阪神淡路大震災から25年。
当時、高校生だった私。
通ってた高校は、被災地ど真ん中で。
学校は避難所になり。
授業どころではなく。
2週間後に予定してたスキー修学旅行も、当たり前のように中止。


住んでた家は、一部損壊だったから。
ぐちゃぐちゃになったものを片付けたら普通に住めたけど。
うちの周りのガスの復旧が、だいぶ最後の方だった。
家にガスが復旧したのは、4月末だった。


学校が再開したのは、いつだろう?
2月末ごろだったかなぁ。
電車は途中までしか通ってなかったので。
焼け野原となった神戸の街を、友だちとてくてく歩いて学校まで行った。
戦争は経験したことないけれど。
こんな感じだっただろうか、と思いながら歩いたことを覚えてる。


本当に何もかもが一瞬で無くなってしまった。


当たり前のことが、当たり前であることが、どんなに幸せか。


今は神戸を離れて。
大阪にいるから。
あの時の神戸のことを共有できる人は少ない。


震災の話になると
「大阪もけっこう揺れたから〜」
「家の中はぐちゃぐちゃになったよ」 
とか聞くけれど。


まだ生活もアップアップだった神戸の隣で。
大阪の街ははバーゲンをしてた、って。
まるで別世界だったよってこと知ってるから。


大阪で震災の話になると、分かったふうにしないで欲しいと思った。


そして、その思いは私の人との距離のとり方の根っことなってる。
何か大変なことが、誰かに起こった時に。
その人のことを、気持ちを、状況を分かったふうには、絶対にしない、ということ。


当事者にしか分からない、から。
分かるよ、なんて図々しい。


ただそっと。
そばにいる。
一人ではないよ。
手を伸ばせばそこに私はいるからね、とだけ。




高校の同級生たちと久々に集合した。
何もなくなった神戸の街をてくてく一緒に歩いた彼女もそのうちの一人。


25年たって。
みんなそれぞれ結婚し親になり。
病気をしたり、親を亡くしたり、
子育ての悩みは尽きないし、親も少しずつの弱ってく。


話す内容こそ、変わったけど。
キャッキャッとした雰囲気は変わらない。


はぁぁ、、
楽しかったな。


一生の友とか親友とか。
そんな大げさな言葉ではなく。
気がついたら25年もたってたねーって感じの関係が私にはちょうどいい。


ありがたい。


あーるやハルは、どんな人とつながっていくのかな。
親が一番でいられる期間は案外短い、んだよね。