連日のちょっとだけょ、ありがとうございます…!
 
 
タン塩、もとい探照灯。
ステージからはこんなふうに見えたのですね。壮観です…
 
 
斜め前の提督さまは探照灯2本使いでしたが、
私もその方の腕の動かし方に気持ちが、魂がこもっているのを感じて、参考にさせていただきました。
 
眩しすぎるペンライトは苦手でしたが、皆さん必要以上に高く掲げることもなく、視界も妨げられることもなく、快適でした。
 
私の目に写る範囲でのことですが、
自分だけが目立ちたい!みたいなものが感じられなくて、こういうところがまたToshl提督の心をくすぐってしまうんだろうな…とも。
 
でもステージからの熱に応えたい!と思ったら、映像のようにすごく盛り上がって一体感をつくる、提督さまの心意気をびりびり感じるライブでした。
 
 
 
それにしてもToshl提督…かっこいいです。
 
またお目にかかれる機会があるのでしょうか…。
このToshl提督のかっこよさは、会場の5千人超の提督さまとの相乗効果あってのものだと思うので、そのような素晴らしい機会がまた訪れますようにと願います。
                                                          
 
 
 
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ちょっとだけょ動画ももちろん嬉しいですが、
改めてとしさんの、文章・書き言葉による表現が好きだなぁと思いました。
 
 
僕たちも
 
あの頃には
 
もう二度と
 
モドレナイノ
 
 
だから
 
一歩前に
 
進む
 
 
 
改行にも意味があるのかなと思うと下手にコピペするのもためらわれますが…
 
艦これの生まれた背景や、
ニコ生でほんのひとこと言及された言葉を思うと、
モドレナイ「あの頃」とは、あの戦争の起こる前でもあり、たくさんの人の命が失われる前でもあるように感じます。
 
また、としさんの経てきた道のりを考えざるを得ない気持ちにもなったり、
私自身の過去の分岐点にも思いを馳せたり、
幾層にも想像を重ねることができる文章だと思いました。
 
 
 
 
2014年に出版されたとしさんのご著書。
通して読めたのは1回で、後は部分的に読み返しただけです。
でも、読んで想像した光景をふとしたときに思い出して、自分の体験ではないのに息苦しくなることも未だにあります。
 
 
あの本の中の一節に、
ご自身の心境を、戦地に赴く兵士に喩えた表現がありました。
 
描写された内容そのものも、息ができなくなりそうな辛さでしたが、
こういう表現をされたこともひとつの衝撃でした。
比喩の言葉によって、私の中に堆積していた、戦争にまつわる情報がどっと引っ張り出されたようでした。
そこに、当時のとしさんのおかれた状況がリンクして……
とにかくこの場面が、ずっと忘れられませんでした。
 
 
 
比喩として用いたということは、
としさんの想像力、想いを馳せる心が、
戦地へ向かう兵士の心の中を「通った」ことがある、のかな…と思います。
 
 
そして
としさんのその、誰かの心をくぐっていくときの「通り方」「触れ方」「とらえ方」が、
 
私はとても落ち着くなぁと、
安心するなぁと、
私にとっての好ましさがあるなぁと
このブログ記事を読んだ今、再認識しました。
 
 
 
 
 
誰かの死について想うこと。
誰かを弔うこと。
これは人の心の中の問題。
容易に踏み込まれたくないし踏み込みたくない領域だと思っています。
 
この領域に「触れる」、
この領域を「とらえる」としさんの、
「想いを馳せる心」が、
 
私にはちょうど良い温度と静かさとに感じられたのです。
 
 
 
それを踏まえたうえでの、あの熱唱。
迫力、気迫、荒々しさ、狂気。
 
 
甲板の下は深い海。
生きるか死ぬか、いや、どちらも死ぬかもしれない…。…。…。
 
体は令和のこの時代に置き、視界にはとしさんを写しながら、
意識は、体験したことのない過去に連れられて行ったようでした。
 
 
魂の依り代・形代のようでもあり、
タイムスリップの引き金のようでもあり、
見たことのない世界を映すスクリーンそのもののようでもあったとしさんは、
 
同時に、
歌うことに全力で、ちょっとハラハラするくらい、体ごとぶつけてきた、そんな印象でした。
そしてそれを、すごく楽しまれているように見えました。
実際、ニコ生でもそのように話して下さっていました。
 
 
 
戻らない、モドレナイいのちへの鎮魂と、
そこから一歩前へ進んで、今を楽しみきる姿。
 
それを目の前で、
「一度に」見せていただけた…。
これが、すごくすごく大きかったです。
 
 
 
逝ってしまったひと・もの・ことの心に静かに触れていながら、
その一方で、今、自分が生きて体験することの楽しさ喜びを爆発させる。
 
 
楽しむことは悪いことじゃないんだ、
遠慮しなくていいんだ、
いいんだ、今を全力で楽しんでいいんだ。
良いんだ、
人はそういうことができるんだ、
それでいいんだ。
 
何度もとしさんにそう教わっていたけれど、改めて示していただきました。
 
 
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いつからか私の中にあった、
うっすらとした罪悪感、生きていくことへの遠慮のようなもの。
 
これはどこからきたものなのか。
おそらく大本は、自分が一生懸命生きてないと自覚していて、不真面目な自分をお手軽に断罪しているのかもしれませんが。
 
 
 
モドレナイ状況の中で、一歩前に進む。
 
誰かを、何かを弔いながら、
同時に、
楽しい嬉しいという気持ちを抱くことを、自分に許す。
 
閉ざした場所で静かに佇む心と、空を向いて開いている心とを、両方持ち合わせていられる。
 
そんなふうに動ける心の、
振り幅、層の厚さ、 
それを現在進行形で、実際に見せてくれる人…。
 
それが私から見た、としさんという多面体のうちの一面です。
 
 
 
 
個人的な感じ方なのですが、
「あの辛い経験があったから今のあなたがあるのよ」的なことを他人から言われると…心が無になります。
その言葉から、私への親切心だけ掬いとって、ありがたく頂戴することにしていますが。(我ながら面倒くさい人間…)
 
それを私に言える人がいるなら、経験を耐えて乗り切った私だけ、
もし親身になって支えてくれた人がいたならその人も含む、くらいの心の狭さです。
 
 
だから、少なくとも私からは他人に、なるべくこういうことを言わないようにしたいと思っていますが、
その自分だけのルールを破るとしたら、
そして純然たる妄想をぶちまけさせていただくなら、
 
 
上につらつらと書いたとしさんの心の振り幅・層の厚さを作ったのは、
 
ご自身が、被害者でもあるけれど加害者でもあるという悔恨の念を持たれながらも、
それでも再び表舞台に立つことを決め、
様々な形で表現をすること、それをご自身に許し続けていること、なのかな…と。
そう思えてしまいます…
 
 
 
 
 
泣くよりも
涙を隠して笑うことのほうが難しい。
 
泣いてる人に石を投げるのは気が咎めても、
笑ってる人、特に幸せそうな人には石を投げてやりたくなる人もいる。
だから、石を投げられないために、
笑わないようにする人、泣き顔を見せ続ける人もいるだろうけれど。
 
 
としさんは、
嬉しい!とか楽しかった!とか、
生きててよかった、とまで言ってくださる。
としちゃんねるでは特に喜怒哀楽豊かな表情を見せてくださる。
バラエティー番組など、たくさんの人が目にするテレビにおいても、視聴者の斜め上の魅力を惜し気もなく見せてくださる。
 
…。
 
私の中の迷い、ためらい、遠慮を、
都合良く現れた場面に意味付けて無理やり解消しているだけ、なのかもしれないのですけれども。
 
めったには口にされないけれど、心の奥底にある静かな想いを垣間見せてくださりながら、
同時に、
太陽がさんさんと降り注ぐ下、多くの人の前で、歌・ことば・表情・体全部でご自分というものを思い切り表現なさる姿は、
 
強くて、美しい姿だなと思うのです。
 
 
ひとりの人の心におさめられそうにもないキワとキワにある、
かけ離れたようにみえるものを、
そっと抱え込んでしまえる、強くて美しい姿だな、と。
 
 
そして、
過去に誰かを深く傷つけてしまっても、そういう自分であっても
「いつまでもそこに錨を下ろし続けること」以外の選択肢がある、
錨を上げてまた大海を堂々と進むことができる、笑うことができる、喜ぶことができる、新しい世界を広げることができる…
それは必ずしも後悔やつぐないや悲しみ、痛みと矛盾するものではない…
そういった可能性を、自分に許す・許可することができる。
 
そう示して下さるように、私の眼には映ります。
 
それは、容易なことではなかったはずです…。
言葉にして数行で書ききるには我ながら冷たすぎるとも思います…
 
でも、過去の痛みや記憶に囚われて、自分を断罪してしまう経験のある者として、
こんな自分だから…といつもどこかで遠慮してしまう者として、
としさんの一挙手一投足から、勇気が沁みてくるのを感じます。
 
 
としさん、
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
 
 
 


としさんと艦これが出会ったこと。
動機、信念、きっかけ、初めの一歩、行動理念…こういうところで通じ合う関係って強いなぁと思います。
お互いが納得いくまで、そしてお互いに自然体のままで良好な関係が続いてくださるなら万々歳です。

 

 

一昨年の春夏ころから、ひたひたと思っていたことが、艦これを契機に噴出したようです。
過不足なく言葉にできたかわかりませんが、ひとまず今日までの気持ちとして…。