Cavalera Conspiracyが10月に久々の3作目「Pandemonium」を発売することが決定し、Soundcloudでそこからの新曲が公開 されたのだが、そのタイトルは"Bonzai Kamakazi"。どうやら“万歳、神風”ということで、第2次世界大戦における日本の神風特攻隊を題材にしているようだが、なんなんだこのタイトルは。日本人にとっては失笑ものとしか言いようのない、近年稀にみる間違った日本解釈である。サビではちゃんと“バンザイ、カミカゼ!”と発音しているので、最悪の事態だけは何とか回避されたが、日本盤を発売しようとしているレーベルにとっては痛し痒しの困った問題なのではないか。バンドの周辺に誰も指摘する者はいなかったのか。


そもそも神風をkamakaziと表記するのは今に始まったことではなく、神風特攻隊を英語に訳そうとした際に、英語に“特攻”という意味に相当する言葉がなかったため、“カミカゼ”をそのままの発音で英語で表わそうとしてkamakaziになってしまったというのが真相のようだ。そのため欧米では神風はずっとkamakaziとして認識されており、'72年にはイギリスのJerusalemがイアン・ギランのプロデュースによるアルバムに"Kamakazi Moth" という曲を収録している。さらには北京オリンピックに出場したオーストラリアのジェイミー・ヒルデブラントというBMXライダーがオリンピック後にKamakaziと改名したとWikipedia に記されているし、なんとカナダにはKamakaziというロック・バンド まで存在している。日本人には失笑ものでしかないkamakazi、しかし欧米ではこれが神風として定着しているのである。


そしてもうひとつの"bonzai"であるが、なぜ万歳がbonzaiになったのか調べてみたものの、その由来がどうしてもわからない。英語では“万歳”を意味する言葉には"hail"や"rules"といった言葉があるが(いずれもスラングとしてのニュアンスだが)、日本人がバンザーイ!と叫んで両手を挙げる光景は欧米人にとってはよほどインパクトがあったのだろう、“バンザイ”の発音をそのまま英語で表記する際に間違ってbonzaiとしてしまったのであろう。しかし、bonzaiは同時に日本の盆栽を英語で表記したものとしても認識されており、"bonzai"をGoogleの画像検索 にかけると見事なまでに盆栽の写真で埋め尽くされている。カヴァレラ兄弟がそこまで知っているとは思えないが、もしそれを知ったらどう思うだろうか。インタビューで訊いてくれないものだろうか。


余談だが、今話題のCHAGE and ASKA。以前はCHAGE & ASUKAと表記していたが、イギリス人にASUKAを“アスーカ”と読まれてしまったため、ASKAと表記を改めたらしい。日本語の発音を欧米人に完全に理解してもらえる日は来るのだろうか。


(追記)

その後、例の"Bonzai Kamakazi"は"Bonzai Kamikaze"にタイトルが変更(ここでは修正というべきか)された模様。でもBonzaiはそのままなんだね。



フランスのメタルコア・バンドBetraying The Martyrsが先頃リリースした2ndアルバム"Phantom"。前作は日本盤も発売されたが、本作は今のところ日本盤が出るという話は聞いていない。

個人的にはデスコア、メタルコア、Djentをバランスよくハイブリッドしたサウンドが秀逸なアルバムという印象をもったが、それ以上に目を引いたのが、4曲目に配されている"Let It Go"というタイトル。まさか今流行りの、間違いなく2014年を代表するヒット曲になるであろうあのレリゴーじゃねえだろうな、と思って聴いてみたら、まさかのその通り、イディナ・メンゼルのカヴァーであった。しかもよくあるボーナス・トラックではなく、堂々のアルバム本編扱いである。

やっぱりリリース元のSumerian Recordsもこのカヴァーを本作の売りにしたいようで、この曲のPV が制作されている。このビデオのコメントを見てみると当然というか、「こんな曲カヴァーしやがって」という非難轟々の嵐。しかし元々アニメ好きなフランスの風土と、BABYMETALがヨーロッパで受けているという現状を考えると、この手のカヴァーが世に出ても全くおかしくはないであろう。


それにしても驚くべきは、この曲をカヴァーして世に出すまでのスパンのあまりの早さである。レリゴーのオリジナルが収録されたアナ雪のサントラ盤が発売されたのが2013年11月。そしてこのBetraying The Martyrsのアルバムが発売されたのが2014年7月。少なくとも発売の2か月前には録音を終えていなければならない音楽産業の現状を考慮すれば、わずか半年でこのカヴァーが完成したことになる。初めてイディナ・メンゼルのオリジナルを聴いて、メンバーの中に何か感じるものがあったのだろうか、色々な意味で。


もし本作の日本盤が発売されるようなことになれば、当然このカヴァー曲は売り出す際に前面にプッシュされることになるだろう。”今話題の「ありのままで」のカヴァー収録!”というキャッチコピーとともに。それはバンドにとって本意なのであろうか。誰か訊いてくれないかなあ。


2011年の「LOUD PARK」でWhitesnakeのステージが終わり、ヘッドライナーのLimp Bizkitの出番までの合間に半数以上の観客が帰路についてしまったという事実を例に挙げるまでもなく、日本のメタルファンによるラップメタルの嫌われ方は半端なものではなかった。WhitesnakeとLimpを同じフェスティヴァルにブッキングするという空気の読めなさこそ批判されて然るべきであるというのが自分の考えだが、それを差し引いても、「異分子を徹底的に排除すべし」という日本のメタル・ジャーナリズムの”洗脳”がこんな形で実を結ぶことになってしまったのは至って残念であるとしか言いようがない。ラップメタル特有のチャラさがメタル的なメンタリティと対極に位置するのはよく理解できるが、今回ご紹介するClawfingerのように、チャラさは皆無であくまで硬派にラップメタルをプレイしていたバンドがいたことも決して忘れてはならないと思う。このClawfinger、2007年の"Life Will Kill You"を最後にアルバムのリリースがなくほとんど音沙汰がなくなっていたが、その存在を忘れかけていた昨年末にひっそりと解散を表明していた。しかし先頃'93年のデビュー作"Deaf Dumb Blind"の発売20周年を記念したボックスセット"Deafer Dumber Blinder"がリリースされたので、ここで取り上げようと思った次第である。


ラップメタルは80年代にAnthraxやFaith No Moreらが先鞭をつけたものであったが、それらはあくまで多様な音楽性の一部を表現したものに過ぎなかった。そして90年代に入ってラップメタルを明確なバンド・コンセプトとしていち早く打ち出したのがアメリカのStuck MojoとスウェーデンのClawfingerであった。いかにもアメリカンなマッチョなグルーヴを前面に押し出した前者と都会的なスマートさを打ち出した後者という違いはあったが、どちらもあくまでもヘヴィメタルを音楽性の基盤に据えていたという事実は今となっては興味深い。特にClawfingerは当時ラップやヒップホップが盛んではないと思われていたスウェーデンから突如現れたということに加え、FMのメタル番組で耳にしたアルバムのオープニング曲"Nigger" に衝撃を受け、すぐにアルバムを買いに走ったという忘れられない思い出がある。


この衝撃的なタイトルを冠した"Nigger"、実は人種差別に反対する歌詞 なのだがやはりこのタイトルはまずかったのか、Metal Bladeの配給でリリースされたアメリカ盤ではカットされ、代わりにシングルB面曲であった"Get It"に差し替えられるという措置が取られている。本作リリース時にはAnthraxやAlice In Chainsのツアー・サポートに起用されるという上々の船出を切ったのだが、この一件が響いて本格的にアメリカ進出を果たすことができなかったのは非常に無念であっただろう。先に記したように、ラップメタルは当初メタル・サイドから興ったムーヴメントであったのだが、ヒップホップ・サイドから登場したLimp BizkitやCrazy Townがヒットを飛ばすに至ってラップメタルの主導権は完全にヒップホップを主としたストリート・ミュージック勢に移行し、それがメタル・ファンからの強い反発を招いていったことは言うまでもないだろう。しかしClawfingerはそうしたシーンの動向には目もくれず独自の路線を貫き続け、青田買いによりオリジナリティの欠如したバンドが乱発した結果にラップメタルのブームが終了してもなお、見事に生き延びたのである。この20周年記念盤のリリースがその事実を如実に物語っているといえるのではないか。

そんなこと は公式サイトでの発表が出るまでは信じたくない。

前回さいたまで来日公演を観た者としては、あともう1回でいいから観たい。



オーストラリアの4人組によるデビュー作。リリース元がPunishment 18ということから想像がつく通りのスラッシュ・メタルだが、近年ここまでスラッシュ・メタルという音楽に求められるものを最大限に体現したアルバムはなかったのではないかと思えるほどの徹底ぶりを聴かせてくれている。


2000年代中盤以降のスラッシュ・リヴァイヴァルというと、個人的には「アンチ・トレンド、アンチ・メタルコア!エド・レプカにジャケット描かせて80年代的スラッシュをやれば喜ぶファンは沢山いるだろ」的なあざとさが鼻についてしまうものが決して少なくなかったと感じている。勿論そうでなく真摯にスラッシュを追求しているバンドもいるのだが、それらも一緒にそのあざとさに飲み込まれ、80年代から活動するヴェテラン勢を超えるほどのインパクトを残せていないというのが私の印象である。


ではこのアルバムはどうだろうか。ここで取り上げるくらいだから当然後者に属するわけだが、全12曲一貫して高速突撃スラッシュ・メタルのオンパレード。最後の曲だけはミドルテンポで始まるが、中盤からはやっぱり爆走に雪崩込む。強靭な手首によるリフの刻みに加え、早口でリズミックにまくし立てるヴォーカルが更に疾走感を煽っていく。このヴォーカルはギターも兼任して全曲の作詞作曲も一人で手掛けているが、ライヴでギター弾きながらこの通りに歌えたらきっと凄いと思う。無駄なリフの積み重ねによる複雑な展開もなく、ひたすらシンプルで判り易い曲調。それ故一本調子な印象は拭い去れないものの、「速けりゃいいんだろクソッタレ」という開き直りと突然イーヴルな雰囲気を醸し出すフックにより、決して飽きさせることはない。80年代的な質感を残したまま良質に仕上げた音質も含め、これこそまさしくスラッシュと言いたくなる1枚。1stでこれだけやってしまって次は大丈夫なのか、という余計な心配をしてしまいたくなるが、まあ今はそんなことどうでもいいでしょう。

Queenがアダム・ランバートをヴォーカルに迎えて"Summer Sonic"で来日することが決まった。今回も例によってフレディ以外は死んでも認めない、という声も多数聞かれるが、前回のポール・ロジャースの時も観に行った自分にとってはやはり楽しみである。その前回のツアーではロジャースが歌えない"Bohemian Rhapsody"の前半部をテープと映像で埋め合わせるという荒技で乗り切っていたが、YouTubeに上がっているライヴ映像を見る限り、ランバートはロジャースが歌えなかったアップテンポの曲にも十分対応できるようで、セットリストの幅も前回より広がりそうで大いに期待できるというものだ。


前置きが長くなってしまったが、今回主に取り上げたいのは、異なる2組のアーティストが共演した場合の名義の表記についてである。主に使用されるのは"and(&)"、"with"、"featuring(feat.)"といったところで、どれもが同じ意味合いのように思えるが、そこには微妙なニュアンスの違いが含まれている。


CHAGE & ASKAを例にとってみよう。ここでは"&"が使われているが、この"&"はCHAGEとASKAの格がほぼ同等であることを意味していることがわかるはずだ。ただし、CHAGE & ASKAの楽曲は大半がASKAによって書かれていたため、ここからは順番を逆にしてASKA & CHAGEとして話を進めていきたい。そこで"&"を"feat."に置き換えるとASKA feat. CHAGEになる。日本語でいうならば「CHAGEを含めたASKA」ということになるが、そこには「あくまでもメインはASKAであるが、共演者のCHAGEに最大限の敬意を表している」というニュアンスが読み取れる。ではASKA with CHAGEではどうだろうか。「CHAGEを伴ったASKA」。そこにはCHAGEが完全に格下であるという意味合いしか読み取れない。90年代以降に確立された"feat."を使った表記はその言葉の響きの格好良さも手伝って、一気に音楽業界に定着した感がある。


そして、Queen + Adam Lambertである。"+"はここまでに挙げたどの表記にも属さない。フレディ・マーキュリーの死以降も、ブライアン・メイとロジャー・テイラーは解散を宣言することなくどうにかQueenというブランドを存続させてきたわけだが、ポール・ロジャースを迎えてライヴ活動を再開する段階になって、当然の如く「こんなのQueenじゃねえ」という批判が巻き起こった。その批判を少しでも和らげるための策として"+"を用いることになったといえる。"&"ではどうも見栄えが悪いし、"with"ではアーティストとしては先輩にあたるロジャースに失礼になる。"feat."ではロジャースをQueenの一員として迎えたという印象を与え、さらなるバッシングは避けられない状況になっていたことだろう。だが"+"なら、あくまでもロジャースをQueenとは別物として捉えつつ、両者の合体というイメージを表現することができるというわけだ。これでライヴでロジャースの持ち歌であるFreeやBad Companyの曲もプレイしやすくなったし、アルバムで過去のQueenのイメージに囚われることなく、両者の持ち味を出した曲作りを行うことができた。実に良い落としどころを見つけたといえる。


で、今回のアダム・ランバートとの共演に際しても同様の"+"が用いられることになったわけだが、いくらランバートがアメリカで人気を博しているとはいえ、Queenのファン層とは殆ど被らないだけに、ランバートが"+"を使うに値するだけのものを見せてくれるか、本当に楽しみである。


Therapy?ほどジャンルやカテゴライズにこだわる日本において扱いの低いバンドはいないだろう。メジャーデビュー時には「Nirvanaに対するアイルランドからの回答」と評され、そのデビュー作"Nurse"はグランジブームのさなかに本国よりもアメリカで売れたという印象があったが、今回ご紹介する本作2ndアルバム"Troublegum"であっさりと前作の路線を捨ててメタリックかつパンキッシュなスタイルへ移行し、UKでもブレイクを果たす。


実際本作で聴けるサウンドは、メタリックなギターとパーカッシヴなリズムが織りなすソリッドな疾走感にポップなメロディーが乗る、メタルともパンクとも言い切れないまさしくクロスオーヴァーなロックであり、特に1曲目から5曲目までの息をもつかせぬ流れは完璧としか言いようがないものだ。その後の曲も秀逸な完成度を誇っており、個人的には本作は90年代ロックの名作に挙げたいほどの1枚だと思う。


しかしながら日本ではそのクロスオーヴァーなスタイルが”どっちつかず”と捉えられてしまい、さらにはSick Of It Allの対バンという意味不明なカップリングで来日公演が行われたせいでハードコア・バンドという認識すらされるようになってしまい、ますますジャンルの狭間に落ち込んでいった感が強い。当のバンド自体もアルバムごとに微妙に音のスタイルを変えていったこともあり、2001年の"Shameless"を最後にメジャー契約を切られてしまった。その後も現在に至るまで地道に活動を続けているものの日本盤リリースはすっかりと途絶え、タワレコの商品棚からもTherapy?の名が消えてしまっている状況は全くもって残念としか言いようがない。


そして今回、本作が発売20周年を記念した3枚組デラックス・エディションとして再発された。本編の最新リマスターに加え、ボーナスディスクで本作の前後にリリースされたシングルとEPの音源がほぼすべて網羅されている。興味深いのは本編でカヴァーしているJoy Divisionの他、Judas Priest、エルヴィス・プレスリー、Wire、The Stranglers、The Membranesをカヴァーしていることだ。無節操とも思えるカヴァー元の幅広さがすべて本作の血肉となっているという事実はもっと評価されてもいいのではないだろうか。本作と同時に次作"Infernal Love"のデラックス・エディションも発売されているが、その次の"Semi-Detached"がまた傑作なので、そのデラックス・エディション化を願いたいところだ。しかしこの2作、絶対日本盤でSHM-CDとして出されることなんてないだろうなあ。UKでは昨年"The Gemil Box"というボックスセットが発売されており、そこで1st~4thまでリマスターされているが、日本に入ってくる気配が皆無なのが残念である。