誰かが助けてくれる…誰か何とかしてくれる…いつもそう思ってた…けれども違った…そうじゃなかった…そうじゃない事を知ったんだ…違うことに気が付いたいつも頼って誰かに甘えて…そうして独りになって気がつく…自分では何もできないと…結局自分は自分しか救えないんだだから努力をしなくちゃいけない勉強し適応することで守る術を学ばねばいけない…けれども誰も教えてはくれない…ただでは教育してくれない…だから自分で学ぶんだ…信じられるのは本ぐらいだろう…けれども机に向かって本読むだけでできるようになるのなら誰も苦労はしないよな…だから苦労しろってことなんだろうな…
あれも駄目、これも駄目ってなると結局恐くて八方塞がり…身動きがとれなってしまう…社会に対して恐怖を抱いて引きこもる人も沢山いる。結果としては何も活動をしてないのと同じになってしまうのだが…心って言うのはやはり疑ってかかるという安全装置をもってるわけで携帯電話やネットの普及によって悪い商売や業者なんて腐るほどだ…特にネットでの売買なんかは大手などの信用の置けるところ以外はどこも疑われていいサイトであろう…楽して儲けようなんてそんなことがあるわけない、儲けなんかより、気持ちの安息と安らぎの方がずっと価値のあるものだろう…
各世帯ではなく各個人が満足に生活できる環境が整っていればいいわけでそれ以上のものを威厳や権力を振りかざして奪ってはいけないのだろうな…そして身体が動く間は決っして楽をせず地道に土型仕事や食料の生産だのの仕事に地道に働くことが一番であろうな…
各世帯ではなく各個人が満足に生活できる環境が整っていればいいわけでそれ以上のものを威厳や権力を振りかざして奪ってはいけないのだろうな…そして身体が動く間は決っして楽をせず地道に土型仕事や食料の生産だのの仕事に地道に働くことが一番であろうな…
我々にとって予測は未来の知る重要なてががりだ、だが大抵の人は知った所で何も行動しないだろう自分には何もできないとわかっているからだ…行動する価値があるかどうかにもよるだろうし…人はいつも予測し対策をねる…そしてそれが上手くいかなかった場合それそうおうの報いをうける…時にそれは死や滅びに直結する。今までそうやって社会や環境の変化に適応してきた
…そもそも何故人は予測ができるのか?…簡単なこと…変化に適応できる様に脳が予測できる頭脳(知識)を持ったということだ…これもひとつの適応であろう…人だけでなく草食動物も肉食動物に襲われそうになると危険を察知して逃げるこれもひとつの予測だ。
そう考えると予測とは一種の生存本能とも言えるかも知れないな。
…そもそも何故人は予測ができるのか?…簡単なこと…変化に適応できる様に脳が予測できる頭脳(知識)を持ったということだ…これもひとつの適応であろう…人だけでなく草食動物も肉食動物に襲われそうになると危険を察知して逃げるこれもひとつの予測だ。
そう考えると予測とは一種の生存本能とも言えるかも知れないな。