あらま
更新するの忘れてた。
最近忙しかった。
よくやっていると思う。
色んな人が、色んな事情を抱えて生きているんだなぁ、と思う。
昔はよく、他人の辛い経験を話されると「は?それと比べたら俺はまだマシだとでも言いてぇのか?」と、殺気立ったものだ。
それは、私の辛さや寂しさや惨めさや憎しみを、抱えたままだったからだった。
手が空いていないのに他人の辛さを受け付ける余裕がなかった。
私には、私の気持ちを安全に言いっぱなし聞きっぱなしで吐き出させてくれる居場所が必要で、ありがたいことに自助グループという居場所に巡り会えた。
自助グループで飽きるほど話をしたから、私はようやく背負ってきた感情の荷物を下ろすことが出来た。
感謝している。だからまだ携わっている。
恩着せがましく先輩ヅラをして居座るつもりもない。
可能な範囲で力を貸すのみ。
自分の抱えていた想いを手放してから他人の素直な話を聞くことは、胸の奥に温かさを感じさせる。
私たちは全く違う経験をしながら、全く違う前提の世界を生きている。
ほぼ人と人とは安易に比べることはできないし、ある意味で誰もがそれぞれに全く違う宇宙を生きている。
孤軍奮闘しながらも、今までここまでやってきた。なんとか命を繋いできた。
そんなとき、隣の世界線で同じように汗を流し血を垂らしなんとか繋いできたもうひとつの命をみる。
勇気が湧いてくる。
たとえば違うスポーツ。水泳と陸上で、全く違う競技なんだけれども、それぞれ技の研鑽と血の滲むような毎日をお互いに知っているからこそ、尊敬と友情が全く違うアスリートの間にこそ芽生えるように。
そこには確かに愛がある。
私は自分の感情や自分の人生を引き受けてこなかったので、他人の存在を受け取れなかったんだと思う。
引き受けてこなかったのは、私ひとりの力不足ではなかった。当時はしかたがなかった。今できるために、必要な「できない時間」だった。
それでもやはり、引き受けようと己の心の身辺整理をしたから今通じる感覚がある。
良い意味で「自分のやり方次第」だということだ。
できるようになるにはオーダーメイドのタイミングがある。変えられるものは変えていく勇気を忘れさえしなければ、必ず時はくる。
だから自分を責めないで、しっかり生きよう。
そして祈りながら待とう。
その時がくるのを。
