お久しぶりなのに、ちょっと重い?お話です
これはリアルな実体験で、まだまだ解決の途上にあるから、なんか筆が進まず、いろんな投稿が滞った。
(途上といっても、「気づくことで8割解決」(by 小田桐あさぎ)よね)
私と母の共依存。
少し前にもカミングアウトしているが、私と母の共依存の状態は、この年齢まで、抜け出そうと試みては絡め取られるような感覚で続いてきた。
私の性格もあると思う。
小さい頃から大人しく、物分かりの良い子。騒がない、わがまま言わない。
理不尽なことで怒られても、「泣き止みなさい」と怒られて、感情を抑圧することを覚えた。
「肥満傾向」のハンコを押され(通知表にね!)毎回、文字通り「標準ではない」という烙印を押されていた。→自己肯定感低下
ま、実際、コロコロしており、習いたかったバレエを「太ってるから」という理由で、母に却下される。→自己肯定感低下
才能教育というスズキメソッドの教室しか選択肢を与えられなかったが、小太りのどんくさい私は、レッスンのたびになぜか道で転び、白いレースのタイツをダメにして幼稚園の年中さんでリアイヤ。→何も続かない自分
小学校では、多分、「断れない」性格のため、作文を全校集会で読まされる(それは、先生が活躍の場を作ってくれたんだろうけど)、ダウン症の子の家に届け物を頼まれる(その子の母親には感謝されるが、当人には唾を吐かれたりする)など、よく頼まれる。
そんなタイプ。
中高は、今回は省略するね。
その頃から、なんか理由わからず、鬱っぽく、体調もいまいち。
母に連れられて、漢方っぽい薬局に行ったり、健康食品とったり。
その当時、精神科とかもわかんないし、カウンセリングって言葉も知らないし(なかった?)
でも、高校生だったか、卒業する頃だか、苦しみの末、「これは母親との関係が原因ではないか?」と私の中からの答えが出た。
「全部をお母さんのせいにするわけじゃなくて、ただ、こういうことになってて、自分がこうなってるんだと思う。」ということを、自分なりに気を使って伝えた。
結果、「自分だけ可哀想がるな。私のせいだと言うなら、母親が子どもの時に死んでいる私はどうしたらいいのか?」と言われ、無力感。
今なら、「そんなん知らんやん」と思うけど。
あくまで、自分の分析を伝えただけだしって。
でもそこで、同情しちゃった。
親が原因とはわかったけど、それを言って親は受け止めてくれるどころか、「私の不幸はどうしてくれんだ?」ときた。
そこで、私、親の不幸、背負っちゃったんだよね。
解決しようのない、親の問題を。
両親より幸せである私が、この可哀想な人たちを喜ばせ、幸せにしてあげないといけない使命感。
両親の関係は、険悪とかではないけど、母は不満があって、なんとなく愚痴ってた。
母の子どもの頃の話も、愚痴が多かった。(妹だけ贔屓されてた、不公平だと言う不満→糖尿病に関連)
それもずっと聞いてきちゃったんだよね。(こう言うのも依存を受け入れてる)
「一人暮らししてみたい」と言ったら、「そんなこと言わないで〜」と言われた。
結婚して、ようやく脱出したが、子どもが生まれて大変とわかると、喜んで手伝いに来て。
同居が当たり前と思うようになってた。
で、私の離婚もあり、もう逃れられない状態が続いてて。
本当に助けてもらってきたから、「感謝」こそすれ、悪く思っちゃいけない。
なのに苦しいのはなんだ?と自問して、
「このままでは、なぜかわからないけど、親を恨むことになってしまう」と思い、2年ほど前、家が狭くなり、子どもが大きくなったこともあり、別居。
その後、はしょるけど、両親は急激に身体に不調が出てきて、今、要支援の介護が必要な状況。
そこでまず、私が強い罪悪感。
「あのまま、私がわがまま言わずに、同居して、孫の顔を見せていれば、こんなことにならなかったのではないか?」
孫たちの世話が生きがいになってしまっていた。
「じいじは、〇〇(娘)が可愛くて。」→離れたから病気になったと言う。
母はいつも父の台詞として、自分の願望や思いを語る。
→でも、よく考えたら、そのまま同居してたって、孫たちは出て行く年齢だし、シングルの私が仕事と介護になっていたのは変わらない。
私がするか姉がするか。
今、姉が大変になってきて、可能なら私も近くに引っ越してきて欲しいと言われた。
私の本心は、
「毎日は介護できない」
「できればしたくない。」
こう思ってしまうことへの罪悪感。
姉に大変さを押し付けていると言う罪悪感。
罪悪感を持つことで、許して欲しいと思ってる自分。(多分)
母は無自覚に、過干渉で子どもに干渉する形で、依存させることで依存してきた。
私が大変な時は、過剰に手伝い、それが必要なくなってきた頃に、自分の足が悪くなり、糖尿病(BPMと言う心身医学では、不公平がキーワード)になり、手助けが必要な側に回った。
足も悪くなり、歩けなくなってきた(自分で歩きたくない。人に依存した人生)
自分たちの課題を自ら解決せず、家族内で、過剰に介入し、それが愛だという価値観。
昨日、カウンセラーの親友に今の状況を話した時、
「依存だよね。病気とか命をかけてでも依存してくるよ。」(本人は無自覚)
って言われ、わかってはいたけど、ハッとした。
世間では、「親孝行」と言う常識の名の下に、
「当たり前」
「しないなんて人としてありえない」と言う圧力がある。
良心が痛むようにセッティングされている。
だけど、これ、本当にそうなのか?
親友は、「やらないでいいし、あなたはあなたの幸せのために生きればいい。いや、むしろそうしないと」と。
断固しないほうがいいくらいだと。(全くと言う意味じゃなくてね)
多分ね、若いうちに「家出」とか「喧嘩」「縁を切る」とかっていう行動してたら、解決してたやつだと思う。
自立のチャンスがあったんだよね。
調べてたら、共依存に罪悪感、デフォルトなのね。
典型的なことなんだと思ったら、ほっとした。
「逃げていいんだ」
人として、軽蔑されてもいい。
嫌なことから逃げてもいい。
人の支配から逃げていい。
自分の幸せを追求してもいい。
だってさ、自分を幸せにしなかったら、誰がしてくれるんだ?
この連鎖を受け入れたら、子どもたちにも、
「自分を犠牲にして、親を幸せにすべき」と言う後ろ姿を見せちゃうし、彼らにも、暗に重たい負担を感じさせることになる。
心屋仁之助さんの本だったかな、
「お母さんを捨ててもいい」って言ってみて、って言うのがあったな。
実際の行動ではなくて、自分の中の概念としての親殺し。
これ、必要な人多い気がする。
課題の分離。
両親は両親で幸せ。
私は私で幸せ。
今の現実は、その人が選んだベストな選択なのだ。
私は手伝わなかったら、姉以上に自分を犠牲にして介護しなければ、人とて最低、愛がない、と思ってた。
けど、それって、「相手には力がない」と言っている事になる。
実際に身体が不自由だったとしても、意識がしっかりしているのであれば、考えることはできる。
決定権、選択権は、その人にある。
私、優しかったんだ笑
自分の人生を棒に振るのも厭わないくらいに、親を愛してきたんだ。
だけど、私は私の人生を生きるし、そのことで、やっと両親も自分たちの人生を生きることができる。
私は私を愛する、と言うことに目覚めさせてくれた、50年のドラマ。