メコン川をはさんで ~タイ・イサーンとラオス・ビエンチャン~ その5
1月17日 メコン川を後に ~ラオスからバンコクに戻る~
ラオス滞在最終日。
やり残しのないようにと、朝から慌しく動きました。
朝食はベトナム料理。
ラオスとベトナムも長い国境を制しているだけに影響は結構受けているようで、
ベトナムのものとほとんど同じ味で食べることが出来ました。
※タイの影響のある料理もありますが、それはタイに戻って食べれるので
奥にあるのが「タートルアム」という塔
そのまま、中心部の市場(タラートサオ)で最後の買い付け。
調理道具をはじめ「シン」というラオスの服などを購入しました。
そのまま、隣りの郵便局に向かい発送手続き、しかし帰国前ということもあり、
現金がわずかしか残っておらず、カードも充実していないこともあったので、日本円を両替。
ここに来て一万円の両替は、お金の使い方としては失敗してしまいました。
現地通貨キープより同様に使えるバーツを使うことが多かったのですが、ここに来てキープの札束を見ると、
少し考えさせられてしまいました。
※結局札束を持ち歩き、2006年の秋にメコン川の中州のラオス領で少しだけ使いました。(レート悪い?)
ホテルに戻ってチェックアウト後、一昨日立ち寄ったバーに再度向かいました。
ビアラオドラフトのTAP
ビアラオドラフトを飲むためです。
しかし、ドラフト売り切れだったので仕方なく瓶をのんだところ、途中から大きな樽が次々運ばれてきました。
ビアラオの樽はすべて冷蔵庫へ
店員に「ドラフトが飲めますか」と訪ねたところ「OK」を頂いたので、ドラフトのビアラオも飲み納めということで飲みました。
やはり、この美味しさはなんともいえません。
昼食の生春巻きもベトナム料理
ここでは、昼食を兼ねて小一時間。
バス乗り場のあるタラートサオの市場を目指しましたが、
途中のフルーツ屋台が気になると料理長がいいましたので、少しの間だけ滞在。
南国のフルーツを盛り合わせたヨーグルトとパパイヤのシントーを注文しました。
市場前のバスターミナルに到着。
チェックアウト後だったので荷物が重たく、バス乗り場を探しました。
目的は「ブッダパーク」というところラオス最後の立ち寄り場所です。
途中に国境の友好橋があるので、ビエンチャンには戻らずそのまま、国境を越えてタイに戻る計画です。
※ということで、3泊したビエンチャンとはおさらば
バスは満席で途中まで立っていましたが、徐々に乗客が降りて行き最後は、
他の乗客がほとんどいない状況になっていました。
国境を越え、メコン川沿いをバスが走ってゆくと対岸はノンカーイの町がよく見えます。
2日目にノンカーイからラオス側を見ても時折、車が走っているのがわかるくらいで、
何もない雰囲気がありましたが、今はその何もないようなところ
(実際は小さな建物がいくつもありましたが)からノンカーイの風景を見る状況。
金色の大きな仏像なども見え、明らかにタイ側のほうが発展しているのがわかりました。
※同様に国境の存在で大きな違いを感じたのが、タイ・ミャンマー国境のときと同じ
ブッダパークに到着。ここは3日目にノンカーイからラオスに向かう直前に立ち寄った「ワットケーク」を作った人と同一の
人物が作ったもので、元々こちらで作ったものが、ラオスの革命などの混乱の影響で対岸のタイ側に渡って
作り直したものがワットケークといわれています。
中に入ると規模も小さいのとやはり変った仏像などがあるものの顔に大きな違いを感じました。
ワットケークのような荒々しさは感じられずむしろ穏やかな表情をしていました。
上記理由でタイ側に渡ったので、その時の感情が影響しているのではと料理長は言っていました。
※文献で事前にチェックした後、実際に見比べると違いが非常に面白く
歴史的に見ても結構重要な両者をあらわしていました。
すぐ目の前にメコン川が流れていました。そこで小休憩しメコン川滞在の最後を楽しみました。
ブッダパークからの帰り「トゥクトゥク」は止まっていましたが全て往復で利用する方のために待機しているので
乗る事が出来ず、行きと同じバスを待つことにしました。
しかし、いつくるのか全く予想が出来ないので、少し料金がかかるもののミニバスが通過しましたので、
それに乗って国境の友好橋まで案内してもらいました。
ミニバス(というよりトラックの荷台から)
※向こう側がちょうどノンカーイの町。走っているので画像が斜めになりました。
乗ること10分で友好橋に到着。国境を越える前にビアラオを6本程購入。
旅の途中で飲むことにしました。
国境通過、橋を渡ってタイ側に戻りました。乗り物を乗り継いで、ノンカーイのバスターミナルにたどり着きました。
ここから空港のあるウドンターニ行きのバスに乗り込むのですが、誤ってバンコク行きのバスに乗りかけてしまい、
気付かなければ予定が大幅に狂う危険がありました。
※豪華な長距離用のバスでした。しかしチケットが違うのですぐに係員に指摘されたかも
瞬時の判断で違うことがわかり、無事ウドンターニ行きのバスに乗り込むことが出来ました。
※こちらは普通の路線バス。
バスからは選挙のシーズンということで、各政党のポスターがあちらこちらに貼っていましたが、
バンコクのような都会と違いこのあたりは地方ということもあるのか、
権威を示すため?に軍服に勲章姿の候補者が目立ちました。
※無理やり着せているような風にも見えました。
ウドンターニのバスターミナルから空港へ。
いちいち乗り替えをしないといけないのが非常に面倒でわかりにくいのが難点といえるでしょうか。
※面白いパッケージの乾麺を見つけましたが、写真を撮るの忘れてしまいました(後は想像にて)
空港の待ち時間に軽く食事を行い、飛行機で1時間バンコクに到着。
そこからBTSのナナ駅までエアポートバスに乗り、バンコクのホテルに戻ったのは午後10時を過ぎていました。
近くのコンビニで買い物をして明日からのヨーロッパに備えるべく早い時間に就寝することにしました。
※旅はまだまだ続きます。
※明日よりしばらくリアルな旅にでますので、続きはしばらく書けませんが、
次からはいよいよヨーロッパ編が始まりますのでどうぞご期待ください
メコン川をはさんで ~タイ・イサーンとラオス・ビエンチャン~ その4
1月16日 メコン川の休日 ~ビアラオ片手にのんびりと~
昨日のうちに、ラオスの目的のほとんどを終らせてしまいましたので、のんびりする日に当てることにしました。
※「貧乏性の旅」を続けている関係上、このような日のすごし方をするのは前にも後にも極めて異例なことでもあります。
朝食は、この日も麺料理
朝食は、中心部の市場(タラートサオ)の隣りにあった市場でとる事にしました。
こちらの市場はテントのようなものだけの市場だったのですが、どんな感じなのか少し気になっていました。
予想通り、タラートサオと比べるとどこか庶民的な雰囲気がありましたが、人が多いのと下のじゃり道が歩きづらいのが
気になりました。いろいろ回った末、麺料理の店に、その後少し市場内を回って、ジーンズが安かったのでそれを
購入しました。(寒いと思われるヨーロッパで利用予定)
奥の建物がタラートサオ
※隣にバスターミナルもあり、まさにラオス一番の流通の拠点
ビエンチャンのメインの大通り
※迎賓館から撮影。最貧国なのか車の通りが少なく、奥にうっすらと凱旋門が見える
一旦ホテルに戻った後、昨日約束したホン氏がこられる11時30分まで待機していました。
ホン氏と再会し、昼食場所へ。
当初考えておられたところは昨日の夕食の場所とわかり、急遽別の場所へ。
※昨日行かなければ、車なので犬の攻撃も気にならず。。。
ここは、メコン川に近い場所でした。
このレストランは、鳩の焼き物やカエルの唐揚という珍しいものが多かったのでそれを注文。
ホン氏が、ラオスの海苔を持参。ここで試食をしました。
メコン川の支流に取れるらしく、頂いた海苔は帰国後のビールのおつまみになりそうです。
仕事の話などいろいろな情報交換を行い、最後に愛知万博のラオスデー(6/13)に来てくださいと言って下さいました。
これは、必ずいくつもりです。
(帰国後調査した結果、翌6/14はベルギーデーとわかりました。
ビールの店としてはこちらも重要なので2日間行くことになりました。)
※後日2005年の愛知万博のラオスデーに行きましたが、招待という話は、少し違っていたので
ラオスデーのイベント自体に参加することはできませんでした。
しかしホン氏と再会し、少し話をすることができました。
ちなみに愛知万博自体は1日で十分だったのでベルギーでーには行くことはなく、
ベルギーやドイツのレストランでビールを飲んだくれていました。
昼食のお店の前
ホン氏と別れ、この後特に予定もないので、メコン川のほうに行きました。
初日の夜に鍋を食べたところが近いのでそこでビールを飲みながらのんびりすることにしました。
ついつい貧乏性の性格か、予定を詰める傾向にあるためこののんびりする体験は非常に珍しいものでした。
川では、ラオス人のグループがジェットスキーで楽しんでいましたそれを見ながら、
日が落ちるまでのんびりとビールを飲みながら近くのホテルのトイレに何度か立ち寄りながら。。。。
※時間が過ぎるのを忘れてしまいました。(旅の序盤だったのも良かったのかも)
メコン川(水上スキーを楽しんでいました)
川沿いのカフェ(ビアラオをここで注文あとは川辺でのんびりと)
トイレはこちらのホテルを何度も通ってしまいました。
夕暮れになり、夕食の場所を検討しました。焼肉の店が気になって、当初気になるお店を目指しました。
しかし、ここは昨日のバーの場所でした。確かに焼肉を食べている方がいらっしゃったのですが、
同じお店ではつまらないので、別のお店へ、「トゥクトゥク」で10分ほどのところにありました。
ここは、中心部から少し離れた地元のラオス人が立ち寄る店と
現地の日本語ガイド紙(在住者向けの情報新聞)には紹介されていましたが、まだお客さんはあまりいませんでした。
※現地在住日本人向けの無料誌は非常に役に立ちますが、やはりラオスのものは非常に素朴でしたが、
地図の情報もきっちり載っていて非常に重宝しました。
逆に、オーストラリアに行った方からもらったものは情報が多すぎて。。。。
昨日といい、来客の少ない店ばかり来ているような気がしましたが徐々に増えてきて、
帰る頃にはほとんど満席に近い状況でした。※地元のラオス人ばかり
夕食(ムーガタ鍋)
この焼肉は、牛や羊、豚といった肉料理と野菜がありましたが、タイのノンカーイで食べたものと同じ鍋を使いました。
この地域の焼肉は全てこの形式のようです。※タイのチェンマイにもあるムーガタ鍋と判明
焼肉でお腹が一杯になった後、「トゥクトゥク」がうまくつかまらないのでそのまま歩いて中心部に戻りました。
※お店の人も拾ってくれようとしたのですが、うまくいきませんでした。
途中気になるお店を発見。ラオスにはまたいくと思われるので、その時にチャレンジする事にしました。
30分くらい歩いて、日本料理の店に行きました。
昨日のラーメン屋とは全く違う高級店そのもので敷居の高さを感じざるを得ませんでした。
そこで、寂しそうに一人で寿司を食べていた駐在員の人を見ながら軽く飲んだ後、ホテルに戻りました。
※何を思っていたのか(日本が恋しいのか、単なるその日の仕事で悩み事があったのか、それとも。。。。)
※先ほどの鍋で満腹だったので、右下のじゃこおろしとビールを飲もうと思っていましたが、
ラオスの店員さんが気を使って寿司とシシャモをサービスしてくれました。
味は。。。。日本本国のものと比較するまでもないでしょう。
メコン川をはさんで ~タイ・イサーンとラオス・ビエンチャン~ その3
1月15日 ビアラオ工場見学とビエンチャン観光
今回のラオスビエンチャンに来た最も重要な目的にラオスビール「ビアラオ工場見学」というのがありました。
このビールの味については昨日改めてその美味さを確認しましたが、ただ飲むだけでなくその醸造している工場を
見ることで、後日帰国時にお客様に対してお薦めしやすいし、
作っている熱意を伝えることが出来ると思ったからです。
※これは非常に重要で、日本国内でも取り扱う醸造所にはできるだけ足を運んで醸造者の方に会うようにしています。
※また当時はあまりよくありませんでしたが、2006年の秋の時点で隣国タイの瓶のビールの質も上がっていました。
今回はラオスを皮切りに、ヨーロッパでも複数のビール工場に行く予定にしています。
※アジアのビール事情はあまり知られていないので、ビールを本業にしているものとして
あえて、追求していこうと考えています。(ヨーロッパ圏はいくらでもあるので)
その第一弾、予定では案内してくれる日本への輸入業者の社長であるラオス人のホン氏と
17日の最終日に会う約束をしておりました。
その確認のため、事務所に電話を入れたところ、ホン氏自ら電話に出てこられ、
急遽この日に工場見学をすることが決まりました。
30分後にホテルに来られるということになりましたので、近くのお店で朝食(麺料理)をとりました。
※この頃くらいから朝食に麺というパターンがアジア圏の旅先では定着したような
ホテルの前でホン氏と会い、そのまま車で工場に向かいました。
車を走らせること30分。ビエンチャンの市街から国境の橋の方向に工場がありました。
建物自体は立派なもので日本の大手メーカーのものをこじんまりとしたイメージがありました。
ラオスビールはヨーロッパのコンテストでも金賞などの受賞経験があるようで、賞状が展示されていました。
これをみてもアジアでは最もおいしいラガービールという事がわかりました。
ビアラオの賞状
(2003年モンドセレクション最高金賞受賞)
※日本の大手メーカーサントリーのプレミアモルツの
2年前にすでに同じ賞を取っているということです。
見学の前に担当者から説明がありました。会社は1973年創業。
ラオスの国営企業ですが、国からの出資は51%で、
残りは香港やタイからの出資で作られたそうです。
醸造にはドイツとフランスによる技術指導があったそうです。
(ベトナムの333ビールと同じ)
水源となる井戸は2ヶ所あり、見学時に1ヶ所見てきましたが、確かに澄んでいた事がわかりました。
※逆に333があまり美味しい印象がないので、水の力がビールにとって重要なのかがよくわかります。
年間8500万L生産されており、国内消費以外にも日本など数カ国輸出しているそうです。
原料はフランスから輸入され、副原料の米はラオス産だそうです。
また、単一の銘柄を作りつづけているので技術維持向上を30年間維持しつづけることが出来たと
おっしゃっておられました。
※職人気質という感じですが、最近ダークビールやライトビールの醸造も開始しています。
醸造釜(日本の大手メーカーのものとほぼ同じ)
工場内は、日本の大手メーカーのものや2年前に見学したタイのシンハービール工場と
大きく違うところはありませんでした。
※大手メーカーの特徴なのか日本であろうがタイ・ラオスであろうが、瓶詰め工場を見せて
自社の生産能力を実感してもらいたいのは同じようです。
ただ敷地内に操業当初の機械が展示してあり、最新の設備になったのは10年くらい前だったようです。(展示物に明記)
見学終了後、ホン氏は車でビエンチャン最大の観光名所「タートルアン」の広場まで案内してくれました。
ここで、私たちは見学をしながらホテルに戻る事にしましたので、明日、昼食の約束をして別れました。
タートルアンは金色の建物でガイドブックにも載っている建物で、一通り見学し、広場内に広がる市場に行きました。
厨房機器など気になるものを買おうと思いましたが、まだ、現地通貨の物価などが把握することが出来ず
購入までには至りませんでした。
※現地の人は、タイバーツとのレートをちゃんと計算してくれたのですが、イメージがつかめず
買うのを断念し少し申し訳ないことをしたのが、記憶に残っています。
そのまま中心部の方向に歩いてゆきました。
メインとなる道路なので各国の大使館や日系などの大企業の建物がならんでいましたが、タイなどとは違って
どこかのんびりした雰囲気が残っていました。
途中に、「バトゥーサイ」というラオスの凱旋門が見えてきました。
バトゥーサイ(ラオスの凱旋門)
※階段があって上にも上がることができました。
その近くに気になる高級レストランがありましたので、そこで昼食を取りました。
ラオス料理である「ラープ]というものや「オラーム」という煮込み料理に、「カオニャオ」というもち米などを
食べました。料理長は「野性味がある」と言っておりました。
昼食
食事の後、「バトゥーサイ」に、屋上まで階段で上がり、登ったところ、中心部の市場も全て見渡すことが出来ました。
そのまま、市場まで歩きました。大体15分くらいで到着。
今後の予定を考えました。
ラオスで気になるものの一つにハーバルサウナというものがありました。
薬草を炊いたサウナだったのですが、その本家といえるところに行くことにしました。
歩いてはいけないのでこちらの「トゥクトゥク」に乗り込みました。
森が多い茂るワット(寺)の敷地内を進むとそのサウナの場所がありました。
更衣室(男女の違いのない簡易的なもの)で与えられた服に着替えて中に入りましたが、
視界はほとんどなくまた混雑していましたので座る場所を確保するのに一苦労しました。
※欧米系の観光客が多かったようです。
1、2回繰り返し、間でお茶をもらいました。外に出ると非常にすずしい気分になりました。
次に1時間ほどタイ古式マッサージを受けました。
※体が蒸されたからか非常に心地よかったです。
その後、「トゥクトゥク」でホテルまで戻りました。
夕食の場所を検討し、出来るだけラオスの家庭料理の店に行くようにしました。
ホテルから市場の方向に歩いて10分「タートダム」という古い塔の路地奥に目当てのお店がありました。
しかし、路地の中に入ろうとすると野良犬の群れが吠えながら近づいてきます。
何度か躊躇しましたが、勇気を振り絞ってどうにか中に入ることができました。
※後に彼らの対策として、目に懐中電灯を当てると怯む事がわかり、2006年にバリ島でその効果を確認しました。
しかし店内の雰囲気は中々良いのですが何故かお客様がいませんでした。犬のせいもあるとは思いましたが、
少し不安がありました。
料理の方は、ラープやカオニャオという定番以外にも肉詰め料理や竹の子のスープといったものを料理長がセレクト
して食べました。味は良かったのですが、客の少なさだけが気になったお店でした。
(当店も暇な時がありますのでそれだけなのかもしれませんが)
お店の前で
レストランを後に、2次会ということで近くのお店へ高級バーのようですが、
鍋料理も合って多くのヨーロッパ人とラオス人のお金持ち?で賑わっていました。
※このお店は、後日もう一度通うことに。
ここで、ビアラオのドラフトがあったのでそれを注文。
昨日飲んだのと同様ドラフトは特に美味しくいただけました。
ホテルに戻る前に、隣りにあって非常に気になった日本のラーメン屋に入りました。
※今回は6ヶ国まわるので、各国の日本料理店も少し気になりました。
日本人オーナーの人に会えると思ったのですが、あいにく不在でラオスの方が作った
「日本のラーメン」と「ビエンチャン巻」という怪しげな巻寿司
と日本酒を飲んでホテルに戻りました。
※経験上、よほどのことがない限り、日本料理店の主人に会う機会はなく、恐らく常連さん以外は
接客を現地の人に任せているようで、そういう身分は同業者として若干うらやましいような気もします。

























