nk">関取の故郷巡り ◆佐賀県 <江戸> 大関一覧を見ると最初にある四股名が雪見山見堅太夫で初代大関とされる。現在の鳥栖市の生まれで肥後藩のお抱え力士だった。関脇は波戸ヶ崎(唐津市)と鷲ヶ濱(唐津市)がいる。平幕力士は簔嶋、高根山、越の海で唐津市から出ている。高根山は幕内は1場所限り、越の海は後に千田川と改名。<明治> 梅ヶ崎初太郎という雷部屋所属の力士がいた。最高位は前頭8枚目。<大正> 幕内力士はいない<昭和> 大関が二人いる。佐賀ノ花(佐賀市)と大麒麟(佐賀市)の二所ノ関部屋の師弟だ。佐賀ノ花は西魚町出身で9年に粂川部屋(翌年二所ノ関部屋移籍)に入門する。19年1月小結で初優勝(唯一の優勝)して関脇を一場所で通過、11月に大関に昇進した。戦中から戦後にかけて大関として活躍し27年1月に引退した。以後、二所ノ関親方として大鵬や大麒麟、金剛、麒麟児らを育てた。敬愛した師匠の玉錦の方針に沿って二所ノ関は分家、独立を奨励して大きい一門となった。しかしその結果、現在は本家である二所ノ関部屋が消滅しているのは皮肉である。先日亡くなった元金剛は婿養子で後に二所ノ関を継承したが関取が育たなかったのもその一因だ。大麒麟は旧諸富町の出身で文武に秀でた少年だったという。33年に二所ノ関部屋に入門した。師匠は同郷の元佐賀ノ花で兄弟子に大鵬がいる。前名は麒麟児だったが大麒麟と改名したときにはなんと大袈裟な名前だなと思ったものだがすぐ慣れた。独特の仕草や取り口は印象深い。足腰が柔らかくどんどん重心が下がっていく様は「砂袋を運ぶようにやっかい」と評された。 柏戸に強く何度も大鵬の援護射撃をしたことも忘れられない。優勝もなく成績もそれほどではないが、私は名大関のひとりと思っている。 関脇は初代小城の花(小城市:出羽の海部屋)は関脇を3場所勤めた力士。技能派で三賞は2回獲得。引退後は高崎親方として後進を指導して定年退職した。二人の息子も力士になった。長男が二代目小城の花(現出羽の海)、次男が小城錦(現中立)である。小結には初期に活躍した松浦潟(唐津市:錦島→立田山)がいる。長身で均整のとれた人気力士だったが20年3月の東京空襲の犠牲となったと伝わる。平幕力士は大天龍(藤津郡太良町)、天津灘(小城市)、宮柱(佐賀市)、荒波(唐津市)、天ノ山(多久市)、佐賀昇(嬉野市)がいる。大天龍は二所ノ関部屋の力士で一時海山太郎を名乗った。 天ノ山は「学生横綱、駒大の尾形」で記憶されている方も多いだろう。<平成> 現在のところ栃栄(佐賀市)がただ一人の幕内力士である。埼玉栄高校で高校横綱になり、春日野部屋に入門した。最高位は西前頭筆頭、現清見潟親方でNHKの解説にも登場する。 (時代区分は入幕時で行っています)白子 佐賀産味のり卓上詰合せ 8切44枚×6個 TS-30【電子貸本Renta!】2013年電子書籍上半期ベストセラー発表!!MENZ-STYLEリハビリ専門職求人【POStyle】の広告主向け資料請求促進
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