皆さん、こんばんは
とーぬやーのブログに遊びに来てくれて、どうもありがとうございます
2013年は私にとってリセットの年です それで今日は、私の自己紹介をしたいと思います
こうして今までしたきた事を書き出して見ると、いろんな事をしてきたんだな~って思わず自分でもびっくりしてしまいました
2歳の娘と、お腹の中に長男を抱えながら、沖縄での恵まれた仕事環境を捨てて、エアフォースの夫の転勤でアメリカへ引越したのが2001年。でもこの時は、不安よりも新しい土地での生活に、夢を膨らませてドキドキだったな~
見知らぬ土地での出産も不安ながら無事に終えて、そしてすぐに夫は中東への長期派遣
小さな子供達を一人抱えながら、アパートから米空軍基地内の家への引越し。アメリカのシステムも全く分からないまま、一揆にたくさんの事が起きて、半べそ状態
でも中東に居る夫や、遠く離れた日本に居る両親を不安にさせてはいけない!これも自分で選んだ道!と自分に言い聞かせ、頑張った頑張った!
でも心の中は大雨&パニック状態 だったな~ 今だから言える事
沖縄では仕事をしてて、自分で自由に使えるお金があった分、夫からお金を貰うって事に引け目を感じて、ストレス度は急上昇 夫や子供達へのお誕生日プレゼントも、夫から貰ったお金で買わないといけない自分が嫌で・・・ あの時は全てが悪循環だったな・・・
夫が中東から帰ってきたら、すぐに基地内のコミサリーと言う食料品店で棚居れのお仕事をスタート!毎朝夫や子供達がまだ寝ている朝3時に起きてお店へ行って、担当する製品の棚居れ。
冬はマイナスまで気温が下がる中、裏の倉庫のシャッターは荷物を降ろすトラックのために全開~ しかも製品が冷凍担当だったので、厚手のジャケット&手袋をして、冷凍庫から自分の製品を探すのは一苦労。
でもこの経験をしたおかげで、買い物へ行く時に製品を入れている従業員さんを見ると ありがとう って心の中でつぶやくようになりました!だってあれって、見た目以上に肉体労働でとっても大変なお仕事だって事を知ってるから
次のお仕事は、社会勉強&英語勉強のために選んだ、小さな子供達2人を保育園に預けて、日本食レストランでのウェイトレス でも自給$2+チップだけの収入では、お給料は全て保育費へ。自給$2でトイレ掃除もしないといけない経営システムに不思議だらけ
でもアメリカのウェイトレスのお仕事って、自分がどれだけ良いサービスを提供出来たかが、すぐにその場で分かるとっても勉強になるお仕事
お客様からの笑顔はもちろん、お会計の時にもらえるチップの額でもすぐにその時の自分のサービスの質が分かるよね
初めての団体客のお客様から$100のチップを貰った時は、すごく嬉しかったな~
緊張しながらも、頑張ってお客様に『あ~このレストランに来て良かったな~!又来たいな~!』って思ってもらえるように心を込めて接したサービス
その結果頂いた$100のチップ!これこそ正に Win-Win の関係だよね!どんなビジネスもこうでなくちゃ
でもこの$100、実はレストランがおすし屋さんだったのと、このレストランの経営システムの不思議さもあって、レストランの板前さんと分けなければいけなかったの システムおかしくない!?
次に選んだお仕事が、まだ小さかった2人の子供達と一緒に居たくて始めた、エアフォース認定の自宅託児所 ここでも又、本当にたくさんの事を学ばせて頂きました!感謝感謝
それぞれの年齢にあった子供の遊ばせ方から、おもちゃの選び方まで。ただ遊ばせているようで、実は全てに本当はちゃんと教育的理由があったと言う事
子供用&乳幼児用の栄養食の作り方や人口蘇生の方法など、この経験は母親としても、すごく良い勉強をさせて頂きました
でも自宅での託児所経営は、当時夜勤で12時間勤務だった夫を、ゆっくり家で休ませてあげる事が出来ないのがすごく可愛そうで・・・ しかも突然家へやってくるエアフォースのインスペクターの人は、2階で夫が寝ていても、家中を調べるのがお仕事なので、2階ももちろんチェックチェック
何をチェックしてるかと言うと、2階に子供を隠していないか、銃を隠し持っていないかのチェック アメリカの幼児虐待に対する取り組みや銃社会の様子が、ここでも又見えた瞬間・・・ん・・・何か複雑な気分
私の勤務時間も又、軍人さんの子供達が相手なので、職場からいきなり呼び出しを受ける親御さんが居たら、朝5時位から託児所を開けて、夜は6時、7時まで。夜眠る時間が、あの時は一番幸せだったな~
それで、いろいろと考えた結果自宅での託児所は閉めて、今度は基地内の保育園での保育士さんの仕事へ応募 託児所経験からすぐに面接なしで採用して頂いて本当に感謝感謝
でもここでも又新たな試練が~
経営者側からの、英語が100%ではない私を含めた外国人の保育士さんへの風当たりが強く、間違った英語を子供達が覚えたら嫌だという、保護者の方からの苦情も・・・
保育士時代は、夫婦喧嘩もピークで、子供達にもついつい怒鳴る回数が増えてしまって・・・アメリカに移り住んで、精神的にも肉体的にも一番きつかった時だったような気がする・・・スゴク反省してます。
でもでも 決して今まで頑張ってきた事が、無駄!とか 遠回りだった!って事では決してなくて、これらの経験があったからこそ、たくさんのすばらしい縁にも恵まれて、そして気付きや学びがいっぱいあって、その中でどんどんクリアになって来た新しい目標があるんだなって、心からそう思います
こうしたたくさんの経験を得て、今はすてきな仲間達と一緒に叶えようとしている夢が、今まで私が目標としてきた、大学卒業とか、職場での昇級とかとは、全くかけ離れた 夢 であることが、すごく新鮮で嬉しい~
文化も言葉も違う異国の地で頑張る皆さん 日ごろの感謝の気持ちを忘れずに、笑顔で今を一生懸命生きれば、絶対見えてくる道があるので、絶対に夢はあきらめないで下さいね 応援してます
皆さんも笑顔と夢を大切に、すてきな毎日を過ごして下さいね
とーぬやーのブログに遊びに来てくれて、どうもありがとうございます
2013年は私にとってリセットの年です それで今日は、私の自己紹介をしたいと思います
こうして今までしたきた事を書き出して見ると、いろんな事をしてきたんだな~って思わず自分でもびっくりしてしまいました
2歳の娘と、お腹の中に長男を抱えながら、沖縄での恵まれた仕事環境を捨てて、エアフォースの夫の転勤でアメリカへ引越したのが2001年。でもこの時は、不安よりも新しい土地での生活に、夢を膨らませてドキドキだったな~
見知らぬ土地での出産も不安ながら無事に終えて、そしてすぐに夫は中東への長期派遣
小さな子供達を一人抱えながら、アパートから米空軍基地内の家への引越し。アメリカのシステムも全く分からないまま、一揆にたくさんの事が起きて、半べそ状態
でも中東に居る夫や、遠く離れた日本に居る両親を不安にさせてはいけない!これも自分で選んだ道!と自分に言い聞かせ、頑張った頑張った!
でも心の中は大雨&パニック状態 だったな~ 今だから言える事
沖縄では仕事をしてて、自分で自由に使えるお金があった分、夫からお金を貰うって事に引け目を感じて、ストレス度は急上昇 夫や子供達へのお誕生日プレゼントも、夫から貰ったお金で買わないといけない自分が嫌で・・・ あの時は全てが悪循環だったな・・・
夫が中東から帰ってきたら、すぐに基地内のコミサリーと言う食料品店で棚居れのお仕事をスタート!毎朝夫や子供達がまだ寝ている朝3時に起きてお店へ行って、担当する製品の棚居れ。
冬はマイナスまで気温が下がる中、裏の倉庫のシャッターは荷物を降ろすトラックのために全開~ しかも製品が冷凍担当だったので、厚手のジャケット&手袋をして、冷凍庫から自分の製品を探すのは一苦労。
でもこの経験をしたおかげで、買い物へ行く時に製品を入れている従業員さんを見ると ありがとう って心の中でつぶやくようになりました!だってあれって、見た目以上に肉体労働でとっても大変なお仕事だって事を知ってるから
次のお仕事は、社会勉強&英語勉強のために選んだ、小さな子供達2人を保育園に預けて、日本食レストランでのウェイトレス でも自給$2+チップだけの収入では、お給料は全て保育費へ。自給$2でトイレ掃除もしないといけない経営システムに不思議だらけ
でもアメリカのウェイトレスのお仕事って、自分がどれだけ良いサービスを提供出来たかが、すぐにその場で分かるとっても勉強になるお仕事
お客様からの笑顔はもちろん、お会計の時にもらえるチップの額でもすぐにその時の自分のサービスの質が分かるよね
初めての団体客のお客様から$100のチップを貰った時は、すごく嬉しかったな~
緊張しながらも、頑張ってお客様に『あ~このレストランに来て良かったな~!又来たいな~!』って思ってもらえるように心を込めて接したサービス
その結果頂いた$100のチップ!これこそ正に Win-Win の関係だよね!どんなビジネスもこうでなくちゃ
でもこの$100、実はレストランがおすし屋さんだったのと、このレストランの経営システムの不思議さもあって、レストランの板前さんと分けなければいけなかったの システムおかしくない!?
次に選んだお仕事が、まだ小さかった2人の子供達と一緒に居たくて始めた、エアフォース認定の自宅託児所 ここでも又、本当にたくさんの事を学ばせて頂きました!感謝感謝
それぞれの年齢にあった子供の遊ばせ方から、おもちゃの選び方まで。ただ遊ばせているようで、実は全てに本当はちゃんと教育的理由があったと言う事
子供用&乳幼児用の栄養食の作り方や人口蘇生の方法など、この経験は母親としても、すごく良い勉強をさせて頂きました
でも自宅での託児所経営は、当時夜勤で12時間勤務だった夫を、ゆっくり家で休ませてあげる事が出来ないのがすごく可愛そうで・・・ しかも突然家へやってくるエアフォースのインスペクターの人は、2階で夫が寝ていても、家中を調べるのがお仕事なので、2階ももちろんチェックチェック
何をチェックしてるかと言うと、2階に子供を隠していないか、銃を隠し持っていないかのチェック アメリカの幼児虐待に対する取り組みや銃社会の様子が、ここでも又見えた瞬間・・・ん・・・何か複雑な気分
私の勤務時間も又、軍人さんの子供達が相手なので、職場からいきなり呼び出しを受ける親御さんが居たら、朝5時位から託児所を開けて、夜は6時、7時まで。夜眠る時間が、あの時は一番幸せだったな~
それで、いろいろと考えた結果自宅での託児所は閉めて、今度は基地内の保育園での保育士さんの仕事へ応募 託児所経験からすぐに面接なしで採用して頂いて本当に感謝感謝
でもここでも又新たな試練が~
経営者側からの、英語が100%ではない私を含めた外国人の保育士さんへの風当たりが強く、間違った英語を子供達が覚えたら嫌だという、保護者の方からの苦情も・・・
保育士時代は、夫婦喧嘩もピークで、子供達にもついつい怒鳴る回数が増えてしまって・・・アメリカに移り住んで、精神的にも肉体的にも一番きつかった時だったような気がする・・・スゴク反省してます。
でもでも 決して今まで頑張ってきた事が、無駄!とか 遠回りだった!って事では決してなくて、これらの経験があったからこそ、たくさんのすばらしい縁にも恵まれて、そして気付きや学びがいっぱいあって、その中でどんどんクリアになって来た新しい目標があるんだなって、心からそう思います
こうしたたくさんの経験を得て、今はすてきな仲間達と一緒に叶えようとしている夢が、今まで私が目標としてきた、大学卒業とか、職場での昇級とかとは、全くかけ離れた 夢 であることが、すごく新鮮で嬉しい~
文化も言葉も違う異国の地で頑張る皆さん 日ごろの感謝の気持ちを忘れずに、笑顔で今を一生懸命生きれば、絶対見えてくる道があるので、絶対に夢はあきらめないで下さいね 応援してます
皆さんも笑顔と夢を大切に、すてきな毎日を過ごして下さいね