おばあちゃん。

旦那ちゃんのおばあちゃんとは
8年弱のお付き合い。

同じ県内だけど、
離れて暮らしていたおばあちゃん。

90歳を迎えたおじいちゃんは、
要介護となってしまったけれど
食欲もあり寝てばかりだけど
なんやかんや元気。

おじいちゃんが入院した時は
介護から解放された!!
とばかりに生き生きしていたおばあちゃん。
去年おじいちゃんが2度目の入院をした時には
先走って喪服を購入してたらしい。

いつからか元気なおじいちゃんに
腹を立てるようになっていた。
介護に疲れ始め
自由が欲しくなっていたおばあちゃん。

お口が達者なおばあちゃん。

離れているときは、
同居も考えなきゃだよねと
頻繁に旦那ちゃんと話しているのに
いざ会うと、たまに会うくらいが良いな
と毎回思わせてくるおばあちゃん節。

月に1回ひ孫たちを見せに行っていたけど、
ここ数ヶ月はコロナのことも考え自粛。

最後に会った2月。
見てすぐわかるくらい
痩せていたおばあちゃん。
それでもおばあちゃん節は健在。

介護の疲れと
自分も心配されたい
かまってもらいたい欲が
出たのかなと思っていた。

一応血液検査など自分の
体調を把握する為に検査は
受けていたらしい。

でも「大腸だけはまだやってない。」と。
そして、義母さんが
今痛いわけじゃないんでしょ?
なら別に急いで行く必要ないでしょ!
と検査に行かない説得を
していたのが気になった。

コロナで会うのを自粛していた3月4月。
徐々に介護や家事を
やらなくなったらしいおばあちゃん。

義母さんはやりたくないから
やらないんだと思いイライラしていた様子。
旦那ちゃんに電話をかけてきては、
おばあちゃん何もしてくれないし、
私が何かしようとするときに限って
頼み事してくるんだよ
なんて毎回愚痴っていた。

終わりの見えない介護による
ストレスなんだと思い込んでしまった…

たまたま孫を見せようと思い立ち、
旦那ちゃんが義母さんとテレビ電話。
一通り見せ話し、ふとおばあちゃんと話そう!
と思った旦那ちゃん。

「ばあちゃん起きてる?起きてるなら映してよ!」

そこに映ったおばあちゃんは、
元気な頃の面影も消えるくらい
痩せ細り別人のようだったそう。

「お母さんにすっかり世話に
なっちゃって…
お母さん大事にしてね!」

とだけ言い、大好きなはずのひ孫を
見せてもなんの反応もなかったんだとか…

「オレ週末ばあちゃんとこ行ってくるわ!」

と旦那ちゃん。土曜日に行く予定で
いたけど、義母さんの仕事の都合で
日曜日の午後に行く事になった。

5月19日、先延ばしにしていたおばあちゃんの
大腸の検査結果がでた。

大腸癌。

おばあちゃんに言っちゃダメ!!!
おばあちゃんの性格を考えると
生きることを今すぐにでも
諦めてしまうと思った。

おばあちゃんは、宣告を受けずとも
大腸以外に何も問題がなかったことから
自分は大腸癌だと思い込んでいたらしい。

ステージ何なのかわからないけれど、
手術と言う言葉は一切出ず、自宅で
療養するとの事。

5月23日土曜日夜、

「明日午後じゃなくて午前に来て!」

と義母さん。
おばあちゃんがとても苦しそうに
しているらしい。

24日日曜日早朝、義母さんから着信。

間に合わなかった…。

「お母さんにすっかり世話に
なっちゃって…
お母さん大事にしてね!」

おばあちゃんの最期の言葉に
なってしまった。

亡くなる間際のおばあちゃんの体重は
35キロしかなかったそう。
身長160センチ以上あるのに。

義母さんはおばあちゃんが何もしない事に
イライラしていたけれど、
しなかったんじゃない。
出来なかったんだ。
そのくらい辛かったんだと思う。

誰もがおばあちゃんよりも9歳年上の
おじいちゃんが先だと思っていた。

おじいちゃんごめんね。

きっとベビちゃんが歩く姿
見たかっただろうな…
一緒におばあちゃんの生まれ故郷に
旅行に行こうって言ってたのに…

おばあちゃんが毎日のように書いていた
3行ほどの日記。

去年は
「じいさんより先には逝けない」
と書かれていたものが

最近は
「私には息子と娘がいる。
じいさんより先に逝っても
なんとかしてくれるでしょ!」
に変わっていたらしい。

自分の死期を悟っていた…。

もしもコロナが無ければ
会いに行けたし、
会いにいければおばあちゃんの
異変にもっと早く気づけたかもしれない。

何が出来たかわからないけど
何かしら出来たかもしれない。

そうすればベビちゃんが歩く姿を
見せられたかもしれない。

おばあちゃんの生まれ故郷に
一緒に行けたかもしれない。

なんだかやりきれない。

おばあちゃんだけがいない
おばあちゃんの家。
とっても静かだった。

おばあちゃん節。
常に聞いていたくはないけど、
全くないとやっぱり寂しい。

誕生日、家族旅行、フォトスタジオでの
家族写真。
家族で過ごす思い出が増えるたび、
「私は幸せ者や〜」
と口癖のように言っていたおばあちゃん。

やり残した事なかったかな…
しあわせな人生だったかな…

思い出すのはちょっぴりふくよかで
とても上品とは言えない笑い声の
おばあちゃん。

嫌味も言うけど
常にひ孫の事を気にかけて
くれていたおばあちゃん。

今も空から見てくれてるかな…

おじいちゃんの枕元で
早く逝くぞ!って
急かしてるかもねなんて
話していたけど、

自由になれたから
じいさんまだ来なくて良いから!
って言ってるかも。

ひ孫をみるのが活力だったおばあちゃん。
コロナによるステイホームで
活力を奪われ、あっという間に
病気が進んでしまった。

顕著に体調が悪くなってからは
約3ヶ月。
大腸癌と判明してからは
わずか5日。

生前、
病気が見つかっても治療はせん!!
と断言していたおばあちゃん。

せっかちだったおばあちゃん。

最後の最期までせっかちでした。

おばあちゃん、ありがとう!
ずっと見守っててね☆