考えるより、感じる


どうしたら愛してもらえるかより
すでに愛されていることを受け取る







最近は「愛されていること」を認めて
素直に「受け取る」を意識してます




本当はずっと愛されてきていたのに
受け取らない、と決めた自分がいて
”愛されていない”を続けてきたのだけど





その根底には

愛されていてはいけない
幸せで在ってはいけない

がありました






これって幸せになってはいけないとは
少し違うんだよね





だって

愛されていてはいけない
幸せで在ってはいけない

って
すでに愛されているってことよね?
幸せだってことよね?






2ヶ月くらい前の
本当に死ぬんじゃないかってくらいに
辛かった時間を経て
「愛されているを受け取る」しかないじゃん
ってところに辿り着きました








今までの私が作られたルーツを
辿ったらやっぱりそれは両親で

愛されてなくても
(正確には愛されていないと感じてきただけ)
私は両親が大好きで

理想通りの愛され方じゃないって
拗ねていたけど
それでも愛されていて

そんな矛盾も拗らせも
自分なのだと受け入れたら




「愛されている」
がたくさん見えてきました♡




なんだ、私、めっちゃ愛されてるじゃん
私って本当はすごい幸せだったんじゃん
って  泣







悩みを作り出すのは
不幸で在りたかったから






最近は悩みがうまれた瞬間に

幸せを感じてはいけない
愛されているを感じてはいけない

って思ってる自分がいることに気づきます





だからそんな時は
幸せを認めていい
愛されてるを認めていい
って思い直すの


「愛されている」にフォーカスして
そのあたたかさをじっくり感じるの





そうするとパーっと世界が明るくなります








最近、母に言われました

「あなたは本当に幸せものだね」って




今までだったら
受け取れなかっただろうな




でも今は
「うん、幸せ」って思える







幸せを感じる力を育てていくことで
幸せを感じる器が大きくなって
どんどん「愛されている」を
受け取っていける





今までの私も
今の私も
何かが足りないんじゃなくて
受け取らなかっただけ




愛されているが見えなかっただけ