(ひとつ前の記事の続編です)







わたしの足をひっぱる人がいます。






今の悩みは何?

今も何か悩んでるんでしょ?


え?悩みがない?

嘘でしょ?


本当はなんかあるでしょ?

ほら、あの事は?



あなたが心配なの。

とても心配。




↑この言葉の真意は。



あなたに悩みがないなんて

ありえない。

私が助けてあげたいと思っているのに。

あなたが悩んでないと

私が活躍できないじゃない。


あなたが悩んでないと

私が優越感を感じられない、

私が安心できない、満たされない。

こんなに心配してるんだから

私にすべての情報を聞かせてよ、

私にもっと連絡してきなさいよ。


あなたが幸せなはずない。

私より幸せになるなんて許せない。


不幸でいてもらわないと困るのよ。



です。





とても巧妙な手口。

コントロールされてた。

支配下にいた。

ずっと私は気づけなかった。




結局は

私を使って気持ちよくなりたい

だけだった。







なんとなくそうなんじゃないかな・・・、って

思ってたことが

やっぱりそうだったんだなって

確信になりました。




めっちゃくちゃショックだし

めっちゃくちゃ悔しいし

めっちゃくちゃムカつく。




ふざけんな!!!!

バカにするなっ!!!!!



って思う。









だけどね、

私はこの出来事から

光を見つけた☆



それは

嫉妬されるのも

足をひっぱられるのも

幸せを阻止しようとする人が

いるのも


私が幸せに向かっていることの証






今までは何度もひるんだ。

変われなかった。





でも今は違う。




どんなことがあっても



私がわたしを守る

わたしが私を守る



私がわたしを幸せにする

わたしが私を幸せにする



一緒に幸せになる





今まででは考えられなかった行動を

とろうとしている自分、

今まで見えなかった世界に

踏み出そうとすることが

怖くて怖くてたまらない私の内側には

どっしりと

構えた自分がいます☆




私はそのわたしに従う

私はそのわたしに守られている。






心屋さんのブログに

私が感じてたことそのまんまの

記事を見つけて


→ 「人を助けたい」の落とし穴



あー、この「違和感」は

間違っていなかったんだって

思いました。




不幸な人を助けることに

喜びを見いだそうとする人、

不幸な人を見て

優越感を得ようとする人は

ダメな人をつくりだそうとする。

自分が満たされるために必要だから。


ネガティブに引き込んで

ネガティブを共有して

ネガティブから救い出してあげることで

自己価値を感じて

素敵な素晴らしい私を感じたいの、

いつだって

人を助けてあげる素敵な私を

演出したいの。

そんな自分が好きなだけ。





だから

私が”私はダメな人間”と思っていたのも

不幸なことばかりだったのも

幸せになれないと思っていたことも

悩んでたことも病んでいたことも


本当は

私のことじゃなかった!!



そういうあなたでいなさいよ。

を受けとってしまっていただけだった。






「違和感」は

自分からの大切な

メッセージ。


幸せになって欲しくて

「違和感」として

教えてくれています。