったので、鶏皮と脂の豊富そうな件の肉はうってつけに見える。

調理の前に下処理を調べてみた。
ぼんじりの中に油壺という黄色い脂の塊がある。羽根が水を弾くために脂を分泌する器官だという。これが独特の風味を放つので、肉を食べるときは取り除くそうだ。
尾骨を外そうと四苦八苦していると、確かに表を向いた突起の裏側が黄色い塊になっている。
丁寧に取り外さないと塊が破れてしまう。

包丁を入れても上手にいかないので手で肉を割いて油壺を取り出し、尾骨を外した。中々の苦労である。
更には羽根の基部が抜け切っておらず、毛抜きで残った基部を引き抜かねばならぬ。
羽根になる前の基部が鶏皮の下に埋まっているなどこの作業も容易でない。
ぼんじりは他の肉に比べて格段に安く売られていたが、この苦労の分が値引きされているのであろう。

かくてぼんじりは努力の果に真の精肉と変わった訳だが、その味わいたるや言わずもがな。臀部の脂の乗った肉に、二本足の筋肉が躍動を加えて日々錬磨し、脂身を鍛え上げた味がする。鶏の不断の練磨に加えて食するに当たっては小生の練磨も少しく加わり、それを旨味の成分に変えてぼんじりはまさに鶏のトロと呼ぶべき極上肉となるのである。
食めば軽やかに弾む脂身である。沁み出る脂はくどさを感じさせずさっぱりと旨い。

新鮮なためか試食した所、肉に臭みが殆どない。焼いて塩を振るのみで食す。
軽い食感に心も弾みついつい箸が止まらなくなる。