伝道の書3章1~8節 | みな1824 ~ハートに今を刻もう~

みな1824 ~ハートに今を刻もう~

  ★ 気ままに好きなこと好きなものを書いてます ★
    

「天(あま)が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある」


「時」についての聖書の言葉の中で、私が好きな聖句がこの「伝道の書」の冒頭からの言葉です。


この後


「生まるるに時があり、死ぬるに時があり~泣くに時があり、笑うに時があり


探すに時があり、失うに時があり~保つに時があり、捨てるに時があり


愛するに時があり、憎むに時があり~戦うに時があり、和らぐに時がある」


続いています。


~は中略


これらの聖句を読むとき、私にはあれは「神」から与えられた「時」だったと思う事があります。


それは、決して優しいものではなく、辛く苦しい「時」でした。


灯りの見えない真っ暗やみのトンネルの中にいる様でした。


しかし、この経験から得るものも沢山ありました。


周りの人達の優しさが心にしみた「時」


私は負けちゃイケナイ。


私1人で戦っているわけじゃない。


みんなの力を借りて、みんなで乗り越えるんだよ。


支えてくれる人がいる「幸せ」を痛感させられました。



ギリシャ語には「時」を表す言葉が2つあります。それは「クロノス」と「カイロス」という言葉で


「クロノス」というのは、時計の針が刻む、いわゆる「量的」な時間で


「カイロス」は、1度限りの独自の「質的」な時間を示すものです。


「伝道の書」に綴られてある「時」というのは、かけがえのない貴重な「カイロス」のことです。


私が経験した「時」が、今日の私を創り上げたと言っても過言ではないのです。


あの「時」が、なかったら今はどうなっていたのだろうか?


「時」には、人知を超える導きみたいなものを感じざるを得ません。



私は幼稚園から大学までのミッション系の高校に通っていました。

週に1度「聖書の時間」という、道徳的な授業がありました。

他にも、心に響いた聖句はいくつかあります。

凹んだりしたときは、そっと聖書を開いてみたり

賛美歌を歌ったりしています。

すると、心が落ち着いていつもの自分に戻れるのです。

私流の私の「復興作業」とでもいいましょうかw