ななめ左からのAKB考察

ななめ左からのAKB考察

AKBって、面白い。
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樋口真嗣監督のAKB48『真夏のSounds Good!』PVが、各所で酷評されているのをよく見かけます。

確かに、一見すると
「特撮好きの兄ちゃんがエビカツの衣装ボロボロにしてまでテキトーなPV撮りやがって!」
となるかもしれません。テーマが「天国と地獄」であるとわかっても
「最後結局みんな死んでるじゃんw 『十年桜』ほどの内容もないしな。なんで今回のシングルでわざわざこんな戦争まがいのPV撮らなきゃいけないの?」
という印象で終わるかもしれません。

しかし、私は初めて見た時非常に面白いPVだと感じましたし、少し調べてみてなるほど納得な、しっかりとした構成になっているように思います。
少なくとも、昨年のエビカツのPVよりも、考えて作られていると思います。

あくまでも個人的に、ですが。

そこで今回は、私なりに解釈した、『真夏のSounds Good!』PVのストーリーと、その裏にある意図について記述したいと思います。

あらかじめお断りしておきます。
これはいちファンの勝手なひとつの解釈です。もちろん、樋口監督から何をきいたわけでもなければ、これが正解である確証などどこにもありません。
あと、私は無宗教ですので、これはキリスト教の勧誘等でもありません。
(理由はあとでわかります)
以上のことを理解した上、こういう読み取り方もあるのかと楽しんでいただければ、と思います。


さて、このPVで印象に残るシーンはどこでしょうか。
いちばんは人それぞれあると思いますが、多くの人の記憶に残るカットがあります。
1サビの終わり、岩田華怜のまわりにメンバーたちが倒れており、それが渡辺麻友のこぐ自転車の前輪と重なっていくところ。
今回は、ここに大きなヒントを得ました。

キーワードは3つ。
「天国と地獄」「運命の輪」そして「最後の審判」です。

「運命の輪」は、タロットの10番目のカードです。
タロットは向きとか言い出したらキリないので詳細はカット、まあカードの持つ意味合いはだいたい皆様のイメージ通りでしょう。運命の輪は常に回り続けており、良い時も悪い時もわれわれ人間には制御できない大きな力(≒神的な力、としていいでしょう)でかわるがわるおとずれるようになっている、といったところでしょうか。
特筆すべきは、このカードがタロットの1番目から順に見た時、肉体的成長の終焉と精神的成長の開始、つまりは「ターニングポイント」を意味するカードであるということです。

「最後の審判」、タロットでいう20番目の「審判」のカードは、「天国と地獄」に大いに関係があります。
最後の審判とは、キリストが復活するとともにすべての死者が蘇り、生きていた者も含めたすべての人間がキリストによって天国と地獄へと振り分けられるキリスト教上での出来事です。

以上の内容を踏まえた今回のPVのキーパーソンは、なんといっても麻友です。
結論から先に言うと、麻友はこのPVのエピソード上でのキリストとして描かれていると私は考えます。
では、その理由の説明も兼ねて、PVの内容を順に追っていきましょう。

【”守る側”の飛来、”攻める側”たちの救助】
今回のPVに内包されている大きなテーマのひとつが、「ターニングポイント」です。
PV冒頭であっちゃんは「自分たちが変わるためにきた」と発言しています。

”守る側”のメンバーたちはみな瀕死の傷だらけ、昨年総選挙の印象が深いエビカツの衣装もぼろぼろです。これは、オリジナルメンバーたちが様々な活躍の裏で受けてきた困難、さらにはこれまでの活動の方向性に限界が生じ、「後にひけない状態であり、かつ早急な変革を迫られている」ことを表しています。

しかしながら、”守る側”とあるのは、同時に生半可な変革に不安やとまどいを感じていることの現れと言えます。”攻める側”のメンバーたちが救助に駆け寄ったとき、あっちゃんは「こちらにきてはいけない」と叫び、優子も「自分たちを助けてはいけない」と鋭いまなざしを投げかけます。ここは、選抜メンバーがゆえ受けてきた困難を後輩たちに体験させてよいのかという問いに悩んでいる、あるいは、変革の結果が自分たちの真似事であってはならないという意思の表れともとれます。

余談ですが、”守る側”・”攻める側”というネーミングは、「運命の輪」に描かれている二つの存在
・運命の輪の回転を阻止する(変革を拒む)獣(=”守る側”)
・運命の輪の回転をすすめる(変革を起こす)スフィンクス(=”攻める側”)
という図式からきていると私は考えます。

変革を起こす存在である”攻める側”のメンバーたちは、”守る側”の制止を振り切って彼らを助けようとしますが、青く変化する血を吐きながら次々と倒れていきます。これは、次世代へのいわば「AKBイズム」の継承と、それが決して簡単ではないことを表していると思われます。そうして、雨の中空を仰ぐ華怜を残し双方は全滅、周りは「地獄絵図」と化します。

ここで「なぜ華怜ひとり生き残っているのか?」という疑問が生じます。
この点に関しては、私も納得しきったわけではないのですが、
・華怜がメンバー唯一の東日本大震災(=我々の中で近年地獄のイメージに最も結びつきやすい)経験者であった
・華怜を軸とし映像を回転させ、また自転車前輪が回転している様子と重ねることで「運命の輪」というヒントをよりわかりやすくさせたかった
という2点が少なくとも意図としてあると考えます。華怜はなにか特別な存在をモデルとしているわけではなく、あえて「たまたま生き残ったがゆえに地獄をみた」人物として描かれているのではと私は解釈しました。経歴上、彼女の演技的表現力が同年代のメンバーに比べ優れていたことも起用の一因では、と考えます。

【あっちゃんを背に自転車をこぐ麻友】
さて、先ほどの惨状を目の当たりにしながら、もう一人生き残っている”攻める側”のメンバーがいます。そう、麻友です。
華怜と麻友の大きな違いは、麻友の場合ここまでのシーンで”守る側”あっちゃんと接触した 描写が明らかにある(華怜もあったらごめんなさい、コマ送りで見る限り見つけられなかった……)にも関わらず、生き残っているという点です。これは、麻友にほかの”攻める側”メンバーにはない素質がある、すなわち誰がなれるわけでもない「選ばれた存在」であることを表しています。さらに麻友は、自転車をこぐ、すなわち「運命の輪を自ら回している」存在でもあります。これらの点から、私は麻友がこのPV上での「神に選ばれし子、イエス=キリスト」である、としたのです。

誰かの手(撮影時は便宜上あっちゃんの手でしょうが、これが物語とどの程度関わっているかについては言及しかねます)によって目隠しされたことにより、自転車は転倒してしまいます(間のダンスシーンについては後述)。
光はキリスト教において神の力を表す特別なものであり、麻友はそれを一度失ったことになります。しかしながら、麻友は今度は自力で立ち上がり、あっちゃんを抱えて進みはじめます。もう後ろにみえる自転車の車輪は回っていません。天気は曇りから、次第に晴れへと変わろうとしています。
私はこの箇所を、「キリストの復活」と読み取ります。このあと起こるイベントがそう、「最後の審判」なのです。

【丘の上、メンバーのもとへの到着】
最終サビ、死んだと思われたメンバーたちが、”攻める側”が”守る側”の手を引いて赤土の土手をのぼっていきます。
天気は冒頭~1サビとうって変わって快晴、メンバーたちも皆笑顔です。
この部分を、私は「最後の審判」によって天国へと導かれたと解釈しました。
(※これまた余談ですが、今回のPVにおいては「地獄⇔天国」対比と天気は明白に関連
づけられていると思います。)
※5/28追記※
普通に再生すると見えませんが、コマ送りで見ると実はメンバーたちが倒れていた部分に別の人々と思しき倒れている影が見えます。
最初見たとき「なんじゃこりゃ?!」とゾクッとしましたが、これが多分最後の審判で地獄に仕分けられた人々を表しているんじゃないかと思います。

しかし、麻友(=キリスト)が彼女たちを天国へと仕分けた、という描写はどこにもありません。こちらも腑に落ちない点がありますが、これに当たるシーンが前述の「目隠し~再び前進」の間のダンスシーンだと考えるのがなんとなく妥当かな、と感じています。ダンスシーンも天気は快晴で、これは「麻友(=キリスト)の中での擬似的天国」なのではないでしょうか。”攻める側”のダンスに、”守る側”のメンバーが加わるという点も、”守る側”が”攻める側”に導かれて天国へいく(変革する)という図式とも近いものがあり、実に興味深いと思います。
(※「キリストの復活」とした箇所と時系列的にしっくりこないところもありかなり怪しい解釈ですが、必ずしもしなければならない描写でもなし、まあダンスシーンはダンスシーンなんじゃないの~とも思いつつ、目隠しの描写とのリンクもありますし、監督は今回のPVを「短編映画」としてとらえている節が見受けられるので、きっとこのシーンにも意味あるよね! あるとしたらこういう意味だよね!! うんうん、と自分に言い聞かせています。笑)

さて、キリストは最後の審判の後、自らも天に召されます。
それが、本PVでのラスト、丘の上で待っている白いワンピースに草の冠姿のメンバーたちを見つけ、麻友が微笑むというシーンで描かれていると思います。
ここで興味深いエピソードが、『マルコによる福音書』の中の、天にあげられたキリストは神の「右」の座についたという描写です。
ここまで伏線を張るか?!と思いますが、ラストの振り付けでみんなが左手で指差すところが麻友だけ右手になっています。「麻友の振りミスじゃないか」と一部で物議をかもしていましたが、監督・振り付け師でのチェックは問題なく一発OKだったといいますし、ひょっとすると監督のニクイ演出だったりして?……なーんて思うわけです。

天に召される……といっても、麻友は自らの足で、天国である丘の上へとたどり着きます。そして、その傍らにはずっとあっちゃんがいます。このことについて、最後に考察してみようと思います。

本編の話の流れとは時系列的関係はありませんが、我々がキリストから連想するエピソードのひとつが、「十字架を背負ってゴルゴダの丘に登り、磔刑に処された」というものではないでしょうか。このことからも、監督が我々に「麻友=キリスト」ととらせるもう一つのヒントを用意していたのではないかと思うのです。そして、私の中で最後まで謎が解けなかった「このPVにおけるあっちゃんが示すもの」は、キリストの十字架だったんじゃないかという考えに至りました。

磔刑のエピソードからこそいいイメージを持たないかもしれませんが、そもそも十字架とは主要なキリスト教教派が、最も重要な「宗教的象徴」とするものです。あっちゃんはこれまでAKBというアイドルグループの「象徴的存在」であり、下積み時代も売れてからも、AKBに対する批判の矢面に立ち続けた、言い換えれば「守ってきた」人物です。そういった意味で、「あっちゃん=十字架」という図式もなんとなく自分の中で納得がいきました。自分を置いていけと言ったあっちゃんに対し、「いやだ」とつっぱねる麻友にも何かしらぐっとくるものを感じます。



”守る側”がどこから来たのか? 手の甲の模様の意味は? ともちんと麻里子さまのアレ、なに? 等、どうやら地球外から来たであろう”守る側”という存在自体に対する表現に関しては、謎がのこるところです。でもまあ、

「メンバーたちが死んだというのはある意味正解だけど、でも思ってた話の筋とは違ったわー」

くらいに思っていただければ個人的には満足です。ていうか、ここまで長い文章を久々に書きました。ここまで読んでいただけた方は、読むの大変だったでしょう、おつかれさまです。
あっちゃん卒業という大きな節目(楽曲発表は卒業宣言より前であったが、秋Pはまあそうなるだろうと睨んでいたでしょう)を迎える中で、総選挙という大きな変革のタイミングである今・このメンバーでしか撮れない作品だったと思います。
楽曲の内容も、ポニシュで「好きなんて言えやしないよ」、エビカツで「なぜか何も言えなくなる こんなに想っているのに」と伝えられなかった恋心を「やっといえたよ」となっていて、グアム3部作(※勝手に命名)の終焉とともにグループとしての「大きな一区切り」をつけようとしているんだなぁなんて、思ったり思わなかったり。
あっちゃんの後継者は麻友に……と運営は考えている、という捉え方をしてもおかしくない作りに確かになっていますが、もっと大事な点は「象徴的存在」と位置づけたあっちゃん(あくまでも私の解釈の中で、ですが)に「自らが変わりたい」と言わしめたことでしょう。あっちゃん自身の変革への決心、そして「AKBの象徴のバトンタッチ」を一言で表現している、なんだか感慨深いシーンです。

感慨深いと言っておきながら、私所詮ファン歴1年半のにわかヲタです。すみません。
ちなみに麻友推しってわけでもありません。推しは佐江ちゃんです。すみません。
キリスト教徒の皆様、引用エピソードが暴走してたらすみません。
樋口監督の肩を持ちたい訳ではありませんが、監督の作品では『ローレライ』が好きです。すみません。

読んで、何かしら「こういう解釈はどう?」と思ったらぜひコメントください。
お願いですから、叩かないでくださいね。あくまでもイチ個人の戯言なので。お願いします。

ご一読いただき、誠にありがとうございました。

誰だよこのハッシュタグ考えたの(笑)

いやーYYG以来のDVD正座待機即決じゃないでしょうか。

一日目から最終日まで、サプライズも興味深いものばっかりだったし、昨年の西部ドームの反省を踏まえて公演内容もすんごぃよかった気がします。

あっちゃん卒業、私は素直におめでとうって思ってるけど
ニュースで映像みると……ちょっとホロッときたよねw

でも、このタイミングって正解だったと思う。

どっかで読んだけど、メンバーの卒業後の未来も含めて、AKBを背負うってことなんだろうな。

アンチもいっぱいいるけど、それ以上に抱きしめてあげたいくらい大好きなひともいっぱいいるんだぜって、伝えてあげたいね。

女優っていう職業は、たぶん彼女に向いてるんだと思う。
やっぱりセンス持ってるひとって、違うから。
器用なひとがどれだけ真似ようとしても、かなわないものを彼女は持ってる。

Q10をみて、うまいって思ったもん。
悔しいくらい。

もしドラもイケパラも転けたっていわれてるけど、
正直もっと面白い脚本持って来いやって私は思ってた、というか今でも思ってる。
山ピーのドラマのあっちゃんは、ちゃんと魅力的だもの。


不器用あっちゃん、これからもずっと応援しつづけます。

あっちゃんが大好きで仕方ない佐江ちゃん、
総選挙やドラマを期にあっちゃんとの距離が近くなったゆきりん、
一緒に黎明期を築いてきたゆったん。

私の推しの3人にも、この大変革をバネに変えて欲しいと心から願います。


ところで、さえゆきで声優をやったアニメ、めっちゃみたいんですけど……!!

大の大人が何年かぶりにりぼんマスコットコミックスかって読んでますけど
原作やってる秋Pもまさに適材適所な二人を持ってきたなっていうか、この人材を見込んで原作書いてたのか。

とにかく、みたいです。


AKB0048より面白いかもしれないぜ?