あの日から4年——
我が子がいじめを受け、不登校になってから、もう4年が経過しました。
発達障がいと診断されている息子。
当時、不登校になってしまう前から、学校には息子がいじめ被害に遭っていることは何度も伝えたのに、その度に息子自身の発達特性を理由にして、いじめをいじめとも認めなかった担任。
そしてとうとう息子がいじめを苦に学校に行けなくなってしまったのに、学校は息子へのケアやいじめ対処どころか、息子から名前の出ていた加害生徒たちに対しても何一つ働きかけもせず、放置しつづけました。どれだけ対処をお願いしても。
担任Sに至っては、「息子さんが学校に来なければ何も(いじめが)起こりようがないのにどうやって指導しろというのか?」と吐き捨てるように言ったのです。まるで「もう一度いじめに遭ってくれなければ手の打ちようがない」とでも言いたげに、私を小馬鹿にするかのように首を傾げる態度…。
教育者の言葉とは到底思えませんでした。
私の心の中にはずっとずっと怒りや憎しみがくすぶっていました。
忘れることはできないけれど、思い出せば苦しくなる、だから思い出したくはない…けれどふとしたときにあの忌々しい記憶が蘇る。
当時、学校とのやり取りはいくつも録音していました。だけどそれを聴き返すことはあまりに辛すぎて、パソコンの「いじめ」というタイトルのフォルダをクリックすることは、ずっとできずにいました。
しかし、先日思い切って再生してみたのです。
耳に飛び込んできたのは、被害を訴える子どもや親の声を受け止めるのではなく、学校という組織と自分を守ろうと必死な担任や校長の言葉ばかり。
当時の記憶が一気に蘇り、胸の奥の怒りと憎しみがまた燃え上がってきました。
いじめと認めない担任の声、それに対する私の遠慮がちな反論。
ああ…この頃はまだ担任との関係は良好に保たなければと、どうにか理性で抑えていたなぁ…。
それから、「いじめで不登校になってるなんて私は知らなかったんですから」と言い張る校長Kの声。
後に、校長がこの発言をした時にはすでに、息子がいじめによる不登校であると職員会議の場で報告を受けていたこと、つまり嘘をついていたことが明るみになったのだけど。
被害を訴える子どもの声も、親である私の訴えも受け止めてもらえないどころか、軽んじられ…録音の向こうにいたのは、子どもの苦しみよりも体面を守ることを優先する、汚い大人たち。
教育者としてのプライドを守ろうとしたつもりなのかもしれませんが、結局は責任逃れに終始する卑怯で情けない人間に成り下がっただけ。
あの頃の我が子は、追い詰められ、それでも必死に生きていました。
そんな子どもの声を、どうしてあの学校の教師たちは聞こうとしなかったの?
4年経った今、落ち着いて過ごせる日々も増えてきました。
でも、録音を聴き直した瞬間に突き刺さったのは「あのとき学校は子どもを守らなかった」という事実。
学校は子どもを守らなかった。いや、守ろうとすらしなかった。
自分たちの体裁を守ることだけに必死で、いじめで苦しむ子どもを見殺しにした、その罪は、どれほど年月が経とうと消えることはありません。
私は親として、決して忘れませんし、許しません。
この怒りを胸に、同じように苦しんでいる親御さんや子どもたちに伝えたい。
私がブログにこうして書くのは、同じように苦しんでいる親御さんや子どもたちに、少しでも「あなたの声は正しい」と伝えたい——あなたが感じている「学校への不信」「大人への絶望」は正しいのだと。
間違っているのは、子どもを守らない学校の側なのです。
同じ経験をした親として、私はこれからも声をあげ続けたいと思います。