クラブW杯
いよいよ明日クラブW杯開幕しますね!
明日、サンフレッチェ広島と戦うオセアニア代表のオークランド・シティに日本人の選手がいます。その選手のクラブW杯出場までの過程が非常に興味深いです。興味がある方は、下記アドレスからチェックしてみてください!!!
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/club_wcup/2012/text/201212040010-spnavi.html
明日、サンフレッチェ広島と戦うオセアニア代表のオークランド・シティに日本人の選手がいます。その選手のクラブW杯出場までの過程が非常に興味深いです。興味がある方は、下記アドレスからチェックしてみてください!!!
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/club_wcup/2012/text/201212040010-spnavi.html
オシムの伝言2
チャンピオンズリーグ決勝は、やはりバルサの勝利で幕を閉じましたねー。
世界最高峰の試合で、あのような内容のプレーが出来、勝ってしまうとうのは言葉で表現する以上に凄いと早朝から興奮してしまいました。
全選手相手の動きが見えていて、ドリブルとパスの選択肢を常に持ちながらプレーしている。
だから、相手の逆をとってプレーできる。スクールでもバルサの選手のようにプレーできる選手を育てていきたいと思います。是非、バルサの試合(ダイジェストではないもの)を何回も見てください。
90分間の試合をみないと本当の凄さはわかりません。
さて、オシムの伝言を読み終えたので気になった文章を書きとめておこうと思います。
選手にとっても、指導者にとっても、すごく参考になる言葉なので読んでみてください。
奇跡といっても、自然に起きるわけではない。奇跡がなぜ起きるのか、プロセスを研究する必要がある。毎日奇跡が起こるわけではない。奇跡を金で買うこともできない。入念に準備をした上でしか、奇跡は起きない。
「戦わなければ前進しないが、ただ戦えばいいものではない。」結果ばかりではなく、サッカーではその内容も大事だ。美しいサッカーをしたければ、技術、知識を身につけ、スピードをあげなければならない。美しくエレガントに勝とうではないか。
日本人の特性なのかもしれないが、誰かが、こうすればいいと言ってくれるのを待っているように見える。自分自身に責任を持つ、自分で決定を下す能力を身につけるべきだ。サッカーはそういうことを反映する。自分で責任を持ってプレーする、自分を頼る。それが私の日本へのメッセージです。
敗北から学ぶ、負けて初めて前進できることがある。なぜ失点したのか、考えるべきだ。その場面で選手ひとりひとりが、自分がどこにいて、何をしていたか、思い出すべきだ。それはミスを繰り返さないためだ。その点が日本のサッカーがもう1ランク、ステップアップするカギになる。ミスを犯したときの責任の所在をはっきりとさせることだ。
日本のサッカーはスピードやアジリティー(機敏性)を生かすこと、アグレッシブにやること、そういうほうこうで間違いない。ただ、プレッシャーを受けた状況での技術が十分でない。フィジカル面、特にスタミナが足りない。
欧州のサッカーと大きな差はないと思うが、何が一番違うか。それは練習に取り組む姿勢がどれほど真剣かということ。欧州のビッククラブの練習を見に行くといい。簡単そうに見える練習でも全力でやっている。試合の為の練習。試合と同じように、それ以上に真剣にやらないと意味がない。練習を完璧にできて初めて試合でいいプレーができる。
世界最高峰の試合で、あのような内容のプレーが出来、勝ってしまうとうのは言葉で表現する以上に凄いと早朝から興奮してしまいました。
全選手相手の動きが見えていて、ドリブルとパスの選択肢を常に持ちながらプレーしている。
だから、相手の逆をとってプレーできる。スクールでもバルサの選手のようにプレーできる選手を育てていきたいと思います。是非、バルサの試合(ダイジェストではないもの)を何回も見てください。
90分間の試合をみないと本当の凄さはわかりません。
さて、オシムの伝言を読み終えたので気になった文章を書きとめておこうと思います。
選手にとっても、指導者にとっても、すごく参考になる言葉なので読んでみてください。
奇跡といっても、自然に起きるわけではない。奇跡がなぜ起きるのか、プロセスを研究する必要がある。毎日奇跡が起こるわけではない。奇跡を金で買うこともできない。入念に準備をした上でしか、奇跡は起きない。
「戦わなければ前進しないが、ただ戦えばいいものではない。」結果ばかりではなく、サッカーではその内容も大事だ。美しいサッカーをしたければ、技術、知識を身につけ、スピードをあげなければならない。美しくエレガントに勝とうではないか。
日本人の特性なのかもしれないが、誰かが、こうすればいいと言ってくれるのを待っているように見える。自分自身に責任を持つ、自分で決定を下す能力を身につけるべきだ。サッカーはそういうことを反映する。自分で責任を持ってプレーする、自分を頼る。それが私の日本へのメッセージです。
敗北から学ぶ、負けて初めて前進できることがある。なぜ失点したのか、考えるべきだ。その場面で選手ひとりひとりが、自分がどこにいて、何をしていたか、思い出すべきだ。それはミスを繰り返さないためだ。その点が日本のサッカーがもう1ランク、ステップアップするカギになる。ミスを犯したときの責任の所在をはっきりとさせることだ。
日本のサッカーはスピードやアジリティー(機敏性)を生かすこと、アグレッシブにやること、そういうほうこうで間違いない。ただ、プレッシャーを受けた状況での技術が十分でない。フィジカル面、特にスタミナが足りない。
欧州のサッカーと大きな差はないと思うが、何が一番違うか。それは練習に取り組む姿勢がどれほど真剣かということ。欧州のビッククラブの練習を見に行くといい。簡単そうに見える練習でも全力でやっている。試合の為の練習。試合と同じように、それ以上に真剣にやらないと意味がない。練習を完璧にできて初めて試合でいいプレーができる。
オシムの伝言
まだ読み終えていないのですが、元日本代表通訳千田善さんが書かれた「オシムの伝言」という本を読んでいます。この本の中のオシムさんが話した内容で、僕自身もスクール生に継続して伝えたいと思っている事を載せておきたいと思います。
良い選手へ成長する為のヒントがあるように感じます。参考にしてください。
「自分で考えて行動できる選手」
これがKeyword(キーワード)の様な気がします。
低学年クラスにはまだ早いかもしれないけど、高学年クラスのみんなはできると信じています。
長文のものもありますので、ゆっくりと読んでください。そして、また気になった時に再び読んで思い出してみてください。
チャレンジするためにリスクをおかして失敗したのか、それとも消極的だったからミスをしたのか。さらに失敗のダメージが最少になるように考えていたのか。むやみにリスクをおかすのは無謀であり、自滅でしかない。そこから学ぶことが次の前進につながる。それが「敗北は最良の教師」ということであり、「ミスをする権利」は「チャレンジする権利」なのだ。
教育制度のせいなのか日本人選手の多くは失敗を恐れて(しかられるのを恐れて)消極的になる傾向にある。しかし、失敗しないやつはだめだ。チャレンジしないでチャンスを逃すことこそ、最大の失敗なのだから。
国際試合のプレッシャーで、消極的なミスをして自滅するような選手は使えない。どうすれば相手がいやがるかを考え、実行できる選手(アグレッシブな選手)かどうか。そして何より、想定外の状況が発生した時、ベンチの指示を待たずに自分たちで修正できるか。
代表選手の選考では、応用力や柔軟性があるかどうかがポイントになる。その上で、できれば攻撃も守備も、中央もサイド、複数のポジションでプレーできる「ポリバレント(多様性がある)」な選手がいい。
サッカーは人生と似たところがあり、何かを成し遂げようと思えば、そのために必要な条件を整えなければいけない。
本人の努力こそがとても大事だが、さまざまな人びと、少年時代のコーチ、プロになってからのコーチ、そういう人たちの助けを借りるわけだ。サッカーは技術だけでなく、何かを感じる感覚(遠くを見たり、位置関係やタイミングを計る目、チャンスやピンチになりそうだと嗅ぎ付ける鼻)そういうものが大事だ。それを育てるためにはまわりの援助が必要だ。その上で、才能が努力によって開くのだ。
進歩が速すぎるのも危ない。無理をするのは良くない。学校嫌いになる生徒と同じこと。数学で苦手分野を克服できないでいると何年経っても同じところでつまずく。サッカーは階段を踏んで進歩していかないといけない。走ること、戦術、全ての面でそうだ。
「自由を与えられた選手は、いつどこでどのようにプレーするか自分で判断しなければならない。自由を与えて何かできる選手と、何もできなくなる選手がいる」
その理由としては、サッカーのレベルというよりは、社会のあり方を考えなければならない。オシム監督は日本人選手の「判断力」についても、次のように語っている。
「問題は、日本人が速く判断する能力を持っているかどうかではなくて、すばやく自分で考えることが一般社会で許されているのかどうかだ。そういう習慣があるのだろうか。どうなのだろう、逆に聞いてみたいのだが?」
この時の記者会見では、オシムさんに「逆質問」された記者が、一般的な日本人は「自分で判断して行動を起こすことになれていない」と答えた。これにたいして、オシム監督は次のようにサッカーというスポーツの特性を含めて「自分で考えることの大切さ」を強調した。
「残念ながらサッカーとはそういうものではない。グランドで指示を待ち続けていたら、試合に負けてしまう。私が何を言うか待っているような選手はいらない。サッカーは自分でプレーするスポーツだ。「待ってくれ」と言ってタイムアウトを取って、監督の指示を仰いだり、ピンチヒッターやピンチランナーを投入して局面を変えるようなことはできないスポーツだ。だからサッカーは自分で判断しなければならない。
試合がはじまってしまえば、時間は流れ、相手チームの戦術やミスによっても、局面、状況は変化する。自分のアタマで考え、自分の責任で判断し、実行しなければならない。それがサッカーというもの。シム監督は次のようにサッカーというスポーツの特性を含めて「自分で考えることの大切さ」を強調した。
良い選手へ成長する為のヒントがあるように感じます。参考にしてください。
「自分で考えて行動できる選手」
これがKeyword(キーワード)の様な気がします。
低学年クラスにはまだ早いかもしれないけど、高学年クラスのみんなはできると信じています。
長文のものもありますので、ゆっくりと読んでください。そして、また気になった時に再び読んで思い出してみてください。
チャレンジするためにリスクをおかして失敗したのか、それとも消極的だったからミスをしたのか。さらに失敗のダメージが最少になるように考えていたのか。むやみにリスクをおかすのは無謀であり、自滅でしかない。そこから学ぶことが次の前進につながる。それが「敗北は最良の教師」ということであり、「ミスをする権利」は「チャレンジする権利」なのだ。
教育制度のせいなのか日本人選手の多くは失敗を恐れて(しかられるのを恐れて)消極的になる傾向にある。しかし、失敗しないやつはだめだ。チャレンジしないでチャンスを逃すことこそ、最大の失敗なのだから。
国際試合のプレッシャーで、消極的なミスをして自滅するような選手は使えない。どうすれば相手がいやがるかを考え、実行できる選手(アグレッシブな選手)かどうか。そして何より、想定外の状況が発生した時、ベンチの指示を待たずに自分たちで修正できるか。
代表選手の選考では、応用力や柔軟性があるかどうかがポイントになる。その上で、できれば攻撃も守備も、中央もサイド、複数のポジションでプレーできる「ポリバレント(多様性がある)」な選手がいい。
サッカーは人生と似たところがあり、何かを成し遂げようと思えば、そのために必要な条件を整えなければいけない。
本人の努力こそがとても大事だが、さまざまな人びと、少年時代のコーチ、プロになってからのコーチ、そういう人たちの助けを借りるわけだ。サッカーは技術だけでなく、何かを感じる感覚(遠くを見たり、位置関係やタイミングを計る目、チャンスやピンチになりそうだと嗅ぎ付ける鼻)そういうものが大事だ。それを育てるためにはまわりの援助が必要だ。その上で、才能が努力によって開くのだ。
進歩が速すぎるのも危ない。無理をするのは良くない。学校嫌いになる生徒と同じこと。数学で苦手分野を克服できないでいると何年経っても同じところでつまずく。サッカーは階段を踏んで進歩していかないといけない。走ること、戦術、全ての面でそうだ。
「自由を与えられた選手は、いつどこでどのようにプレーするか自分で判断しなければならない。自由を与えて何かできる選手と、何もできなくなる選手がいる」
その理由としては、サッカーのレベルというよりは、社会のあり方を考えなければならない。オシム監督は日本人選手の「判断力」についても、次のように語っている。
「問題は、日本人が速く判断する能力を持っているかどうかではなくて、すばやく自分で考えることが一般社会で許されているのかどうかだ。そういう習慣があるのだろうか。どうなのだろう、逆に聞いてみたいのだが?」
この時の記者会見では、オシムさんに「逆質問」された記者が、一般的な日本人は「自分で判断して行動を起こすことになれていない」と答えた。これにたいして、オシム監督は次のようにサッカーというスポーツの特性を含めて「自分で考えることの大切さ」を強調した。
「残念ながらサッカーとはそういうものではない。グランドで指示を待ち続けていたら、試合に負けてしまう。私が何を言うか待っているような選手はいらない。サッカーは自分でプレーするスポーツだ。「待ってくれ」と言ってタイムアウトを取って、監督の指示を仰いだり、ピンチヒッターやピンチランナーを投入して局面を変えるようなことはできないスポーツだ。だからサッカーは自分で判断しなければならない。
試合がはじまってしまえば、時間は流れ、相手チームの戦術やミスによっても、局面、状況は変化する。自分のアタマで考え、自分の責任で判断し、実行しなければならない。それがサッカーというもの。シム監督は次のようにサッカーというスポーツの特性を含めて「自分で考えることの大切さ」を強調した。
