ルワンダは「千の丘を持つ国」と言われている。
たしかに、首都のキガリは丘陵地帯に町がある。
中心地にはビルが並び、オシャレなカフェやショッピングセンターもある。
町は綺麗だし、この国ではビニール袋を持ち込むことも禁止されている。
入国のときの荷物チェックではビニール袋を没収されるし、買い物すると品物は紙袋に入れられる。
ショッピングモールや銀行に入るときには荷物チェックを受けないといけない。
それぐらい治安維持を徹底して行っている。
人もみんな穏やかで、バイクタクシーの運転手ですら法外な値段を吹っかけてくる人はいない。
キガリのバスターミナルからミニバスに乗った。
ぎゅうぎゅう詰めのミニバン。
アフリカの人は相変わらず窓を開けたがらないから、暑くて汗だくになる。
キガリの町を少し離れると、田園風景が広がる。
緑の山と畑しかない。
電線すらあまり見かけない。
2時間ほどバスに乗って、降りた町でバイクタクシーに乗り換える。
ルワンダでは、バイクタクシーが一般的な交通手段の一つ。
ますます景色が田舎になった。
途中小さな集落を通る。
今日は日曜日だからか、聖書を片手に持った教会帰りの人が多いみたい。
2時間以上かけてきたこの村は、ムランビ。
ここには、ジェノサイドミュージアムがある。
7年ぐらい前に、一人で「ホテル・ルワンダ」という映画を観た。
その前からルワンダで虐殺が起きたことは知っていたけど、この映画はすごくショッキングだったし強烈に印象に残った。
今から20年前の1994年にルワンダで起きたジェノサイドでは、50万から100万人のツチ族とフツ族の穏健派の人たちが虐殺された。
たったの100日間の間にルワンダ国民の10%から20%が殺された。
このとき私は小学校1年生。
テレビでオウム真理教のニュースがひたすら流れていたのを覚えている。
これは、アルメニアやカンボジアで起きたジェノサイドよりも、もっと最近におきたことだ。
門をくぐって白い建物の方に歩いていくと、ちょうど団体客が出てきたところだった。
そのうちの一人の男性が近寄ってきた。
このミュージアムのマネージャーらしい。
一緒に案内してくれるとのことで彼の後に付いて行くと、建物の横にある屋根の付いた屋外でさっきの団体客が祈りをささげていた。
たぶん犠牲者が葬られている場所なのかもしれない。
周りはとても静かで、鳥の鳴く声と男性がぼそぼそとつぶやく祈りの声しか聞こえない。
ミュージアムの裏手に回ると、長屋のようなレンガ造りの建物が並んでいた。
近づくと、今まで嗅いだことないにおいが鼻をついた。
ここはもともと技術学校だった。
虐殺が始まったとき、このあたりに住んでいたツチ族は教会へ避難しようとした。
でも市長と司教が「丘の上の学校へ逃ればフランス軍に助けてもらえる」と嘘をつく。
6万5千人のツチ族が学校へ避難したあと、突然水と電気の供給が止められた。
そしてある日突然、守ってくれるはずだったフランス軍が消えてしまう。
その後フツ族の過激派が押し寄せて、何千人という人が殺された。
廃墟となった建物の中を覗くと、そこには白いミイラ化した遺体が所狭しと並べられていた。
ここにミイラが安置されているのは、来る前から知っていた。
でも、実際この目で見るとやっぱり足がすくんでしまう。
次の部屋も、その次の部屋も、ずっと続いていた。
小さな体がたくさん安置されている部屋もあった。
5,6歳ぐらいだろうか。
きっともっと幼い命もたくさん奪われただろう。
生きていれば私と同い年の子も、きっとたくさんいるんだろう。
そう考えると息が詰まりそうになる。
ここに来る間のバスの中で、私の隣には赤ちゃんを抱えたお母さんが座っていた。
すごくかわいい子だった。
ふとその子の顔が浮かんで、泣きそうになった。
頭部が切断されている人、手足がおかしな方向にねじれている人、死ぬ間際の、悲痛な表情が見て取れる人もいた。
3部屋目ぐらいで、「もう十分です」と言いそうになってしまう。
だけどここまで来たからには、きっとちゃんと見ないといけないんだと思った。
外からは子供たちの遊ぶ声が聞こえる。
今いる場所と外の世界とのギャップがすごすぎて、訳が分からなくなる。
建物の入り口に戻ってきた。
中には写真とパネルが展示されていた。
最初のパネルには、
「これは突発的に起きたアクシデントではなく、綿密に計画され組織化されたものだった。」
と書かれてあった。
フツ族もツチ族も、もともとは同じ民族。
だけど19世紀にやってきたヨーロッパ人によって「背の高さ」や「体系」の違いで勝手にフツ族とツチ族に分けられた。
日本に例えて言うなら、
突然知らない国の人がやってきて、
「あなたは平たい顔だから弥生人」「あなたは濃い顔だから縄文人」と勝手に分けられたようなもの。
でもそこで暮らしていた人たちはそんなこと気にしていなかっただろうし、「混血」の人だっていただろう。
ベルギーが植民地として支配すると、ツチ族のみを優遇する政策をとって、ツチ族にフツ族を支配させる。
このとき導入されたIDカードが、のちにジェノサイドが起こった際、出身民族をチェックするのに使われることになった。
そうやって民族間に溝をつくることで、ルワンダの人たちが一致団結して歯向かうことがないようにしたらしい。
だけどその結果、フツ族によるツチ族の虐殺が起こってしまった。
ジェノサイドが起こる前、ラジオや新聞にはツチ族を排除するようにという過激な言葉がずっと流れていたらしい。
それを聞いて、すぐに隣人を殺そうとは思わないだろう。
ID上民族は違っていても、隣に住んでいたり結婚している人だっていたと思うし。
でも毎日毎日「ツチ族は悪い奴らだ!」「ツチ族に攻撃される前に先制攻撃をするべきだ!」と聞かされ続ける。
街ではヘイトスピーチが行われ、人気歌手がフツ族が結束するようにという内容の歌を歌う。
そうやって少しづつ、ツチ族に対する嫌悪感を抱かせる。
これは当時政権を握っていた過激なフツ派の人たちによって綿密に計画されていてたもので、
武器の準備や民兵の組織化、虐殺する対象者のリストアップ、そしていつ虐殺を開始するかも決まっていた。
そして当時の大統領が暗殺されたことをきっかけに、ジェノサイドが始まった。
教会に逃れてきたツチ族の人々を守るふりをして、教会ごと破壊し全員を皆殺しにした市長や司教もいたらしい。
中にはツチ族を殺すことを拒んだフツ族や、ツチ族を匿った人たちもいた。
映画「ホテル・ルワンダ」の舞台となったホテル・ミルコリンズもその一つ。
当時の副総支配人は、一千人以上の人たちを(フツ族もツチ族も関係なく)ホテル内に匿って助けた。
このホテルは今でも格式高い有名ホテルとして営業している。
とてもきれいとは言えない格好で、しかもコーヒーしか頼まない私たちでも最高の笑顔で迎えてくれる。
当時水道も止められてしまった中、人々はこのプールの水で渇きを凌いだらしい。
ここが難民で溢れかえっていたとは考えられないくらい、今は穏やかな時間が流れている。
駐車場にひっそりと建てられた記念碑が、唯一ここで起こったことを物語っている。
ルワンダでは現在、虐殺を否定したり、「フツ族」「ツチ族」という名称を口にすることすら法律で禁止されている。
20歳以下の子供たちはジェノサイドを経験していない。
中学生以上から、この出来事について学ぶらしい。
きっとこの子達にも、同じ過ちが繰り返されないように、語り継がれていくんだろう。
小さい国だけど、紛争後には海外へ逃亡していたたくさんの人たちが資金と技術を持って帰国し、復興に貢献した。
そのおかげでルワンダは急成長し、アフリカの奇跡とも呼ばれるほどに近代化が進んでいる。
ナイロビで会ったある旅人がこんなことを言っていた。
「知らないほうが幸せなんじゃないかと思うときがある。」
確かに、と思った。
今まで45カ国近く旅してきた。
傍から観たら世界中で遊びまわっているだけなんだけど、もちろん良い事ばかりじゃない。
歴史を学べば侵略と虐殺の繰り返しで、弾痕を見たら暗い気持ちになるし、
差別的な言葉や態度を取られることもあれば、
人の嫌な部分を見せ付けられることもある。
実際に虐殺の起こった場所に行って白骨化した犠牲者の遺体をわざわざ見なくてもいいんじゃないかと思う人もいるかもしれない。
だけど自分の目で見て感じて体験したことは、経験になる。
経験したことは、絶対に忘れない。
私たちは忘れてはいけないし、自分たちの頭で考えなくてはいけない。
「世界には大きな流れがあって、それに逆らうことはできない」けど、
何も考えずに流れに呑まれてしまったら、とんでもないところに連れて行かれてしまうかもしれない。
街で在日韓国人の悪口を言っている人たちがいる。
本屋さんには“嫌韓”と書かれた本が並んでいる。
中国や韓国の悪いニュースばかり流れる。
自分には関係ないし、そこまで言わなくても・・・と最初は思っても、
そういうものを見たり聞いたりし続けることによって、いつの間にか中国や韓国の人たちを見下すようになっていたら、それってすごく怖いことだと思う。
ルワンダでたった20年前に起こった悲しい出来事は、
遠い国の昔話なんかじゃない。
自分たちは絶対こんなことにはならないと言えるだろうか。
世界中で色んな国の人たちと会ってきた。
中国人も韓国人も、アフリカの人たちも、話してみれば
「なんだ、同じ人間なんだ」と思う。
顔も言葉も習慣も違うけど、みんな同じように笑ったり悲しんだりする。
それを忘れないようにしたいし、自分たちの子供にも伝えていきたいと思う。
“NEVER AGAIN”
よしこ












