beingtobeのブログ

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社会問題から自分の思う所、本当は誰にでもある感情を探っていきます。

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日本人は芸術を買わない

と、よく聞く。

GDPを見ても豊かな人は多いけれど、海外と比較すると芸術品に使う額は低い。

この間ある日本人と話していて、なぜか、がよくわかった。

彼は『よくわからないから』買わないのだと言った。

よくわからない、という時、それは自分の感性が追いついてないからだ、という。

良いと思うから買い、良くないと思うから買わない、そういう枠だとシンプルなのだが、
良くわからないから、買わないという枠が日本人の多くに存在する。


それは何故か、自分の軸を持たないからだ。
自分の感性をその域に置いて育んでいないから、良くわからないゾーンなるものをつくって、そこに良くわからないものは全て放り込んでいる。

しかし、芸術品を見た時に、良いか悪いか、なんて自分の感性で決めれば良いから、実は何よりも簡単だと思う。
自分が今まで生きてきて、良いと思い、大切にしてきた感覚に従って、素晴らしいか、欲しいか否か、たったそれだけの選択だ。
どの政治家が国をよりよくするか、そんな自分の環境やその他のより多くのものや、自分の未来を左右する選択ではない。

しかしそれを決めれないというのは、そもそも芸術に対する関心がなく、そもそも芸術品なんて無くても良いと思っているのだろう。
本当にそうか、と思う。

芸術は政治なんかよりも、簡単に、小さいところから人の価値観をつくっていく。
何を美しいと思い、何を要らないと思うか、
どのような仕草を美しいと思い、美しくないというか、
どのようなことを人にしたいと思い、したくないと言うか、
どのように自分は扱われるべきだと感じ、他人をどう扱うべきだと感じるか。

人生は取捨選択の繰り返しで、人との関わりは避けられないものだから、
どこまでが良くて、どれ以上はダメだというか、それを決める軸を持っていることはとても大事だ。
物事や事件、環境との関わりに対しても同じことが言える。

私は自分が美しいものが好きだと思い、自分はそれに恥ずべきではないという、とてもシンプルなところから始まっている。
だから、それを軸にいろんなことを決めていく。

それが芸術ではなくても、何か大切なものがあれば、それを中心に物事を決めていくことができるけれど、軸がない人は、他人の軸に従って、他人がいいということに同調し、周りの進める方向へ向かって進んで行くことしかしないのではないか、と思う。

つまり、私が有名で、私が新聞や、評論なんかで褒めそやされる作家であれば、その人は私の作品を買うのかもしれない。

軸のない人は弱い

軸は自分でつくるものであって、周りにつくられ、人から操られるようにして生きていくべきではない。